正午を過ぎたばかりの学食の喧騒は、常闇からすれば雑音に過ぎない。
賑やかなのを厭うわけではないが、静かで、かつ薄暗がりを好む彼にとって、やはり居心地がいいものとはいえなかった。
友人を待つのでなければ早々に昼食を済ませ、どこか静かなところへ行くところだが、その時ばかりはクラスメイトとの約束がある。障子と口田を待つ常闇は、腕を組みながらぼんやりと窓の外を見るのだった。
休日にも関わらず忙しなく行き交う学生たちの様子を見ながら、この後の予定に思いを馳せる。宿題を終わらせたら、訓練所の一角を借りて自主練をしようか。2人が暇なら協力を呼びかけても良い。
思案を巡らせていると、ふと聞き覚えのある甲高い声を耳にした。

「あっ、常闇。ここ空いてるノコ?」

顔を上げた先には、同じヒーロー科の小森希乃子が空席を指差して立っていた。
真っ直ぐな前髪で両目が隠されており、表情の全ては窺えないが、きっと満面の笑みで訊ねているのだろう。そう思える愛嬌があった。
常闇の周りには5つの空席がある。このあと来る2人ことだけを考えれば、譲るだけの席はあった。
「3人までなら」、そう静かに告げると「良かった!もう1人来るの!」と朗らかに喜んだ。
「荷物置くね」と、キノコの刺繍されたトートバックを常闇と対角の席に置き、中からキノコ柄の財布を取り出す。受取口の方をキョロキョロと見回して、「あっ」と声を上げた。
こっちこっちと手を振る方向に、自然と常闇の視線が向けられる。

「より子、こっち!」

そこには、【サラマンダー】こと宮下より子が、わずかに目を見開いて立ちすくんでいた。
ぴたりと止まって動かない宮下に、小森は「常闇たちと一緒の席」と言って着席を促す。何か言いたげな宮下の言葉を待たずに、注文口へとさっさと行ってしまった。その様子を恨めしそうに見つめては、観念して常闇の方を振り返る。
一瞬絡まった視線を無理やり外し、空いている席を見渡した。
小森のトートバッグをわざわざ移動させ、常闇とは対角の席につく。
喧騒の中に小さな静寂が生まれた。
宮下とは、合同演習で一度ペアを組んでから再び話す機会はなかった。あれから何度かB組との演習やら寮での集まりやらがあったというのに、彼女との接点は皆無である。他クラスの女子と思えば妥当な距離だが、ただ一度の関わりが魚の小骨のようにいやに引っかかっている。
常闇は何か話しかけようかと頭を捻るものの、気の利いた話題が思いつかず押し黙る。
こんな時、賑やかなクラスメイトを思っては些か羨ましく思う。上鳴や峰田であれば話題はともかく相手を口説くかのように話すだろうし、飯田は理路整然と話を進める。切島や一見無口な障子は、あれでいて話題を振るのがうまいし、緑谷なら“個性”やヒーローのことで聞きたいことだらけだろう。何なら、女子がいるのが一番良い。
しかし、ここには常闇と宮下以外誰ひとりいない。
ふと、彼の“相棒”ならばと思ったが、すぐに胸の内で否定した。こんなくだらないことに“個性”を使うなど、彼の美学が許さない。
さてどうするかと彼女の様子を窺うと、再び視線がかち合った。常闇は慌てて言葉を探すが、先に口を開いたのは宮下の方だった。

「あの」

たっぷり時間をかけて、次の言葉を紡ぐ。
常闇は根気よく待った。

「わたしはここにいるので、食事をとってきたらと」

それきり、むっつり黙ってしまったので彼女の言い分が終わったのだと悟った。
その提案は今の常闇にとって驚くほど魅力的で、そう思った自分にも心底驚いた。

「友を待っている。気遣いはありがたいが、俺がここを離れるわけにはいかない」
「……そう」

再び訪れる沈黙に、常闇はいよいよ参った。
元来、彼は静寂を好むはずだった。それが人ひとりいるだけで、B組のよく知らない女子というだけで、こんなにも居た堪れなくなるものだろうか。他の誰か──それこそ小森ならもう少し賑やかになるだろうし、たとえB組の誰であっても何かしらの話題が生まれるはずである。
だというのに、この氷を敷き詰めたような空気はなんだというのか。
腕組みの姿勢を崩さないまま、宮下を盗み見る。スマホをいじるでも、食事に手をつけるでもなく、人の流れる様子をじっと見つめている。暇を持て余すというには、凛とした横顔に思わず目を奪われた。
「見目良い」と、さほど美醜にこだわらない彼でさえ思う。憂いを帯びた長いまつ毛に、きゅっと結ばれた薄紅色の唇。しゃんと伸ばされた背筋には、彼女の育ちの良さとしっかりした品性が感じられ、素直に好感を持った。初めて会話を交わした時は能面のようだと思った表情も、こうして見ると美しく思えるものだ。
視線を感じた宮下が常闇の方を向いては、ばつの悪そうに目線を外す。
図らずもじろじろと見てしまった思慮のなさを恥じて、誤魔化すように言葉を発した。

「俺のことは気にせず、食べたらいい」
「……希乃子を、待っているから」

そうは言っても、混雑する昼の学食である。そうそう帰ってくる様子はない。
相変わらず最低限の会話で終わり、再び沈黙が訪れる。かと思いきや、常闇はそれを許さなかった。

「人見知りなのか?」

口をついて出たときには、すでに後悔していた。
「嫌われているかもしれない」という微かな懸念を自ら穿り返す言動は、浅はかだった。それでも聞かずにはいられなかったのは、単純に彼女への興味としか言いようがない。つまり、わずかな可能性の方にかけたかったのだ。
ぴったりと固まったままの宮下から、返答は恐らくない。
「後悔先に立たず」と彼は胸の内でひとりごちて、言葉をつなげる。

「……先日からずっと思っていたのだが、口数が少ないのはそういう性質なのか?」
「ずっと……?」

あからさまに眉根を寄せる。常闇が弁明の言葉を探し当てる前に、異変は起こった。
すかさず宮下が両手で口を覆い、常闇は既視感を覚える。
思った通り、指の隙間からは黒い煙が烟った。以前よりは少量に抑えられた黒煙だったが、常闇を焦せらせるには十分だった。

「すまん。気を悪くしたなら──」

煤のついた右手を向けられ、静止させられる。

「あまり……見ないで……」

あまりに弱々しく吐かれた一言に、常闇の胸はどきりと揺らいだ。
触れたら壊れてしまいそうな儚さがあって、それきり何も言えなくなる。
自分の弱いところを風が通り抜けたかのような妙な気分だった。
俯いていて表情は窺えないが、じろじろ見るのも憚られて、窓の外を見やる。反対側が気になって景色など目に映らなかった。
小森はまだ戻らないのだろうだろうか。障子と口田はまだ来ないのか。間もなく現れる友人たちの到着を、必死に願うのだった。
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