常闇踏陰は困っていた。
午後、クラス合同訓練の演習場である。そこにヒーロー科A組とB組が集い、クラスを超えた対抗戦が行われていた。
ペア同士での反省会が行われる中、常闇は持て余した視線をあちこちに向ける。熱烈に意見を交わす者、直面した課題に唸る者、失態を詫びる者など、それぞれが限られた時間を有意義に過ごしていた。
たっぷり時間をかけて周囲を伺ってから正面に戻す。目の前には能面のように表情を固めた女が、俯きがちに座っている。
宮下より子。B組の彼女と話すのはこの日が初めてだった。大人しめの印象の強いB組女子の中でもとくに目立たず、ペアを組むまで何度か見たことがあっただろうかと記憶を辿るほどである。実際、常闇はほとんど思い出せなかった。
話すと言っても、作戦会議から今に至るまで会話などあってないようなものだった。肯定の「うん」に次いで否定の「いえ」で会話はほぼ終わる。それで終わらなければ、ようやく彼女の意見というものがあった。
常闇も決して多弁ではなかったが、彼女を前にしては饒舌にならざるを得ない。
今だって宮下は常闇の言葉を待っている。まるで自分の発言を恐れているようだと彼は思った。
試しに少し待って見せた常闇だったが、結局彼のほうが先に根を上げた。
ため息を吐きかけて飲み込む。

「……先の連携だが」

常闇がそう切り出すと、宮下は黙ったまま視線を向けた。
黄金色の鋭い眼光を感じながらも、あくまで淡々と続ける。

「先に断らなかった俺も悪いが、黒影のそばで火を使われると行動に制限がかかる。チームアップを想定するならば使いどころを考えるべきだ」

彼女には火を吹く能力があった。
先ほどの訓練で、咄嗟に吹いた火炎に黒影が怯み窮地に陥る場面が生じたのだ。その場は立て直したものの、そのあとの連携がうまくいかず敗北を刻んだのだった。
一見相性の悪い二人に思えたが、彼女の“個性”は火炎放射がメインではない。
見目良い少女の四肢は滑らかな肌ではなく、規則正しい鱗が薄く浮かんでいる。引き締まった小尻には長くうねる尾が垂れ下がっていた。極めつけに、縦に細長い瞳孔が対峙する相手を射抜くのである。
彼女は母方から受け継いだ「爬虫類」の特性と、父方の「火炎」の複合“個性”だった。自らを【サラマンダー】と称するゆえんである。

問題点を簡潔にまとめた常闇に、宮下はハッと目を見開いたかと思うと、すぐに元の能面を貼り付けた。

「……すみません」

そう告げてまた俯く。長い睫毛が被さり、さらに表情が陰る。
炎に耐性のある宮下と、炎を使われなければ遺憾無く力を発揮できる常闇ならば、轟にも対抗できると提案したのは宮下である。自身の失態に気落ちするのは無理からぬことだった。
しかしそれは、ジェボーダンこと宍田獣郎太の接近に気づいた咄嗟の判断である。
荒々しく突進する彼から守るすべは火炎放射だけだった。少なくとも、その時はそれしか思い浮かばなかった。

「俺が二人を引きつけることで、お前がフリーになる。逆も然りだ。あれくらい自分で何とかできなければという暗黙の了解だった。違うか」

「いえ」と宮下は首を振った。
饒舌になる自分に気づいて、再び常闇は口を噤む。
常闇のほうこそ、彼女を手放しに責められるほど完璧ではなかった。思い返せば悔やまれる行動は多々あるし、宮下を気にかけすぎて自ら行動を制限してしまった点において、彼女と同類なのである。
「慣れない相手との共同作戦」が主の演習内容にまんまと嵌ったのだった。
それきり妙な沈黙が生まれて、彼はまた気を揉んだ。

「それほど脆弱に見えるだろうか……」

口に出したつもりはなかったが、彼の言葉はしっかりと宮下に届いていた。やはり彼女は何も言わない。
思わず零した弱音を恥じて、常闇は再び周囲を見回した。今は「ふり」だけで、周りの状況など頭に入らないまま視線を戻す。
と、思いもよらぬ光景が目に入り、ぎょっとした。

「えっ」

宮下の口から黒煙が上がっている。
能面のようだった表情が嘘のように、整った眉を顰めている。

「宮下……?」

常闇のようすに、宮下は初めて煙に気がつき、口元を押さえる。しかし手の隙間からもくもくと烟っていた。
二の句が継げないでいると、「全員集合」の号令が上がった。反省会終了の合図だ。
ぞろぞろと移動する人波を気にしながら宮下を窺うと、黄金色の瞳が「はやく行って」と訴える。
釈然としないまま、常闇は人の流れに沿う。宮下も静かに続いた。
間もなく黒煙はおさまったものの、元の無愛想な口元と細い指に煤のついたままなのを、彼は訝しげに見つめた。






「より子!」

背後の声に振り返ると、クラスメイトで爬虫類仲間の取蔭切奈がいた。
「先に行っちゃうんだもん」とぼやく彼女とは、中学校からの同級生でもあり、気の知れた一番の友人である。まるで心を盗み見るかのように、寡黙な宮下の真意を汲み取ってくれるのだった。

「どうだった?」

そんな取蔭が短く尋ねる。何のことだかはすぐにわかって、言葉を濁した。

「とくに、何も……」
「とくにってことはないっしょ!」

素っ気ない返事とは裏腹に浮かない顔をするのを、取蔭は見逃さなかった。
宮下の二の腕に両腕を絡ませ、せがむように肩を寄せる。
歩きにくさに立ち止まると、とうとう観念した宮下がぼそりと呟いた。

「演習で失敗してしまったし、それに……」

たっぷり時間をかけて言葉を探す。
慣れっこの取蔭はのんびりと宮下の返答を待っている。

「煙を吐いてしまったの」
「煙なんてしょっちゅう吐いてるじゃん」

あっけらかんと言う取蔭だが、宮下はなおのこと表情を曇らせる。無論、これは取蔭にしかわからない変化で、赤の他人から見れば相変わらず仏頂面なのだった。
絡まる腕をそのままに歩調は緩めず、微かな声で「怒ってるかもしれない」と零した。

「怒るって、訓練のこと?煙を吐いたこと?どっちにしたって、すぐ怒るような器の小さい男、こっちからお断りじゃない?」

そう言ってすぐに、取蔭は「しまった」と思う。
むっつりと押し黙る宮下の瞳に、悲哀の色を見た。
軽率な言動を戒めては、宮下の腕をぎゅうと抱きしめる。

「ごめんごめん。言葉の綾だって。そうそう怒るような奴じゃないでしょ」

宮下より子は恋をしていた。
取蔭がそれに気づいたのは偶然のことで、何気なく「A組に好きな男いるでしょ」とカマをかけたところ見事に当ててしまったのだ。しかしそれが、イケメンと称される轟や様々な意味で目立つ爆豪ではなく、常闇だというのは流石の取蔭も驚いた。
「どこが好きなの?」と聞いても濁されるばかりで、これといって要領を得ない。
親友の浮いた話にそわそわと期待する取蔭だったが、当の本人は素知らぬ顔で「失恋をするくらいなら隠し持ったままでいい」というスタンスを続けている。
彼女特有の冷めた熱視線を見るたびにやきもきした思いでいるのだった。


一方、A組では──
合同演習の話題に花を咲かせる中、一人浮かない顔があった。
もともと、表情の抑揚が少ない常闇だったが、入学当初から右隣に座る口田は彼のわずかな機微を覚った。
「何かあった?」と尋ねる口田に、常闇は散々頭を悩ませ、言葉を選び、ようやく一言を絞り出した。

「怒らせるようなことをしてしまったのかもしれん……」

春待つ少女の雪解けの日は、もうしばらく先になりそうである。

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:::::::20210118 少し修正
「ウンディーネの微笑み」と同夢主でした。
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