「……どういうことだ?」

踏陰の問いに、なんでわかんないの!と少年は怒ったように言う。

「だーかーら!ママがね、コンヤクユビワ壊しちゃったんだってば!」

だが、どれだけ力説されようと彼の理解の範疇を越えていた。コンヤクユビワ──婚約指輪が壊れることと子どもが過去へ来ることが、どうあっても結びつかない。

「だから、どうしてお前が過去へ来なければならないんだ」
「……うーんと、ユビワが壊れちゃって」
「ああ」
「ママ、すごく悲しんでて」
「うん」
「それで、こんなことなら、コンヤクユビワをなかったことに」
「ちょっと待て」

突然の制止に、少年は目を丸くさせた。
踏陰はしばらく言い淀み、しかし考えのまとまらぬまま少年に問い詰める。

「なかったことにだと?それは、つまり……なんだ、プロポーズしようという父親の婚約指輪を奪ってやろうとでも言うのか?」
「うん!そういうこと!」
「いや……待て……」

踏陰は頭を抱えた。
自分とほぼ同じ顔で向けられる満面の笑みに、どう返したものかと思案する。

「壊れた婚約指輪が原因なのはわかった。しかし、いくらなんでもそれはない。それはないだろう」
「なんで?」
「……婚約指輪がどんなものだか知っているのか?」

彼だって、それがどんなものかを詳しく知るわけではない。婚約をするためのもの。プロポーズに使うもの。2人を繋ぐもの──信じられない話だが、未来の自分にも婚約指輪を渡すときがくる、ということになる。
一世一代の婚約を邪魔されるなどたまったものではないことは、今の踏陰ですら想像に容易い。
いまいち分かっていない少年に、どう説明したものか。

「婚約、つまり、結婚をする約束のために渡すものなんだ。それを無理やりなくしたら……どうなる」
「えーと、結婚できない?」
「その通りだ」
「結婚できないなら、おれは?」
「生まれないな」
「ええっ、そんなのやだ!」
「知らん!」

あまりに馬鹿な、もとい、無垢すぎる少年が自分の子どもだとは俄かには信じがたかった。しかし、自分の子どもだという証拠がないのと同様に、彼の存在を否定する証拠はどこにもない。
踏陰が深いため息をつくと、目の前の少年の背筋が心なしか伸びる。

「そもそも、過去にまで来る必要はないだろう。一言、謝れば済む話だ。それとも、お前の父親はそんなことで怒るような男なのか」
「ううん、パパがママに怒ってるのなんて見たことないよ」
「それなら、こんな馬鹿な真似をすることはない」
「でも……ママ泣いてた……」

しょんぼりと項垂れる少年。どこか間が抜けているが、素直で良い子なのである。
踏陰は居たたまれなくなって、頭を掻いた。
真っ黒い毛髪から嘴の先端までそっくりな子どもが、うるうると涙ぐんでいる。自分の子どもとは到底思えなかったが、赤の他人ともやはり言い難い。弟がいたらこんな感じだろうかなどと他愛もないことを考えた。
ふと、彼は頭に引っかかっていたことを口にする。

「……ずっと気になっていたのだが、どうせ戻るのなら、プロポーズする時ではなく指輪を壊す前に行けばよかったのではないのか?」
「えっ」
「……いや、まさか……」

その、まさかだった。
少年は──母親、もしかしたら時間移動能力を持つ知り合いとやらも──重要なことに気づいていなかった。すなわち、壊れること自体を阻止するということである。
すっとんきょうな声をあげたのち、少年は嬉しそうに目を細めた。

「そっかあ〜!それもそうだ!」
「普通はそうすると思うが……」
「じゃあ、これで、ママは泣かなくて済むね!」
「いや、待て」

嬉々として言う少年に、踏陰は再び制止をかける。

「お前はもう過去に行く必要はない。ちゃんと本当のことを言うんだ。俺が父親なら……きっと許すし、母親を責めたりしない」
「でも……」
「わからないか。隠された方が、悲しいんだ」

まっすぐに見つめた瞳は、真剣な眼差しで応える。

「……わかった。ちゃんと言う。ママを説得する」
「そうか、偉いぞ」

不意に口についた言葉に、少年は「ふふ」とこそばゆそうに笑った。あまりに無垢な表情に、踏陰は顔を背ける。

「じゃあ帰るよ」

またね、と少年はフードを被りなおし、にっこりと目を細めた。
ふと、踏陰は彼の母親のことが気にかかった。彼の言うことが本当なら、いずれ出会う婚約者ということになる。すでに知っている人物という可能性もないとは言えない。婚約指輪を壊して泣くほど──過去を変えようとするほど──後悔するような女性と巡り会うのだと思うと、妙な気分だった。
そもそも、少年と出会ったことで未来に影響はないのだろうか。少年がまだ「存在している」ということは、未来に変化はないのだろうか。
──などと思案しているうちに、得体の知れない煙が踏陰を包み込んだ。
奇妙な匂いに思わず顔をしかめる。急激な眠気に、踏陰は立っていられずしゃがみ込んでしまった。
朦朧とする意識の中、遠くから少年の声が聞こえた。

「へへ、もしもパパにバレちゃったら使えって言われてたんだ。……昔のパパはおれのこと忘れちゃうけど、また未来で会おうね」

踏陰のまぶたは落ちたきり開かなかったので、少年の姿を二度と見ることはなかった。
親の顔を見てやりたい。そう思ったところで、踏陰の意識は途絶えた。
:::::::20171204
最後は未来の薬で、きれいさっぱり忘れるということをここに補足しておきます。
いろいろと好き勝手かきました。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -