棄てられた冷蔵庫の温もり(幸村 | ナノ

彼女は冷たい女だ。
それは周知の事実だった。近寄るなというオーラを発して、ただ黙々と一人でいる。
そんな調子なもんだから、彼女には友人らしき人は一人もいなかった。と言うか、彼女の世界は彼女一人のみで機能しているのだと、同じクラス、近くの席で彼女を見続けている俺はずっとそう思っていた。

週に一度、他の部活と同じ時間、まだ陽のあるうちに部活の終わる日がある。
その日は一人残って壁打ちをするのが俺にとっての願掛けだ。
来週もまたここでと。
病院は忌まわしき場所でしかない。

ある、その部活が早く終わる日、俺はいつもの場所に彼女を見つけた。遠目に見てもわかるのは、彼女の伸ばしっぱなしの黒い髪と白い肌に見慣れていることと、それらがそうそうに忘れられぬほどに美しいからだ。
恐る恐る、少しずつ近づくと、彼女が泣いていることがわかった。
泣いている。あの、およそ感情らしい感情を出さず、その性格から全く以て不名誉なあだ名を拝命している彼女が。

一歩、彼女に俺の存在がわかるように足を踏み出した。それに応えるように彼女は顔を上げる。いつもの白い肌は今は赤に変わっている。

「あんたは、」
「やあ」

なんの用、さっさと消えて、と彼女は顔を背けながら言った。俺は抱えていたラケットケースを彼女に見えるようにずらし、ここが自分の秘密の練習場であることを伝える。彼女はそれをちらりと伺った後、また目を反らした。

「じゃあ貸して」
「ああ、うん、もちろん」

にこりと笑みも添えてみたが、彼女には勿論見えなかったことだろう。

練習をしにきたと言った手前、実践しなければならない。俺は跳ね返ったボールが彼女に当たらない位置に立ち、軽く壁打ちを始めた。
いくら大した力で打っていないからと言っても、跳ね返るボールは小気味好い音をたてる。それに合わせて俺は、出来心という言葉のままに、それでもなるべく軽く聞いた。

「どうして泣いてるんだい」
「……」

返事は当たり前というか、無言だった。
しばらく辺りにはボールの音だけが響く。
パコン パコン
ああ俺は確かにラケットを握り、テニスのために身体を使っている。
この幸せは、何度味わっても薄れない。

「ふら――」

音の合間に、彼女の声が紛れた。

「え?」
「……フラれたの、彼氏に」
「そう、なのかい?」

思わず振っていた腕を止め、目を見張る。そして同時にあまりに無神経な事を言ったことに反省した。
彼女に恋人がいたことにまず驚き、泣いていた割になんとも思っていないような、事実だけを述べるようなその口振りにまた驚いたのだ。

「薄々わかっていたことだけれど、」
「いざフラれると結構悲しいわ」
「覚悟はしてても」
「不思議ね」

まるで言い訳するように捲し立てる彼女は、最後にポツリともう一つ「私だって泣くのよ」と言って膝の間に顔を埋めてしまった。
そんな彼女を見て俺は再び後悔していた。やっぱり何も言わずに壁打ちを続けるか、彼女を見つけた時点で引き返せば良かったのだと。そうすれば傷心の彼女を再び傷つけることはなかったのに。

「ごめん」
「……なにが」
「そんなことを言わせてしまって」
「私が勝手に言ったの。あんたは関係ない」

くぐもった涙声はどこまでも鋭いが、そこに優しさが含まれているような気がして驚いた。というか、そんなことを思う自分に。

「君は、優しいのかい」
「……少なくとも本人に聞くことじゃないわね。……でも、」
「でも?」

確かにそうだと口の中で呟き、肩を少しすぼめて、まるで考える素振りをしているような彼女の言葉を促した。するとそろそろと赤い顔を上げ、俺をジッと見据える。

「私が優しかったら、今の私は泣いて無いわ」
「それは……」
「そういうことよ」

そして彼女はふっと笑い立ち上がると、目元を力任せに拭い俺を睨み付けた。

「この話、他にしたら許さないから」
「うん、もちろん」
「そう、ならいい」

その時ふと、ああ彼女は他人が怖いんだと思った。
他人とどう接していいのかわからないから必要以上に突き放して、そうやって自分を守っているんだ。と、そんな普段なら絶対に思わないことを。
俺はなんだか無性にどうしようもない、焦燥感にも哀愁にも似た気持ちが込み上げてきて、思わず彼女を抱き締めた。
彼女の背が揺れた。ああ、動揺している。小刻みに震える肩からそれが伝わってきた。でも俺も同じように動揺して、緊張しているから、どっちの震えなのかもうわからない。

「止めて」

彼女は言った。「放して」 だけど俺は腕を下ろせない。自分でもわからないのだ。なぜ彼女を抱き締めたのか。

「ごめん」
「放して」

俺の小さな呟きと彼女のはっきりとした声が重なる。それでも二つの言葉は混ざることなく響いた。
わからない。なぜ俺は彼女を放そうとしないのだろう。わからない。けど彼女を放せない。
じんわりと彼女の体温が伝わってきた。それは、俺の予想に反して、ひどく――、

「放して!」

どんっ、という衝撃の後俺は尻餅をついていた。思わず目を白黒させ彼女を見上げれば、肩を怒らせた彼女がこちらをしかと見据え声を張り上げる。

「止めろ! 触るな! 入って、入ってくるな!」

そして彼女は逃げるように、というか文字通り逃げていってしまった。
残された俺はぽかんとした後、自分の手を見つめた。
なぜ俺は彼女を抱き締めたのだろう。放せなかったのだろう。
なんだかさっきからそればかりだ。でも考えずにはいられない。
なんで、なんで。
なんとなく手を夕陽にかざすと、その暖かさが手を包んだ。
ただ言えるのは、彼女の身体がひどく冷たかったということだけだ。


―――――――――
過不足 さんに提出。
やたら長くてよくわからなくてごめんなさい。
あとキャラがry

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -