ケンカをした。
きっかけは些細なことだった。些細すぎて忘れてしまうほどで、今となっては、きっかけよりも「相手の態度が気に入らない」という至極単純なことが理由となるのだった。
はじめ一対一だったケンカは、五対四の言い合いになる。数の少ないほうが不利に見えたが、こちらには常闇踏陰がいた。
踏陰には強力な個性がついている。その強さは少年たちも知るところで、暴力までに至らない抑止力になっていることは彼ら自身理解していた。
だが、それがさらに気に入らない。
なんだアイツ、強いからって。ダークシャドウがいなければ、何もできないくせに。昂った感情は、本人の意思に反して思ってもいないことや、心に留めていたことを吐き出させてしまう。誰かが言えば、そうやって、幼い少年たちのケンカは次第にエスカレートしていくのだった。
「この鳥頭野郎!」
誰かが言った。言うまでもなく、踏陰に向けた言葉だ。
他人とは違う頭部を気にするような子どもではなかったが、悪口で言われれば両親を貶されているようで無性に腹が立った。
「なんだと」
一瞬、黒い影が見える。
「おい、踏陰がキレたぞ。やべえよ」
「ダークシャドウは卑怯だぞ」
「個性使っちゃいけねーんだからな」
そんなことは踏陰だってわかっている。
そもそもケンカなどに黒影を使うつもりはなく、憤った気持ちが黒影をわずかに出現させただけなのだが、幼く、個性の異なる友人たちにはそれがわからない。
ふいに、誰かが思い出したように言った。
「おい、踏陰の弱点知ってるか。あいつの個性、光に弱いんだぜ」
彼らにとっては正当防衛である。踏陰にだって、それくらいは理解できる。
しかし、たとえ脅威にはならずとも、弱点を嬉々として掲げられるのは悲しくもあった。
それぞれが携帯電話のライトを使おうするのを見て、踏陰は「いっそのことお灸をすえてやろうか」という気持ちになる。
なに、日はまだ高いのだし制御が利かないということはない。軽く恐がらせてやるだけだ。──そう思い至った時である。
「おい、やめろよ!」
一人の少年が声をあげた。一斉に視線を向けると、形の良い眉を潜めたまま不服そうに続ける。
「そういうの、よくねえだろ」
「なんだよ晴昇。まだ何もやってないし」
「先にダークシャドウ出したの踏陰じゃん。俺達わるくなくね」
「そうだけど、こんなの嫌だ。おもしろくねえ」
そう言う彼は宮下晴昇といった。踏陰とは別のクラスで、半年前に転校してきたばかりなので、踏陰や黒影のことをよく知らないはずだった。踏陰もまた、彼のことを知らなかった。
「こんなことより、続きやろうぜ。時間もったいねえじゃん」
「そうだけどさ」
「つーか晴昇が最初にキレたんじゃん」
「さっきのやつ、俺のミスでいいからさ」
「それじゃ不公平じゃん。じゃあ最初からやろうぜ。まだゼロ対ゼロだし」
「結局最初からかよー」
ぶつくさ言いながらも、少年たちは校庭じゅうに広がる。再びサッカーの陣形になると、先ほどのまでの気まずさは一変して和やかではつらつとした雰囲気に戻るのだった。
ふと、踏陰のそばに寄ってきた晴昇が、一人言のように語りかけた。
「なあ、気にすんなよな」
「?別に気にしてなど──」
ない、と言いかけて言葉に詰まった。そんなのは嘘だ。あのとき、確かに踏陰は個性を使おうとしたのだ──それが悪いことだと知っているのに。
口を閉ざす踏陰に、晴昇はにっと歯を見せて笑った。
「おまえ、良いやつだな」
「なに?」
「さいしょ、もっとヤなやつだと思ってた。ごめんな」
「おーーい!ボールいったぞー!」
勢いよく飛んだサッカーボールが頭上を越えるのを見て晴昇は「やべえ」と走り出す。三十メートルほど進んだところで、彼は勢いよく振り返り、今度は踏陰に向かってはっきりと声を上げた。
「今度、見せてよ!ダークシャドウ!」
遠くへ消えていったボールを追いかける背中を、踏陰は目眩を覚えながら見つめていた。
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