残り物の福

「疲れた〜」
 暢気に放たれた言葉に、本日の定例会議の議事録に目を通していた椿の眉が、ぴくりと動いた。声の主を見れば、さも仕事しました的な雰囲気で両腕を上げ、伸びをしている。
「・・・・・・疲れた、と言われますが、会長は大して仕事されてませんよね?」
 辛辣な言葉を受けてもそ知らぬ顔で、置物会長こと安形は平然と話し続けた。
「いやいやいや、今日の定例会議は真面目にしてただろう?」
「真面目・・・・・・?」
 それを受けて、椿の眉が更にぴくぴくと動く。更に言えば、眉間にはくっきりとしわが刻まれたいた。
「・・・・・・僕には会長が議題を脱線させる事しかされてない様に見えましたが」
「ああ、でも寝なかっただろ」
 議題を脱線させた事は否定もせず、にっと笑ってさも当然かの如く振舞う安形。それを受けて、更に椿の斜向かいの人物――榛葉が同意の意思を表明してきた。
「なるほど、会議中に居眠りしなかった安形ってのも珍しいね」
「今回の議題内容で、会長が船もこがないのは珍しい」
 更なる同意を浅雛が、そして
「議題の結論は出ませんでしたけど、会長は頑張られてましたわ」
 最後の砦とも思われた丹生すらも、至上の笑顔で肯定する。
「ほら〜、みんなオレの頑張りを評価してくれている。椿、お前も評価すべきじゃないか?」
「そ、それは、そうかも・・・・・・」
 一対一ならまだしも、四対一で言われると、何故か自分が間違っている気になってしまうのは何故なのか。ふざけるのはいつも通りなのだから、確かに居眠りをしなかっただけ今回は頑張っていたのかも知れない、と椿は思った。ここは素直に相手を労わった方が良いのでは、と椿は視線を床に落としながら考える。
「だろ! オレ、疲れても仕方が無いよな!! だから・・・・・・」
 しかし、椿はそんな気遣いも無用であった事を、次の瞬間に痛いほど思い知った。
「チョコが、食べたい」
 真顔で――更に言えば、かなり格好良い顔で、腹のそこから声を出した安形に、椿は静かに自分が怒るのを感じていた。その顔には、薄っすらと笑みすら浮かんでいる。
「・・・・・・ああ、もう、死ねばいいのに」
「えっっ! ちょっ、ちょっと酷くね?」
 ため息交じりに吐き出された言葉に、安形はショックを隠しきれないと言った態で椿を見る。椿はと言えば、なるべく安形と視線を合わせない様にしていた。
「頑張れば、ご褒美があるのは当たり前だろ! 明日のバレンタインは土曜なんだから、今日学校で渡されるのが当たり前だろーが!! 椿からチョコを貰いたがって、何が悪い」
 やっぱり、と椿は心の中で思う。明日がバレンタインなのは椿も知っていた。土曜で学校が休みの為、クラスの女子は今日が決行日とばかりに浮き足立っていたのも気付いていた。定例会議前に随分と安形がそわそわしていたのと、年に一度の恋愛行事。何かと嫌な予感はしてた。
――どうにかして欲しい、この生徒会長・・・・・・
 椿が生徒会に入って二ヶ月ちょっと。何かにつけて安形はこんな冗談を言ってくる。『からかい易いから』と言いながら、場合によってはセクハラじみた行為をも、何度もされていた。最初の方こそ相手が生徒会長なればと我慢していたが、最近では断固とした拒絶をする様にしている。
「チョコなんて、持っていません。そもそも、菓子類を校内に持ち込むのは校則違反ではありませんか」
「チッ、やっぱりな・・・・・・でも、一個や二個、貰ったやつあるだろ。もう、それで我慢してやるから、出せ」
 舌打ちしつつも、これでも譲歩してやったとばかりに、安形はずいっと椿に向かって手を伸ばした。会議の時とは打って代わって真剣な眼差しの安形に、椿は狼狽しながらも律儀に答える。
「も、貰ってませんよ!」
「そんなはずないだろっ! 出せ! 出さないとハズカシイ身体検査するぞ!!」
「どう言う脅し文句ですか! ボクはまだ誰とも交際する意思はありませんから全て丁重にお断りしました。一つも持っていません」
 息継ぎ無しに言い切り、椿は酸素不足でぜいぜいと肩で息をする。それを見て、安形は傍から見ても分かり過ぎるほどの落胆を見せた。机に顔を伏せ、しくしくと泣きまねさえしている。単なるパフォーマンスと理解していても、つい椿の胸は罪悪感に痛んだ。
「そうかぁー」
「か、かいちょ・・・・・・」
「なら、買ってこい」
 その一言で、一瞬でも謝ろうかと考えた椿の中で、何かがぷつんと音を立てて切れた。
「もう、今日疲れて立てない。チョコで疲労回復しなきゃ、やってられない。会長命令だ。チロルでいいから、今すぐ買ってこい」
「・・・・・・・・・・・・分かりました」
 予想外の返事に、えっ、と安形が顔を上げる。「すぐに戻りますから、そこで待っていてください」
 これには周りも驚いたらしく、榛葉も浅雛もきょとんとして椿を見ていた。唯一、丹生だけがいつもと変わらずにこにこと二人の遣り取りを見ている。
 その間にも椿は鞄から財布を取り出し、迷わずドアへと体を向けた。いってらっしゃい、と丹生がひらひらとハンカチを振る中、椿の背中はそのドアの向こうに消えていく。
「おぉ、椿ちゃん、ホントに行った・・・・・・」
「会長の命令は絶対だからな」
 驚きを隠せない榛葉に自分なりに納得する結論を出す浅雛。そして、最も驚いた表情を顔面に貼り付けたまま、まだ手を伸ばしたままの安形。そんな三人に囲まれた丹生は、微笑んだまま言った。
「そうですわ。会長命令は絶対ですし、購買部には各種チョコを取り揃えてありますし、行かない理由はありませんわ」
「だがなぁ、もう二、三、こう反抗的な台詞が飛び出ると思ったんだが」 丹生の言葉に、安形は少しばかり残念そうに首を捻った。安形も本気でチョコを欲しいと思っていた訳ではなく、単に椿を弄り倒したかっただけだけに、その類の反応を見られなかった残念さがついつい滲み出てしまう。
「なんか安形、相手に罵倒されて楽しいって完全に変態の域だよね」
 ちょっと可哀想な子を見る目で、榛葉は安形にそう告げた。安形は左手で頬杖を付きながら、右手を軽く振り、それを否定する。
「いや、罵倒されたい訳じゃなく、嫌がる反応としてだな・・・・・・」
「人としては最低ランクな発言だね、それ」
 完全、蔑み体制でため息をつく榛葉。そうこうしていると、廊下から微かに足音が聞こえてきた。最初にそれに気付いたのは丹生らしく、ふふふ、と右手を口元に当てて笑う。
「椿くんはとても従順に命令に従いましたが、だからって怒っていない訳ではありませんわ」
「ん? どう言う・・・・・・」
 意味かと尋ねようとした安形の目の端に椿の姿が映り、丹生からドアへと視線が動かされた。そこには購買部100円シリーズの麦チョコが握られている。
「おかえりなさい、ですわ」
「おほっ、早かったなぁ。さっさとよこせ」
 にやにやと笑う安形の姿を直視せず、椿はつかつかと自分の机へと向かうと、おもむろに袋の封を開ける。わざわざ袋から出してやるのか?、と榛葉は驚いたが、椿の行動は全く違っていた。
「おにわーそとぉーっ!」
「ったぁ! 痛っ、痛ー!!」
 椿は、袋の中の麦チョコを鷲掴みすると、力一杯安形に投げつけた。勿論、威力倍増の利き手で、連投。
「鬼は外っ、鬼は外っっ!」
「違っ、おま、混じってる! 節分と混じってる!!」
「丁度いいでしょう。除夜の鐘で消えなかった煩悩、これできれいさっぱり落ちるでしょうから」
「バカヤロウ! これぐれぇのもんで消えるような小さな煩悩だと思ってんのか! 甘く見んなよ!!」
「変な自慢しないで下さい。なら、お徳用袋を買ってきて、更にぶつけて差し上げます」
 笑いもせずに椿は麦チョコを投げ続ける。本来、椿は怒ると頭に血が昇るタイプなのだが、今回は本人も不思議なほど冷静にキれていた。それだけ、安形の行動が椿の許容範囲を越えていたのだろう。
「あはっはははははっ」 不意に、生徒会室に笑い声が響いた。
「さ、流石、椿くんですわ。想像以上の面白さですわっ」
 声の主は丹生だった。大体の予想が付いていたのか、珍しく丹生が大きな声で笑ったいる。
「はははっ、確かに、これは面白い」
 釣られて、榛葉が笑い出した。浅雛も、声を押し殺しつつも斜め下を向いて肩を震わせている。
「お前らっ、ちったぁ助けろ! てか椿、さっきから鬼は外しか言ってねぇぞ!!」
「会長に福なんてこなくていいと思ってますから」
「お前こそ鬼だろっ」
 そのまま真顔で麦チョコを投げつけ続ける椿の背を、ふいに榛葉が指で突いた。多少、腹の虫が収まった椿は、榛葉へと視線を移す。
「・・・笑い過ぎて疲れたから、ちょっとチョコちょうだい」
「ええ、どうぞ」
 スッと出された榛葉の手に、椿は持っていた袋を傾け、当然の様に麦チョコを渡す。それを見て丹生と浅雛も顔を見合わせると、二人とも同じ様に手を伸ばした。
「わたくしも、よろしいでしょうか?」
「椿くん、私も」
「ああ、すまない。気が利かなかった」
 続いて、丹生、浅雛の手にも麦チョコが乗せられる。それを唖然と見る安形に、椿はフンッと鼻を鳴らした。
「何であっさり渡してんだよ! オレは、オレのは!!」
 がなりながら机の上に正座しそうな勢いで乗り出して手を出す安形に、椿は無表情に淡々と言ってのけた。
「今のでもう、無くなりました」
 言いながら、椿は袋を逆さにして振った。そこからは、無情にも細かな粉が落ちるのみで、中に何も入っていない事を示している。今度こそ本当に、安形はがっくりと肩を落とした。
――うっ、遣りすぎたか・・・・・・
 よくよく考えれば麦チョコをぶつけまくっただけに終わっている。最後に少しなりともあげた方が良かったかも、と椿は後悔した。
「もぉ、いい・・・・・・」
 机の上に座り込む形で項垂れ、暗い声を上げた安形を見て、思わず椿は一歩近付く。
「あの、会長・・・・・・」
「これ貰うから」
「!!」
 その瞬間、椿は凍りついた。安形は近付いた椿の左腕を素早く掴み、その手のひらに舌を這わせたのだから。先程、豆撒きよろしく麦チョコを掴んだ椿の左手は、確かに体温で解けたチョコで汚れたいた。それを安形は、嘗めている。自分の常識の範囲を超えた行動に、椿の思考回路は一気にぐちゃぐちゃになり、ショートした。
 それを良い事に、安形は更に悪戯を続けた。手のひらから指の股に舌を這わせ、そのまま指先へと移動させる。先端まで行き着き、辿る場所が無くなった舌を一度離し、今度は指をくわえ込んだ。その感覚を切っ掛けに、椿の体がぴくりと動いた。

「ぅあ゛ーーーーーーーっ!!」

 この世の物とは思えない悲鳴を上げ、椿は自身の右手に拳を作り、安形の鳩尾に寸分の狂いも無く叩き付けた。流石にこれは効いたらしく、安形は掴んでいた手を離し、代わりに自分の鳩尾を抱え込み、ぷるぷると震えている。
「ててててて手を、あら、ら、ってきます!!」
 椿は真っ赤になって目をぐるぐるとさせながら、超特急の勢いで駆け出して行った。安形以外の三人はそれを見送り、改めて未だに体を震わせている安形に視線を送る。丹生はまた笑い出し、浅雛はやってられないと言った感で嘆息し、そして榛葉はぽそりと安形に追い討ちをかけた。「今のは、お前が悪い」
「っくそぉー・・・来年こそは・・・」
 その日、椿は手の皮が剥けるほど、手を洗ったと言う。

2011/2/14 UP
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