安椿 ハロウィン

 差し込む夕日に彩られた生徒会室に、今はいつもと違った静けさがあった。取り外された飾りの名残が段ボールやゴミ箱の中にある様は、祭りの後の匂いがする。その光景をぼんやりと、椿は立ったままで眺めていた。そんな椿の横に、唯一まだ椿以外残っていた安形が少しだけの距離を置いて立つ。
「再来週には快明祭で忙しいと言うのに、こんな事をしてて良かったんでしょうか」
 ため息混じりに吐き出された椿の言葉に、安形が笑い声を上げた。
「あんだけ楽しんどいて、何言ってんだ。息抜き、息抜き。忙しいからこそ、やんだろ?」
 そう言って背中を叩かれ、椿は苦笑に似た笑みを浮かべる。今日は十月の最終日で、北欧を始めとする国ではハロウィンと呼ばれる日。折角だからと安形の発案で、今日一日小さなパーティをここで開いた。安形流の慰労会なのだろう。それでも椿の頭の片隅に仕事が残ってしまっているのを見て、安形は肩を竦めた。
「ほんっと、お前ぇは馬鹿が付く位ぇ真面目だよな」
「うっ・・・放って置いてください・・・」
 自分でも肩の力が抜けない事に困った顔になる椿に、いいんじゃねぇの、と安形は微笑んだ。
「そん位ぇ固い方が、柔らかくし甲斐があるしな」
「・・・・・・どう言う意味ですか」
 微かに頬を染めた椿に、安形はのほほんとした表情で、色々な、とだけ言って天上を見上げた。少しの沈黙の後、その視線が不意に動き、椿を見る。その表情は相変わらず笑っていたが、微妙に裏がありそうにも取れた。
「それはそうと、お前ぇ、今日アレ言ってないよな?」
「アレ・・・・・・? 何ですか、アレって」
「Trick or Treat、っての」
 安形の曖昧な言葉に首を傾げる椿に、安形は明確な言葉を返す。その一言に、椿の顔がまた赤くなり、困惑を始めた。
「その言葉、嫌な予感しかしないんですよ!」
「嫌な予感ねー・・・お菓子持ってなけりゃ、悪戯してくれとも言えんだけどな」
 かっかっかっ、と笑い声を上げて、安形は手にしていた包みを掲げる。今はお菓子持ってるし、とわざわざ包みの口を開けて、中から飴を取り出してみせた。
「折角の一年に一度のイベントだし、言っとけば?」
 笑いながら手にした飴を口に放り込む安形を横目で見て、椿は少しばかり思案する。安形の言葉に一理有ると感じて、そっと唇を開いた。
「とりっく、おあ、とりー・・・」
 最後の文字を言い掛けた椿の歯に、硬い物が当たる。カチ、と小さな音を響かせたそれが、驚いて唇を開いた椿の舌に乗った。甘い味が、そこを起点に広がっていく。混乱する椿の視界に入ったのは、自分の唇から離れていく安形の赤い舌だった。
「はい、お菓子」
 意地悪く笑いながら、安形が椿の顔を覗く。全てを理解した椿の顔が、一気に真っ赤に染まった。自分の口元を両手で押さえ、目を見開いて安形を見詰める。
「ふぁに、ひてっ・・・」
「悪戯はしてねぇだろ。唇にも触れてない」
 確かに安形は何をどうしたのか、器用に舌先だけで椿の口に飴を放り込んだだけで、唇には少しも触れていなかった。それでも寸前まで安形の口にそれが在った事実に、飴の所為もあって上手く喋れない椿を、安形は嬉しそうに眺めている。椿、と静かに名前を呼んで、安形の両手が椿の二の腕を掴んだ。
「Trick or Treat」
 響いた声に、何を求められているのか気付き、椿の目がきつく安形を睨み付ける。それでも安形はただ笑うだけで、椿の身体を持ち上げると机の上に座らせた。わざと見上げる位置に来て、軽く口を開ける。
「・・・らに、かんがへて」
 文句を言い掛けて、上手く回らない舌に椿は言葉を止めた。観念したように目を閉じると、続きの言葉の代わりに安形の上へと顔を寄せる。薄く開いた視界の中で見えた唇の間に、そっと舌先に乗せた飴を差し込んだ。離れていく甘さの余韻が、心臓を激しく脈打たせる。
「・・・・・・甘いな」
「飴ですから・・・」
 自分の唇に指先で触れて呟いた安形から、ふいっと顔を背けて椿は返した。飴を嘗める安形の顔が直視出来ず、暫くの間そのまま動けない。そんな椿の上に影が差し、慌てて椿は逸らしていた顔を戻した。
「・・・・・・っ!!」
 抱き締められ、強制的に安形の肩口に顔を埋められる。後頭部に廻された大きな手と、ふわりと香った甘い匂いに息が止まる程に鼓動が高鳴った。
「か、会っ・・・・・・」
「あー・・・悪戯はしねぇから、」
 動揺する椿の髪に、安形は顔を摺り寄せる。より近くで香る吐息に、椿は耳まで赤く染め上げられた。
「飴、嘗め終わるまで、このままで、居て」
 耳の奥に響いた甘い言葉に、椿の身体から抵抗する力が抜ける。
――結局ボクは、この人の言う事を聞いてしまうんだな・・・
 そう考えて椿は観念すると、今度は自ら顔を安形の肩に押し付け、悔しげに歪んだ顔を隠した。

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テーマ「人外ファンタジー」
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