なんかもうアレだよね
「伯母上」
「なーにぃ」
「部屋を片付けてください」
「えー……」
不満げに声を漏らす彼女の名は、日向アサヒ。
当主であるヒアシ様、そして亡き父ヒザシの姉であり、オレの直接の伯母である。
見た目を特殊な術で変えており、外見だけなら俺とそう変わらない。しかし、していることといえば甘納豆を頬張りながら肘枕をして雑誌を開いているわけで。これだけ見たら、まるでだめな中年だった。
「伯母上は連日の任務でお疲れなのぉ」
「オレも昨日まで他国にいました」
「下忍と暗部一緒にしないでよねぇ」
しかも大の大人が、子どもに対して耳の痛いことをさらりと言う。
(正直、こんな人が暗部だということ自体認めたくもないのだが)
どうやら今日も言ったところで無駄らしい。オレは息を吐いてから、二ヶ月ぶりに伯母の部屋を片付け始めた。
窓を大きく開け放つ。
本を集めて、部屋の端に積んで。
紙を集めて、その隣に積んで。
ようやく現れた布団を抱えて、枕と一緒に窓辺に干して。
布で口元を覆い、途中、伯母上を箒で転がしながらチリとゴミを集めた。
そうしてゴミを袋に入れて縛り、一旦部屋の外へ出す。一通り片付け終わったところで、突然後ろから抱き締められた。
「ちょ!あの?!」
「いーこ、いーこ。ネジはいーこだねぇ」
伯母上だった。
まるで気配がなかった。ついさっきまで目の前で転げていたというのに。あろうことか、無遠慮に髪を撫でり撫でりと掻き回される。
「子ども扱いはおやめください!」
「子どもでしょーぉ」
「伯母上の方が子どもです!」
「あっは!それほどでもぉ」
「褒めていません」
「大人でも子どもの心を忘れないように努めてるからぁ。若さの秘訣ぅ」
「頑張るところ間違えてます。そんなに力余ってるなら、文机の上を片付けてください」
「あー、力無くなっちゃったぁ」
「何歳児なんだ、ほんと……」
チチチチ。
ふと、一匹の茶色い小鳥が部屋に入ってきて伯母上の肩に止まった。
「ん。行くよぉ」
そう答えると、鳥は再び外へと飛び立っていく。
「伯母上」
「そんな顔しないのぉ。何も相手は取って食ったりしないんだからぁ」
宗家からの呼び出し。
分家の者からすると陰鬱なそれを、伯母上は笑って蹴散らした。
「大じょーぶ。お前が巣立つまでは、咲いていてやるからさぁ」
「巣立つことなど」
分家は宗家に逆らえない。
宗家のために生かされ、生きていく宿命だ。
分かっているはずなのに伯母上は、俯くオレの頭にそっと手を置いて、やはり微笑いながら言った。
「人生は分からないよぉ。ほんとにね」
ならば。万に、億に一でもオレが巣立ったら。貴女は一体どうなってしまうのですか。
オレは聞こうとしたそれを、ぐっと腹の底へ落とし込んだ。
▽
私は姉が任務から戻ってきたと聞いて、彼女を宗家の敷地へ呼び出した。人払いをした和室で、湯呑みを挟み向かい合って座る。
「頼みがあります、姉上」
「なーにぃ」
「任務の合間でいい。ネジの修行を、見てやってはくださいませんか」
姉はじっと私を見つめていたが、やがて肩を竦めて言った。
「ヒアシが見てやんなよぉ。あたし、正式な柔拳ほとんどやってないから、教えてやれないんだってぇ」
「やっていないのではなく、放棄しただけでしょう」
今でもはっきりと覚えている。
あの幼き頃。白眼を駆使して修行の時間逃げ回っていた姉上の姿を。
「いつまで古いしきたりなんて守ってんのぉ?宗家も分家も馬鹿みたい。あたしはもっと他のことやりたいのぉ。術もそう。日向だからって柔拳柔拳柔拳やってらんないよぉ」
どれだけ厳しい折檻を受けようとも。決して、日向の家に縛られようとはしなかった。
「父上も……これで満足でしょーぉ……。殺したいなら、いつでも、殺しなよぉ……。どーせここは、そういう家、なんだからさぁ……」
彼女が十五の時。
ついにその言動が手に余り、父上によって額に分家の印を刻まれた。事実上の、宗家からの勘当。死ぬほどの激痛の中、彼女はそう言い残し、単身暗部へ所属した。そして。
「死ぬなら、どこで死んでも同じでしょーぉ」
そう、屋敷に書き送った。
それから数年間は帰ってこなかったが。甥が生まれたことを風の便りで聞いたらしい。少しずつ帰ってくるようになり。父が隠居した今は、ほぼ居着いている。
「ネジは下忍の中でも天才だと耳にしました」
「何言ってんのぉ。才能あるのは当たり前じゃんー。あたしとヒアシの甥で、ヒザシの子だよぉ」
姉はそれを聞いて、まるで自分のことのようにとても嬉しそうな顔をした。
「でもそれなら、宗家様からしたらネジに強くなってもらっちゃ困るんじゃないのぉ?」
「宗家としては、そうです」
宗家と分家の確執は今も昔も酷い。
呪印が枷となり均衡が保たれているが、力で抑えつけるそれは非常に不安定なものだ。
クーデター。
全く頭に過ぎらないとはいえない。特に、ネジの抱く恨みは深く重い。その種になり得ることも考えられる。だが。
「ヒザシのこともあります。あの子の追いかけるべき背中を奪ってしまった」
伯父として、直接してやることはなくても。何か少しでもしてやりたいと思った。
「お前も複雑だねぇ」
黙って聞いていた姉は苦笑して言った。
「別に教えなくても、あの子が本当の天才なら、自分で八卦見つけるよぉ。
余計な心配するより、覚悟しといた方がいいねぇ」
「それは、また」
代々口伝される秘術を、若干十三歳が創り上げるなど前代未聞だ。
しかし、この手の姉の忠告は九割方当たる。ただの甥可愛さ故の発言だと流すには重過ぎる。口籠る私を見て、彼女はからりと笑った。
「あっは!大変だねぇ、宗家様もぉ」
「他人事だと思って」
「他人事じゃないよぉ、蚊帳の外ぉ」
その時。外からカラスの鳴き声が響いてきた。
「あー、ちょっと行かないとぉ」
姉はこちらの返事を聞くことなく、ひらりと手を振って消えてしまった。私は冷めたお茶をひとり啜る。
「……丸くなったとはいえ、相変わらずだな」
周りを気に留めぬところも。媚びぬところも。そして、その花弁が血に染まってもなお、自ら切り拓いてゆくところも。
▽
あの頃の自分は、ほぼ自棄になっていた。
反抗なんて可愛いものじゃなかった。暗部に入って、任務をこなす。仲間の死体。敵の死体。関係ない誰かの死体。
燃やして、喰わせて、切り刻んで。
きっと自分は碌な死に方をしない。
任務中に消されるか。宗家に殺されるか。
おかしいことをおかしいと言ったところで除外され。柵の中でいくらもがいたところで、結局のところ死の臭いは終始身体に纏わりついていた。
その日。あたしは、失態をしでかした。
遺体に組み込まれた術式。術者を解剖しようとしたら、それらが作動し居場所を逆探知されてしまったのだ。国境付近だったことが災いし、完全に敵に包囲された。しかも、ほぼ身の隠しようがないような岩場で。
「最悪ぅ」
いくら視ても、右も左も、なんなら地面の中まで敵が張っている。
(そろそろ死に際かなぁ)
死体処理班が死体残して死ぬなんて笑えない冗談だ。日向の封印術なんかには頼らない。なんなら肉片の一つも残してやんないだから。
服の下に張り巡らせた高濃度チャクラの網。それを顔まで引き伸ばし、起爆させようとした。その矢先だった。
一人の少年が、まるで光のようにその場に閃いた。彼の金髪が一瞬に視界を覆う。
「ーーー舌、噛まないでね」
「ッ」
片手で腹部を抱えられ、直後、内臓が浮くような感覚に陥った。そして我に返って見ると、そこは岩場ではなく森の中だった。
「瞬身の術っていうんだけど。まだ開発途中で練習してたんだ。あの岩場とここも繋いでたからさ」
波風ミナトと名乗った彼は、間に合ってよかったと笑みを浮かべて言った。
「お前、自分が何したか分かってる?任務に失敗した暗部を助けるなんて、馬鹿のやることでしょーぉ」
「ん、そりゃあ、任務に失敗したことはまずいけど。生きてるなら、取り返せるんじゃないかな」
「生きてるなら……」
「オレは何度でも助けるよ。だって、暗部も木ノ葉の仲間だからね!」
一点の曇りもない冬の青空のような澄んだ瞳。その中に、私は私の理想を見つけた。
「泣き飽きたらさぁ、笑ってみなよぉ」
「笑う……?」
いつかの日。
一人でアカデミー横のブランコに跨って、ベソをかいている金髪のチビ助に、私は話しかけたことがあった。
「案外さぁ、悪くないもんだよぉ。笑うのも」
唾かけられて、踏まれて、蔑まれて。泣くことにも、呆けることにもうんざりしたならば。
「笑ってごらん」
そうしたら、ほら。なんだって蹴散らせる。
「お前らさ!お前らさ!こんな卑劣なことできねーだろ!だがオレは出来る!オレはスゴイ!」
カラスに呼ばれて来てみれば。
いつかのチビ助が火影岩に落書きしては、道で指差して騒ぎ立てることしかできない大人たちに向かって快活に笑っていた。
「あっは!やるじゃんー」
あたしは屋根に着地し、電柱に寄りかかりながらその光景を眺める。
「理想、か。我ながら笑えるよねぇ」
叶うならば。彼が守ろうとしたこの里で。
市民も忍も。正規も暗部も、日向でさえ関係なく。人々の笑顔が、一つでも多く咲き続ければいいだなんて。
「ほんと、らしくないなぁ」
眉を下げて目を細めると、肩に乗ったカラスが「全くだ」と言わんばかりにひと鳴きした。