初恋は成就しないと聞いたことがある。
呪いのようなその言葉は、わたしにとって何の呪縛にもならない。実ってほしいなどという高望みをする方が間違っているからだ。
そもそも、これは恋なのか。そう問えば、十人中九人は「はい」と答えるけど、わたしはというと「いいえ」を選択する。
恋であってはいけない。
どんな時も、きりりとした表情を浮かべる彼は密かに憧れを抱く人。その彼を遠くで見ているわたし。
それだけで十分だった。



「C組の、心操っているじゃん。ほら体育祭でトーナメント行ってた奴。あの子、ヒーロー科の編入試験受けるんだって。え?いや、噂ってだけだけど。同じクラスの子に聞いたからホントなんじゃないのかなあ。なんかヒーロー科の先生のとこによく行ってるって話。編入試験てさ、ヒーロー科の実技に混ざるらしいよ。そーゆーシステムがあるって言ってもさあ、ヒーロー科と同じ授業ってやばいよねえ。何度も敵と渡り合った奴らとだよ。いくらヒーロー目指すって言ってもねえ」

そう言って、再び「やばいよねえ」と呟いた。
周りで聞いていたクラスメイトたちも「ヒーロー科に編入するらしいC組の心操くん」の話題で持ちきりだった。クラスメイトの中にもヒーロー科を希望していた子がたくさんいるらしいので、当然かもしれない。
しかし“無個性”で、端から普通科志望のわたしには全く関係のないことだった。
ささやかな接点を除けば、わたしはヒーローとは一番縁遠い人間なのである。だからと言って、別段卑下するようなことではない。“無個性”でも何不自由なく生きてきたのだから。
ヒーローを目指し、ヒーロー科に進学した思いびとを半ば追いかけるかたちで、選んだ高校。我ながら志望動機が不順だが、偏差値が高く、将来有望な子どもたちが集まり日夜励む名門校というだけで学歴に箔がつく。両親から反対されるようなこともなかった。
ただ、ヒーロー科、サポート科、経営科が連なる中、あえて普通科を選びヒーローとは無縁の生活を送る生徒はさすがに珍しいのかもしれない。
とはいえ、そのあまりにもちっぽけな接点ですら消えかけようとしていることに、実は少し焦っている。
ここ最近、常闇くんの姿を見ていなかった。
入学当初こそ見かけたら挨拶する程度だったけれど、見かける回数が増え、会話することも増え、挙げ句の果てには一緒に勉強をすることになろうとは、教室の隅から彼を盗み見るだけだった中学生のわたしには思いもよらない事態だ。
思えば、自惚れていたのだ。
そうじゃなければ、しばらく常闇くんを見かけないだけで、こんなに落ち着かないはずかない。
“無個性”でヒーローとは無縁のぼんやりと生きているわたし。
強い“個性”と、それに見合うだけの強く高い志を持った常闇くん。
釣り合うはずがないのだ。生きる世界も違う。入学してから少し関わりが多くなっただけで、なんとなく浮き足立っていた自分が恥ずかしい。
しかし、こうも見かけないとなると別の意味で不安にもなってくる。特に全寮制になってから常闇くんと会う機会が格段に増えたというのに、最近はさっぱりというのが妙だった。実はわざわざA組の前を通ったり、ヒーロー科の人たちの近くを探したりと、我ながら必死だったというのに常闇くんの姿は認めることができなかった。

ヒーロー科の生徒の一人が敵に誘拐されたのは、ついこの前のことだ。
全寮制になるきっかけとなったその事件は、ヒーローたちの活躍による救出劇で幕を閉じた。オールマイトの引退という代償を残して。
学生と言っても、ヒーローを目指す彼らにはいくつもの危険が伴う。強く、ヒーローになるべくして生まれたような常闇くんでも、それは変わらないはずだ。
敵関連でなくても、学内の訓練で怪我を負うことだってあるかもしれない。
彼に何かあったのではないだろうか?
そう考えはじめると、居ても立っても居られない──と、言いたいところだが、わたしには何もできやしない。
所詮、生きる世界が違うのだ。
いつものように、昇降口を抜けて学生寮への帰路を辿る。自然、1年A組の前を通りすぎ──ようとしたところだった。

「あ」

目の前に現れた、きりりとした眼光。
思わずこぼれ出た間抜けな声に怪訝な顔をすることもなく、相変わらずの涼しげな声色で応える。

「久しいな」
「えっ、あっ、うん…!久しぶり…!えっと…」

破裂しそうな鼓動の奥底で確かな安堵が芽生えた。
見る限り、怪我をしているような印象は受けない。実際のところは知りようはないけれど。
わたしの心情を見透かしたかのように、常闇くんは「何かあったか?」と首を傾げる。

「ううん、なんでもないんだけど、最近見かけなかったから、その、何かあったのかなって……いや、きっと忙しいんだろうなって思うんだけど」

常闇くんは「ああ」と二、三回の瞬きをして「インターンに行っていた」と続けた。

「職場体験に行っていたところに、再びまみえることになり、暫く福岡に滞在していた」

福岡!
いや、それよりもインターンだなんて!
インターンということはヒーロー事務所で働くってことなのかな、と尋ねると「無論」ということだった。まだ高校一年生だというのに、そんなすごい経験を積めるものなのか。
聞くところによると、ヒーロー科には「ヒーローインターン」という制度があり、志望している事務所の了承があれば一年生からでも受けることができるという。それでも、三年や二年の先輩はともかく、クラスメイトでインターンに行っている人は数える程度で、常闇くんはその中の一人なのだった。
やっぱりすごいんだなあ。
そう思う傍ら、当の本人はなんとなく表情が暗いような気がした。話す口ぶりが心なしか重々しいような。

「常闇くん、元気ない?」

しまった。
そう思ったときには遅く、常闇くんは驚いたように瞼を広げてわたしを見る。

「ご、ごめん。疲れてるに決まってるよね……!なんか、いつもと違うような気がしたから。全然そんなことなかったら、それでいいんだけど……」

我ながら何を言っているのかわからない。
失言に失言を重ねているような気がして、その場から逃げ出したい衝動に駆られる。
「忙しいとこ引き止めてごめんね。じゃあね」とか言って、颯爽と去ることができたら良かったのに。
それができないのは、できるだけ話していたいという細やかでよこしまな願望だけだろうか。
そんなわたしの葛藤を知ってか知らずか、常闇くんはフッと笑って言う。

「俺はそんなに分かりやすいか」

どことなく、自嘲的な笑みだと思った。

「職場体験やインターンに行って、やはりプロヒーローの前では、俺は未熟なのだと思い知らされた。思い上がりがなかったと言えば嘘になる。俺はまだまだ、あそこには届いていないのだと思って……少し、気落ちしていた」
「そんな」

そんなことないよ、と言おうとして口を噤む。そんな、無責任なことは言えない。彼の奥深いところに、わたしがやすやすと踏み込んではいけない。そう思った。
──でも。

「でも」

鋭い目がわたしを見る。

「自分の弱いところを認めるところ、すごいと思うの。そうやって、努力を重ねて強くなるんだと思うし、それに、そんな常闇くんが──」

格好良い。
それは言葉にならなかった。
できなかったのだ。考える間もなく口から勝手に出てきた言葉たちに、それは混ざることを許されなかった。
言ってしまったら、理想の未来に戻れなくなる。
突然言葉を止めたわたしを少し不思議そうに見たあと、彼はキリッと正面を見据えた。

「宮下の言う通りだ。勇往邁進こそヒーローのあるべき姿。己を省みて、ここから前に進むのだな」

そうして「心遣い痛みいる」と、笑いかける。
とうとう何も言えなくなって、変な沈黙が訪れた。
常闇くんが辿り着くべき未来に、わたしも行きたい。そんなことが不意によぎってしまった。

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