空腹の秋の花


「ただいま」
「おかえりなさい、カカシのお兄ちゃーーーぶっ」
「え」

 白いシーツが駆け寄ってきたと思ったら、目の前でぺしゃりと転げた。

 なんだろう、これ。
 白いシーツに、ところどころ赤い斑点がついている。匂いからして、トマトケチャップだろうが。

 ジタバタともがく、それ。結愛の声が聞こえた気がするが案の定。顔にケチャップをつけたパックンが駆けてきた。

「だからやめろと言っただろうが」
「助けてぱっくんんんんー」
「まったく」

 パックンが、シーツの一端を咥えて引っ張った。

 中からころころして現れたのは、やはり結愛で。

「なにしてたの」
「あのね、カカシのお兄ちゃん」
「うん」

 むくりと起き上がった彼女は、右手を腰に当てた。そして、髪はボサボサのまま、こちらに左手を出してにぱっと笑う。

「とりっくおあとりーと!」
「とり……?」

 言葉の意味が分からずオレが首を傾げると、目の前の彼女はピシリと固まった。

「もしかして、カカシのお兄ちゃん。はろうぃん、知らない……?」
「もしかしなくても知らないね」

 素直に頷くと、結愛は目をカッと見開き、口を菱形にして「<●>◇<●>」という顔をした。何その新しい顔。

「はろうぃんっていうのはね、仮装してお菓子をもらう日なんだよ」

 木ノ葉の里では聞いたことがない。
 結愛の世界の風習だろうか。

「結愛は何の仮装をしてたの」
「愛してるって言いながら他の女の人を連れ込んで奥さんに刺されちゃったけど、一命を取り留めた旦那さんの血がついちゃったシーツオバケの仮装」
「オレのシーツにそんなヘビーな設定つけないでくれる?」
「仮装には作り込みが大事だって、パパ言ってた」

 作り込み方が重い。

「それでね。もし、お菓子忘れたらね、チョコレートのプールに入らなきゃいけないんだよ。ゆあ、去年高笑いしたパパに放り込まれたもん」
「なにその罰ゲーム」
「存分にハロウィンを楽しめ!って叫んでた」
「行動の割に言ってることは優しいな」
「カカシのお兄ちゃんは知らなかったから、今年は免除するね」
「うん、ありがと」

 免除とかあるんだ。はたまた、無茶苦茶な父親から育まれる気遣いか。

「ねえ、結愛」
「なあに」
「トリックオアトリート」
「<●>◇<●>」

 あ、その顔ってセリフにも使えるの。

「カカシのお兄ちゃん……、それね、恩を仇で返すっていうんだよ」
「うん、知ってる」

 口がもっと縦に伸びた。なにそれ、面白い。

 パックンから頭で脚を小突かれた。「大人気ないことするな」と呆れ顔を向けられて肩を竦める。ま、そうだよね。言ってみたかっただけだーよ。

 見ると、結愛は俯いてしまっていた。ぎゅっと握られた小さな拳は、ふるふると震えている。
 意地悪なこと言っちゃったかな。

「結愛、あのね」
「分かった……」
「なにが」

 スッと顔を上げた彼女。その瞳には強い決意が宿っていた。

「カカシのお兄ちゃん!」
「うん」
「ゆあをあげる!」
「……え」

 なにを言ってるの、コイツ。

 ポカンとするオレに対し、結愛は「ゆあ甘いよ!本当だよ!」と何やら両手を振って必死になって訴えてきた。

「パパね、ママ食べて甘かったって言ってた!」
「それ多分別の意味」
「ゆあ、ママの娘だから甘いです!
 さあどうぞ!」
「いや、それは、ダメ……」
「?ダメ?なんで?ゆあ食べられない?ゆあ、またチョコレートのプールに入る?あんこも嫌だよ?からだベタベタして気持ち悪いもん!」

 初対面でも病院でも、三代目の前でも、パックンに甘噛みされた時も、とんでもない女と真っ向から対決した時でさえ泣かなかった。あの結愛が涙目になっている。娘にどんなトラウマ植え付けてたのよ、あの父親。

 だからと言って、食べる食べないは話が別だ。そんなことしてみろ。未成年なんてもんじゃないぞ、このチビを食えって?無理だ。犯罪だ。規制がかかる。

「カカシのお兄ちゃん大丈夫?汗凄いよ」
「誰のせいだと」
「パックン?」
「「なんでだ」」

 巻き込み事故を食らったパックンが頭で結愛の脚をコツンとすると、驚いた彼女が「ぎゃ」と言ってこてんと転がる。

 オレはしゃがんで、結愛の両脇に手を入れて起こしてやった。それからちゃんと目線を合わせてから諭すように話す。

「いい?オレが結愛を食べられるようになるのは、あと十六年後ね」
「そんなに経ったら、ゆあの賞味期限切れちゃうよ」
「そんな早く切れるわけないでしょ」
「賞味期限って長くて五年くらいだもん」
「それは食品ね。女の人は違うの」
「そうなの?」
「カカシ」

 パックンから咎めるように名前を呼ばれて我に返った。

 いかん。この会話ダメだ。なんとか終わらせないと。オレは必死に頭を回転させる。

「じゃあ、結愛のママは賞味期限切れてる?」
「!切れてない……!」
「そういうこと」
「パパ、今もママのこと食べてるもん」
「そっかー」

 仲睦まじくなりよりです。お願いですから、娘さんへの教育なんとかしてください。教え過ぎないでくれ頼むから。

「なんでも食べ頃があるでしょ。野菜でも果物でも」
「うん、ある」
「それと一緒。賞味期限はないけど、結愛にも食べ頃があるの。分かった?」
「分かった!」
「それから、これは誰にも言わないこと」
「どうして?」

 ぱちぱちと瞬きする結愛を、ちょいちょいと手招きする。オレは彼女の耳の側で、声を顰めて言った。

「他の人に言ったら、オレが結愛を食べられなくなっちゃうからね」
「!」

 耳元でこっそり言うと、結愛は口を両手で押さえて目をまん丸くする。

「それは大変」
「うん、大変だね」

 何が、どう、大変なのか分からないけど。
 今の状況より大変なことなんて、そうそうあったもんじゃないけど。

「ゆあ、誰にも言わない」
「うん、そうして」

 じゃないとオレが捕まるから。

 キリリとした顔で頷く結愛に、ひとまずこの場を乗り切ったとオレは胸を撫で下ろした。

 もう大丈夫だろう。よし。
 シャワーを浴びてご飯作って食べて寝よう、と腰を上げたら、今度は結愛の方から手招きされた。

 え、まだ何かあるの?

 身を屈めると、彼女はオレの耳に回り込み、口の端に両手に当てて囁いた。

「ゆあ、すっごく美味しくなるから待っててね」
「ぶっ!?」

 任せて!と胸を張るちびっ子。
 
 (何を任せろっていうのよ……)

 10月31日。
 ハロウィンの日は決してお菓子を忘れてはいけないと心に刻んだ。
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