神の成せる業

 HRも終わり騒がしくなった廊下を、安形は鼻歌交じりに歩いていた。向かっているのはこの先にある生徒会室。仕事は特に楽しくはないがそれなりに楽しい事も待っている為、自然と歩調は速くなる。しかし、その足がふと止まった。
「よぉ、ミチル」
 目の前の人だかり。その中心に居た人物に安形は声を掛けた。片手を上げる安形に、榛葉は同じ様に手を上げて微笑む。軽く女の子達にお礼を言うと、榛葉は小走りに安形の方へ向かって来た。
「早いね、今日も」
「『も』ってこた、ねぇだろ」
 何気ない会話を交わしながら、二人は連れ立って歩いていく。
「副会長くん、怖いからね」
「なんで椿がそこに出てくんだ? 別に怖かねぇし」
「じゃ『副会長くん可愛いから』にしようか?」
「『面白いから』の間違いだろ」
 くすくすと笑いながら話す榛葉に、安形は面白くなさそうに顔を歪める。へぇ〜、と榛葉はからかう様に言った。
「ま、どれにしろ、あんまり苛めてあげないでね」
「殴られ蹴られ、どっちかってぇとオレの方が苛められてるだろ」
 それは事実だった。何かに付けては椿に悪戯――しかも男が男にする様な物ではない類のセクハラ染みたちょっかいを出し、その報復に鉄拳制裁を食らわされているだけなのだが。
「それに、最近は椿も前ほど嫌がってないしな」
 笑いながら安形は両手を頭の後ろで組んだ。自信満々な態度に、榛葉はその端正な顔に強張った笑みを浮かべる。
「・・・・・・えっと、頭、大丈夫?」
「おいっ!」
 友人の心無い言葉に、安形は思わず突っ込みを入れた。冗談抜きで心配げな気配を見せる榛葉に、安形は自分なりの根拠を述べる。
「ほら、最近はアイツ、利き手使わない様になっただろ?」
「そーきたかぁー・・・・・・」
 安形の発言に、榛葉は何とも言えない表情になる。確かに言われれば最近の椿の攻撃は右手だ。事実は事実なのだろうが、だからと言って報復を免れている訳ではない。一体この男の自信は何処から来るのか、と長い付き合いながらも榛葉は分からなくなった。
「でもホント、いい加減にしとかないと、椿ちゃん泣いちゃうよ」
「椿の泣き顔か。それはそれで、見てみてぇなー」
 かっかっかっ、といつも通り笑う安形を見て、榛葉は心から「うんと酷い罰が当たればいいのに」と呟く。そんな馬鹿な会話を続けているうちに気がけば生徒会室までたどり着いており、榛葉はそのドアに手を掛けた。
 げんなりとしつつも部屋へと足を踏み入れた榛葉の視界に、既に自席へと着いていた人影が飛び込む。ああ、もう来ていたのかと視線を向けた瞬間、動揺してドアにぶつかった。ガタッとドアが激しい音を立てる。
「ん? 何して・・・・・・!」
 榛葉の行動を不審がる安形も、同じ物を見て思わず言葉を飲んだ。そこに居たのは話題に出てきていた人物、椿。別に生徒会室に居る事自体は当たり前なのだが、普段と決定的に違う事があった。
「ちょっ・・・椿ちゃん、大丈夫?!」
「・・・・・・っ、榛葉、さん?」
 疑問系になったのは、きっと良く周りが見えない所為なのだろう。椿は、イスに腰掛けたまま、涙を流していた。
「どうしたの? 安形に何されたの?!」
「まだ、してねぇーーーーっ!」
 榛葉のナチュラル発言に、無実の罪を着せられた安形は思わずツッコミを入れる。
「な、何でも、ないです・・・・・・」
「なくないよ。何で泣いてるの? 何かあった?」
 榛葉は椿に駆け寄ると、しゃがみ込んで目線を合わせ諭すようにそう言った。椿は左手で軽く目を押さえ、涙を拭いつつも榛葉に目を向ける。歪む視界に映る心底心配をしている榛葉に、椿は少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら小さく言った。
「あの・・・コンタクトに、ゴミが・・・・・・」
「え? あ、ああ、コンタクト、ね」
 拍子抜けしながらも、榛葉はほっと嘆息する。どうやら可愛い後輩に何かしらの危機が訪れた訳では無いと安心すると、今度は世話焼きモードが発動し始める。
「このままですと歩く事も出来ないので、何とか取ろうとしてたんですが・・・」
 そう言いながら目を擦ろうとした椿の手を、榛葉は慌てて掴んで止めた。
「あ、擦っちゃ駄目だって。もう、こうなったら涙で流しちゃった方がいい」
「ですが、皆さんにご迷惑を・・・」
「この程度、迷惑でもなんでもないから」
 固めの後輩の意見を、柔らかく包んで諭す。ポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出すと、流れる涙を軽く拭った。
「あの、汚れます」
「大丈夫、オレはいつも五枚ハンカチ持ってるから。それより目が痛いならいっそ閉じたままの方がいいよ」
 笑いながら世話を焼く榛葉に、まるで観念したかの様に目を閉じてじっとしている椿。
――・・・・・・なんだ、コレ?
 そんな二人の様子を、安形はじっと見ていた。妙に居心地の悪い様な、落ち着かない気分になる。別に目の前の光景は、ただ単に後輩の世話を焼く先輩。何がある訳でも無い。なのに、
――なぁんか、面白く無ぇんだよ。
 何だか苛々とすらしてくる自分を不可解に思う。その感情が何処からくるのか考え掛け、しかし直ぐにそれを止めた。
――きっと、アレだ。
 榛葉を信頼し切って無防備になっている椿は、普段の彼からは遠のいて見えて、
――お気に入りの遊具で遊ぼうとしたら、先に誰かが遊んでいた時と同じだけだ。
 切実な距離を感じてしまうのは、
――多分、これ以上考えちゃいけねぇんだ。
 一度、全てをシャットダウンするかの様に、安形は自分の瞼を閉じる。暗闇が一瞬だけ、世界を染め上げた。ふんっと鼻を鳴らすと、安形はいつもの笑顔を浮かべ、そっと足音を立てない様に二人へと近付いた。
 いつの間にか側に来ていた安形に、榛葉は疑問符を顔に浮かべた。そんな榛葉に安形は無言のまま唇に人差し指を当てると、今度はに笑顔を作ってぐっと親指を後方に示す。静かに下がれのジェスチャーに一瞬戸惑った榛葉だったが、何故だか妙に迫力の在る安形の笑顔に気圧されそのまま指示通りに椿の側を離れてしまった。その空いたスペースに安形はしゃがみ込み入れ替わる。
 椿はと言えば大人しく榛葉に言われた通りに目を閉じ、両拳を行儀良く自身の膝の上に乗せぴくりともしない。その所為でこの静かな入れ替わりは気付かれる事無く終わっていた。全く気が付かない椿を安形は面白そうに眺める。
――おぉ、本当、睫毛長いなぁ。
 伏せられた瞼の先の睫毛は、今は涙に濡れている。それがより印象的だった。その上に描かれた眉は、目が痛むのか時折寄せられ、眉間にしわを作る。それがとても不規則で、思わず安形は見入ってしまった。
――大人しくしてりゃ、可愛いじゃねーか。
 本人に言えば怒るだろうが、安形は今の椿を見て純粋にそう思う。無防備で相手を信頼し切った状態の彼を。ただ、
――ここに居るのが、ミチルだって思ってっからだろうな。
 それだけが、少し腹立たしい。その思いに突き動かされる様に、安形は少し椿との距離を詰めた。顔が、少し近付く。
――これ、どこら辺で気付くかな?
 数ミリずつ、ゆっくりと。さっさと気付けと思いながらも、いっそ気付くなと毒づいて。
「あ、取れたみたいです」
 沈黙は椿の声で破られた。やっと開く事の出来た瞳が今度は驚愕に見開かれる。当然だろう。既に安形の顔は椿のそれまであと数センチの所に来ていたのだから。
「よぉ!」
 にっと意地の悪い笑顔でわざとおどけて見せた。丸く見開かれた椿の瞳にそんな安形の顔がはっきりと映っている。そして次の瞬間にはその目が一気にぐるぐると渦を巻き、椿が完全にパニックに陥ったのがはっきりと伝わってきた。
「どどどどっ、えっ、あ、ぅわっ!」
 どう言う事なのかと言おうとしたのか、どこからそこに居たのかと問おうとしたのか。不思議な声を上げながら椿は思わず体を後ろに逸らす。その反動で椿はバランスを崩し、イスからずり落ちそうになった。
「危ねっ」
 流石にそこまで動揺するとは思っていなかった安形は、その崩れ落ちる体を支えようと腰を浮かして椿の腕を掴む。それが不幸な事故を引き起こした。
「!!!!!!!!」
 体が後方に倒れると言う事は、当然、反対側にある足が持ち上がる訳で。安形は椿を支えようと体を乗り出していた訳で・・・・・・椿の足は、安形の蹴り上げてはいけない部分に完全ヒットしていた。
――うわぁ、コントみたいになってるよ・・・・・・
 少し離れた場所で見ていた榛葉は、そんな感想を心の中で呟く。それでも一先ずは椿を支え切っただけ根性はある様だ、とも。前屈みでうずくまりつつ小刻みに震えている安形の背中は、少し哀れだった。
「かかかか会長が悪いんですからねっ!」
 同じ男として同情する部分がありつつも、未だパニックの中に居る椿は顔を真っ赤にしながらそんな捨て台詞を吐く。そのまま椿はばたばたと生徒会室から走り去って行った。
――見事過ぎる罰が当たったね。
 椿に何か言おうにも息すら出来ない状態の安形を眺めつつ、榛葉は机にと寄り掛かる。
「いやぁ、神様って居るんだ」
「・・・・・・・・・ぅおまっ、あとでみとけよ・・・・・・」
 ぎりぎり、安形が言う事が出来たのは、それだけだった。

2011/2/19 UP
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