春の陽光に包まれて相見えた人物に、常闇踏陰はどきりと脈打つのを感じた。
一瞬の風に長い黒髪を押さえるしぐさと揺らぐスカートを気にする姿を一通り堪能したのち、彼は乗り掛かった自転車を端に寄せた。そして、軽く会釈をする。
返ってきたのは、朗らかな微笑みであった。
ちょうど家を出てきたところらしい彼女は、鍵のかかっているのを確認してから、踏陰のもとへ小走りに駆け寄る。踏陰はといえば、自分から近寄ることも、かといって離れることもままならず釘付けになっていた。ほんの十数秒の静止。
「踏陰」と耳障りのよい声で呼び、笑いかける彼女に何と返すべきかを惟みること数秒。

「久しぶりです。より子さん」

自転車を手離して、彼にしては丁寧な挨拶をする。
宮下より子は、踏陰より3つ年上の大学生だった。彼らの物心がつく前からはす向かいのご近所同士である。親同士に交流があったこともあり、性別も年齢も違うのにお互いによく見知っていた。
つい最近までどちらも受験生だったので久しく会っていなかったが、春の気配が落ち着いたところで、ようやく再会を赦されたように踏陰には思えた。
「大きくなったのね」とより子は言うが、そんなはずはないと自嘲気味に思うのが踏陰だった。彼は年齢にしてはむしろ小さいほうであったし、彼女のすらりと伸びる背丈には決して追いつかないという確信がある。身長を気に病むようなことはあまりなかったが、今ばかりは彼女を支えるヒールすら憎らしくもあった。

「そうでもない」
「うそ。きっと伸びたでしょう」

そう言って、細い腕を伸ばして頭に触れる。逆立った頭髪を優しく撫でられると、くすぐったいような切ないような思いに駈られて思わず目を瞑った。抵抗のないのを良いことに、より子は彼の特徴的な嘴のてっぺんを撫でるのが、昔からお決まりの流れである。
「前よりずっと高い位置にあるわ」と言って、華奢な指を滑らせた。
より子の掌には癒しの力があった。彼女に撫でられると、胸の奥がぎゅっと熱くなり、苦しいほどの多幸感に包まれる。哀しいときや辛いとき、幼い彼が何度も助けられた力だった。
癒しの個性は極めて稀少であるのに、彼女は惜しまず踏陰に使い、彼もまた甘んじて受け入れた。本当は学年が上がるごとに羞じらいを持ちはじめていたのだが、それは彼女の好意を拒否するだけの理由には成り得ないのだった。
手が離れていく瞬間はいつも一片の切なさを孕む。
踏陰はようやく目を開いた。

より子は踏陰の周りをきょろきょろと見回すと、「シャドウくんは」と彼の相棒の名を呼ぶ。そして、はっとする踏陰を見て、返事を聞く前に彼女なりの結論を出した。

「ああ、今日は天気がいいからね」
「……はい」

実際のところ、日光などは何の脅威にもならなかった。幼い頃ならいざ知らず、今は夏の容赦のない日射しの下でさえ個性を奮うことができるのである。
だから、今ここで黒影を出現させることなど容易いし、何なら彼女と自分を軽々と持ち上げ空を飛ぶことだってできる。
そんな空想に浸っては、我に返る。
出せないのではなく、出さないのだ。黒影は踏陰から陽気さを吸い取ってしまったような影だった。些か軽率すぎるきらいがあり、彼女を前にして余計なことを言ってしまわないか踏陰は気が気でない。
ゆえに、不本意ながらも彼女の言葉を否定しないのだった。
なんとなくいたたまれない気分になって、側の自転車を引き寄せる。すると、より子が苦笑いを浮かべて言った。

「ごめんね。登校中に引き留めてしまって」
「いや、時間には余裕があるので」
「雄英にはいったんだってね。すごい」
「まだまだです」
「踏陰はいつも謙遜をするね」
「謙遜などでは」
「ふふ、そうね。これからヒーローを目指すのだものね。頑張らないと……」

そう言っては、また腕を伸ばす。
踏陰は二度も甘えまいと、丁寧に拒んだ。優しい指がそっと空を掻く。
切なげな表情を浮かべたのは、踏陰の気のせいだったかもしれない。少なくとも、彼は己にそう言い聞かせた。

「しかし、より子さんとてすごい個性をお持ちでいるのに。雄英に進もうとは思わなかったのですか」

それは本心から出た言葉である。
それなのに、彼女は愛らしい目を丸くさせて、踏陰の予想だにしないことを言うのだった。

「やだ、踏陰ったら。わたし個性なんてないのよ」
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T氏のKANCHIGAI
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