今まさに、わたしの生涯が終えようとしている。
時刻は午後十一時。人通りの少ない路地である。液体のようなヴィランに突然肢体を拘束されて、助かるなどと思えるほど楽観的ではなかった。
何も語らない相手は、もはや意思の有無さえ不明で、ひたすらにわたしを飲み込んでいく。まるでそれだけが生命の目的かのように。

藻掻こうが足掻こうが、意味をなさないと分かって、わたしはようやく抵抗を諦めた。途端に、のんびりだった侵食が勢いを増しはじめる。
苦しい。
死んでしまう。
相手は殺すつもりなのかもしれないが、それならいっそのこと一瞬で終わらせてほしい。
わたしの願いもむなしく、ささやかな人生を振り返るのには十分な時間を与えられた。
こんな状況で、頭はいやに冴えている。
──公園で遊んだ最古の記憶。小学校の記憶はほとんどないけど、中学校の頃には好きな男の子がいた。高校は別れてしまったけれど。部活に勉強にとそこそこ忙しく充実した日々。苦労して入った大学。そこで、初めてできた彼氏──とは、すぐに別れた。ここで死んだら来週の試験は受けなくて済むが、明後日のシフトはどうなるだろうか。今から死ぬのでバイトやめますと伝えられたら、迷惑にならないだろうか……──
ああ、なんて平凡でとりとめのない日々。こんな人間でも、誰か心に留めてくれるだろうか。両親と本当に親い友人は、泣いてくれるかもしれない。

「……はっ」

わずかな酸素を求めて、荒い呼吸を繰り返す。死を覚悟したつもりでも、醜く生に執着してしまうのは人の性なのかもしれない。

こんなときでもヒーローは助けてくれない。
どうせ彼らはTV上の存在。こんな夜中に、誰も通らないようなところへ助けにくるなど期待してはいけない。
こんなつまらない人間を相手にするほど、暇じゃないだろう。
いっそ一瞬で終わらせてくれたら、こんなことも考えずに済んだのに。
まだ自由のきく右目が、夜空に浮かぶ満月を捉える。薄い雲がかかって、ぼんやりと照らす月光だったが、眩しく思えた。

ふ、と目の前が陰る。
月の光が消えたかと思うと、わたしは宙に浮いていた。

「えっ!」

浮遊感は一瞬で、それから体は重力に従うほかない。
落ちる!と目を瞑ったが、いつまで経っても地面の衝撃はなかった。それどころか、落下感すらない。
恐る恐る目を開くと、そこは地面だった。
自由になった体が信じられずに、両手で全身を探る。どこにも異常はない。
──助かった?
その時、後方から大きな唸り声が聞こえた。振り返ると、数十メートル向こうに先のヴィランが地を張っている──そして──目が合った。

「伏せろ!」

突然の咆哮に訳もわからず身を屈めると、巨大な影が頭上を掠めた。

「ひえっ!?」

思わず声が上がる。同時に、影はヴィランを一撃で仕留めた。短い叫び声が聞こえたきり、ヴィランはびくともしなかった。……死んでは、いないのだろうか。

「怪我はないか?」
「わっ」

背後から声をかけられ、再び変な声をあげてしまう。恐る恐る、振り返ると、そこには鳥がいた。──鳥?

「あ、あの。もしかしてヒーロー、ですか?」
「人はそう呼ぶ」

鳥の顔をしたヒーローさんはなんてこともないように呟く。「他称」ヒーローなんて初めて聞いた。
先程の影が彼の周りにまとわりついて、やがて消えた。これが彼の個性なのだろうか。
──何にせよ、わたしは助かったらしい。

「……泣くぐらいなら、夜中に出歩いた己の過ちを羞じるのだな」

そう言われて初めて、わたしは泣いてるのだと気がついた。悲しくもないのに涙はぼろぼろ溢れ続ける。止める術もなく流れるままに、とにかく頭を下げた。

「あの、あの……ありがとう、ございました」

彼は何も言わずに踵を返す。

「──お名前を!教えてくれませんか……!」

一も二もなく口から出た言葉だったが、彼を呼び止めることはできた。
振り返って口角を上げる、ほんの一瞬。

──漆黒ヒーロー、ツクヨミ。

それだけを告げて、彼は闇に溶けていった。
:::::::20160803
他称ヒーローからのわずか数行で自称ヒーローに。
加筆修正の可能性があります。
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