傘の中で聞く声が、一番綺麗だと聞いた。
それを知ってか知らずか、ほんの二センチの距離を隔てた隣人は、その多弁な口を閉ざして沈黙を持て余している。
黒傘の弾く雨粒だけが、細やかな静寂を笑うようにパタパタと音を刻んでいた。
時刻は午後六時二十分。ついさっき見た時刻表示なので実際はもっと夜に近づいているはずだ。だというのに、陽の落ちる気配がまるでない。
ひとつの季節が終わろうとしているのだ。
彼女は何を思うのだろうと常闇は口を開きかけたが、早々に諦めた。静寂をくだらない衝動──あるいは欲望──で、壊してはならない。
しかし、そんな葛藤をものともしない様子で、沈黙は破られた。

「今年は梅雨が長いね」

その声はまるで弾かれた雨粒のようで、本当に彼女から零れた言葉だったかと考えずにはいられなかった。
少し遅れて、

「そういえば、そうかもしれない」

などと、つまらない言葉が口に出る。
決して饒舌になりたいわけではないが、自身の分身であればもっと愉快な返答ができただろうと常闇は思う。その方がきっと彼女は喜ぶだろう。
しかし安易に“彼”に頼ることはしない。それがこの世界のルールであり、彼にとっての美徳でもあるからだった。
しばらく無言が続き、ふと思い立って口を開く。

「蛙吹は毎日調子が良さそうだ」
「あすい……?」
「蛙の“個性”の」
「ああ、梅雨ちゃんね」

彼女が口にしたのは聞き馴染みのある名前だが、常闇がそれを呼ぶことはない。信念やこだわりではなく単純に照れからで、現に隣を歩く少女の名さえ呼べないでいる。

「梅雨ちゃんには悪いけど、洗濯物が干せないのは困るなあ」
「そうとも言っていたな」
「あはは、微妙な心情!」

それからとりとめのない会話が続くと思えば、再び静寂が訪れる。
それを残念に思いながらも、この静かな世界が嫌いではなかった。
パタパタと鳴り響く雨音。通り過ぎる車の水しぶき。水たまりに広がる波紋。景色を彩る全てが作り物のようだった。
不覚にも世界でたった二人きりのように覚え、自分はこんなにもロマンチストだったろうかと自嘲する。
小気味好い音を奏でていた雨音が少しずつ小さくなる。大きな雨粒はか細い線となって、しとしとと降りそそぐ。
雨足が弱くなった。そう告げると、少し残念そうに見えたのは常闇の願望だったかもしれない。
彼女の家が見える前にこの雨は止むだろうか。彼はそんなことばかりを気にしていた。
ふと、宮下は腕を傘の外に出した。常闇は慌てて傘を寄せたが、彼女の長い腕が覆われるはずもなく、白く細い腕はいとも簡単に濡れそぼる。
濡れるだろう、と分かりきったことを言えば、にっこりと目を細めた。

「夏がくるね」

その一言で、彼は新しい季節の始まりを知った。

:::::::20190918
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