ガッチャン!と異音がして、思わず自転車を止めた。足元を見ると、たるんだチェーンが頼りなくぶら下がっている。ペダルを踏んでもから回るばかりで、チェーンは動かない。
──最悪だ。
一日何事もなく平穏無事に過ごせたと思ったのに、最後の最後でこれだ。
中学校に上がったばかりのころに買ってもらった自転車だったから、まるまる三年ほどの年季の入ったママチャリだ。たまにしか乗らなかったために生き長らえていたのに、高校の通学に毎日乗るようになって、ついにガタがきはじめたらしい。チェーンが外れるということは、そういうことだろう。
一度だけ大きな段差でチェーン外れを体験したが、あのときもとんでもない災難だった。手は汚れるわ痛いわで散々な気持ちになりながら、結局直せないまま歩いて帰ったのだった。
そもそも、元に戻すには長さが足りない。いったいどうやって外れたというのか。
自転車を道の脇に寄せ、横に屈む。試しにチェーンを引っ張ってみるが、引っ掛かる気がしない。

「ああ、もう」

ため息混じりに呟いた。その時──

「何をしているんだ」

聞き覚えのある声。
まさかと思い振り返ると、そのまさかなのだった。

「と、とこ……」

西日を背負って立っていたのは、憧れの人だった。小学校から知っている彼は、同じ雄英高校に通うヒーローの卵。小学校から同じとはいえ、わたしと彼とでは雲泥の差がある。
もしくは、月とすっぽん。
ヒーローと無個性。
かたやヒーローになるべくして生まれたような個性の持ち主なのに、釣り合うような個性はおろか何も持たずに生まれたことを悔やんだことはない。むしろ、何も持たないわたしが彼と出会えて、同じ学校に通えて、会話を交えるだけでも儲けものなのだ。神様ありがとう。お父さんお母さんありがとう──

「どうした?」
「あの、ええと、その」

──なので、このように突然ばったり出会うイベントは御免被りたい。
いや、嬉しい。ほんとうは飛び上がるほど嬉しいのに、気持ちが追いつかず挙動不審になってしまう。恥ずかしさしかない。
思わずどもるわたしに、常闇くんは鋭い瞳を向ける。若干首を捻るしぐさが、かっこいいのにかわいい。ずるい。

「自転車……チェーンか」
「えっと、うん、突然外れて……」

ママチャリをまじまじと見る常闇くん。稀少だ。
あんなにかっこいい自転車を持つ常闇くんに、こんなボロボロなママチャリを見れられるのはちょっと恥ずかしい。チェーンの外れた自転車はその存在意義すらあやしく、彼のと同じ自転車としてカウントしてはいけない気がする。
常闇くんは「ちょっと待て」と言い、目の前に屈む。チェーンをいじる音がした。

「えっ、待って、いいよ、手が汚れちゃうから!」
「問題ない」

そうは言うものの、常闇くんの手をわずらわせるわけにはいかない。
後ろから常闇くんに近づき、手元を覗き見る──

「あっ」

彼の目の前に二本の黒い腕が伸び、チェーンをカチャカチャといじっている。彼の個性、ダークシャドウだ。

「すごい。そんなこともできるんだ」
「容易いことだ」

ダークシャドウ──もとい、常闇くんはあっという間にチェーンを直してしまった。彼の手が汚れなかったことに、何よりも安堵する。

「ごめんね。ありがとう」
「大したことはしていない」
「大したことだよ。自転車引きずって帰らなきゃって思ってたところだし……ダークシャドウくんも、ありがとう」

常闇くんはフッと笑って、背中を向ける。かっこいい自転車に股がって振り向いた。
西日が眩しい。

「──随分乗っているようなら、チェーンを変えたほうがいい。古いチェーンは伸びきって外れやすくなる」

そう言い残して常闇くんはオレンジの輝くほうへ消えていった。
ついさっきの出来事が、まるで夢の出来事のようにふわふわしている。
──今日はなんて最高の日なんだろう!

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