時計回りの恋をした


 わたしの彼氏は、微笑みひとつで女性の心を攫っていく。

「ありがとね」

 お茶屋に行こうと、食事処に行こうと、買い物に出ようと、すれ違おうと。

 わたしに向けられた笑みでさえ、周りの女性を巻き込むのだからタチが悪い。

 (口布なんて生温い)

 髪はともあれ、顔面丸々マスク状態にして歩かせたいくらいだ。
 同僚のシカマルにそう愚痴をこぼしたら「火影がパイナップルになるのはちょっと」と諌められた。

 (他国では、一体どれだけの女の子惚れさせているのだろう)

 歳上には、礼儀正しい(ギリギリ)青年。同年代には、大人の魅力撒き散らす超危険人物。歳下には、頼れる優しいお兄さんまたはおじさん。

 彼が決して浮ついた人じゃないことは知っている。
 仕事中は仕事のことしか考えていないし。火影になったのだって、里と皆のことを大切に思っているからだ。

 (情けない)

 火影補佐として任じられた時。
 告白された時と同じくらい嬉しかった。一人の忍としても認められたのだと。しっかり務めを果たそうと心に決めた。

 (それなのにこの始末)

 有名になるほど、その背中は前より遠く。
 周りに人が増えるほど、自分の中に劣情が湧き上がってくる。

 わたしはため息を飲み込んで、頼まれた資料を渡すために火影室を訪れた。

「六代目、資料をお持ちしました」

 ノックをして声をかけ、執務室のドアを開けた。どうやら不在の様で、机の上に書きかけの巻物が広げてある。

 わたしは持ってきた資料の山を巻物の脇に置いた。ふと目についたのは、本の山に挟まっていた一通の手紙。その差出人の名前だった。

「……華」

 一文字しか見えなかった。便箋からしても、業務的なものではなくあくまで私信だ。
 線の細い手書きの文字は女性のもので。「華」とつくからには、やっぱり−−−

「!」

 火影室に近づく二つの気配を察して、わたしは手紙から視線を外した。

 (嫌だ)

 色んなところ歩いていれば、知り合うことだってあるだろう。

 (手紙ひとつで妬くなんてみっともない)

 渦巻く感情に蓋をした。閉じ込めた器がカタカタと震える音に耳を塞いで、咄嗟に机の脇に置いてあった「要返却」の本の山を抱える。

 部屋のドアを開けようとしたら、ちょうど廊下側から開いた。

「ああ、早かったな」

 六代目火影−−−カカシさんに声をかけられて頭を下げた。

「資料は机に置いておきました」
「ご苦労様」
「こちら返却して参ります」
「ん、頼むよ」

 カカシさんと後ろに控えるシカマルが入室したのを確認してから、執務室を後にする。

 (大丈夫、いつも通りにできた)

 ほっと胸を撫で下ろす。
 一人廊下を歩きながら、本を抱える手に力を込めた。




 その日の夜。
 夜目を鍛えるため、家では電気をつけない生活をしている。月明かりが照らす中、リュックを傍らに座り込んだ。

「さて、と」

 風影様との会談のため、明後日砂の里へ出立する。明日の夜はシカマルと交代で火影屋敷に泊まり込むから、今日のうちに準備をしておかないと間に合わない。

「着替えと、化粧水と。携帯歯ブラシ。シャンプーは泊まる部屋にあるからいいし」
「下着はこっちがいいなー」

 −−−パシッ。

「仕事で行くんですよね」
「もちろん」

 相変わらずどこから湧いてきたのか。
 執務中の格好のままで部屋に現れては下世話なリクエストしてくる彼氏の手から、自分の下着を取り返してリュックに放り込んだ。

「今日はもうよろしいんですか」
「一先ずは、ね。残りはシカマルでも大丈夫だから」

 何事も経験だーよ、と言ってにこりと笑うカカシさん。この人の丸投げは信頼の証だと思って引き受けるしかない、ということは補佐になってから知ったことだ。

「ところで、本日のご用件は」
「あのね、彼氏が彼女の家に来るのに用なんて一つでしょーよ」

 彼は呆れた顔で言いながら、笠を置いて、羽織を脱いで。ベストまで脱ぎ始めた。

「ちょ、あの、カカシさん。なんで脱いでるんです」
「いやー、だってこんなの着てたら、説得力ないでしょ」

 「ほら、お前も脱ぎなさい」と、ベストを剥がされた。確かにご無沙汰だったけど、ムードも色気のないこの状況はなんだろう。

 彼は、驚きと戸惑いを隠せないわたしを横抱きしてベッドの上に乗せる。慣れない二人分の体重に、ベッドのスプリングがわたしの心境を代弁する様に軋んだ。

 早々に肘をついて覆い被さってくるカカシさんに目を白黒させていると、

「目ェ閉じて」

 コツンとおでこを合わせて囁かれた。
 吐息を感じる距離に、思わずきつく目を閉じる。ところが、

 (……あれ?)

 キスされると思っていたが違った。
 長い指が耳の下から首の裏へ回り、金属のひやりとした感触が後ろ首をなぞった。程なくして、ほんの僅かな重さが遠慮がちに胸元に乗っかった。

 片目を開けると、目の前の彼はただただ優しく微笑んでいて。

 (なんだろう)

 右手で胸元に触れた。人差し指で掬い上げた重さの正体は、細いチェーンに通された銀色の指輪だった。

「カカシさん、これ」
「どこにつけてもらうか悩んだんだけどね。仕事があるから、指にするには邪魔かなって」

 眉を下げて頬を掻くカカシさん。
 それから片手で私の手ごと指輪を握り込んで言った。

「これからもずっと、オレの側にいて欲しい」

 息を呑むわたしに、彼は目を細めた。

「本当はもう少し落ち着いてから、ちゃんと話そうかと思ったんだけど。シカマルに『白髷の黒パイナップルとして出荷されたくなければ、さっさと言った方がいいっスよ』って言われてね」
「な、あ……?!」

 よもやあんな嫉妬心丸出しの感情が、本人に知られていたとは露知らず。恥ずかしさがぶわっと込み上げきて顔を真っ赤に染めた。たまらなくなって左手で顔を覆うと、それすらも許されず手首を掴まれて剥がされる。

「忘れてください……!」
「なーに言ってんのよ。好きな子から妬かれて、嬉しくない男がいるわけないでしょ」

 そういうことをサラッと言わないで欲しい。
 右手は胸元で握り込まれたままだし、左手はベッドに縫い付けられてるし。真っ赤な顔は晒されてる。

 (きっと恥ずかしくて死ぬってこういうことだ)

『好きな子』。
 あれだけ苦しかった心も、一言で簡単に溶けてしまった。
 嬉しいやら悔しいやら。目の前の彼から目を離せないでいると、ふとその瞳が伏せられた。

「寂しい思いをさせて悪かった」
「いえ、それは……!」
「分かるよ。オレも小さい頃そうだったから」

 カカシさんは、わたしの左手を離してから体を起こす。繋がれた右手に引き寄せられるまま、つられて彼と向かい合うようにペタンと座った。

「母さんが亡くなって。父さんは任務で忙しくて。本当は寂しくてもっと一緒にいたかったけど、いて欲しいって言えなかった」

 泣きそうな顔をして微笑む彼の顔に、気付いたら左手を伸ばしていた。
 カカシさんはその手を視線で追って、指が触れると受け入れるように目を細めた。

「本当は名前が寂しそうにしているのに気付いてたんだ」
「いえ、カカシさんが忙しいのは当たり前です。火影ですし。貴方は何も悪くない」
「うん、そうだよね。分かってくれてるからって甘えてた」

 わたしの左手に擦り寄って。一度瞳を閉じてから、真っ直ぐにわたしを見据えて言った。

「でも、言わないで失って、後悔するのはもううんざりだ。だから伝えようと思った」

 陽だまりのような人だと思う。

 初めて会ったのは、中忍になったばかりの任務の時だった。

 怪我を負った仲間を庇いながら戦ってたところに、援軍として駆けつけてくれた。
 一撃で戦況をガラリと変えた広い背中は、今でも目の裏に焼き付いている。

 そして彼は、肩越しにこちらを振り返って微笑んだ。

『よくやった』

 怒られると思っていた。

 中忍ともなれば、任務を優先すべきだということは分かっていた。でも、これまで一緒に戦ってきた仲間を見捨てるなんて出来なかった。
 非難されても仕方ないと腹を括っていた。それなのに、彼は分かってくれた。笑ってくれた。
 
「重荷になりたくなかったんです」
「思ったことない」
「呆れられたくなかったんです」
「呆れるわけないでしょ」
「わたしも、ずっと一緒にいたいです」
「ん!」

 おいで、と広げられた左腕にしなだれると、カカシさんはわたしの肩に腕を回して引き寄せる。

 右の手を解いたら、彼は左の手で指輪を掬って口付けた。
 
「直向きに仲間を守ろう戦う姿を見て、オレもそうあり続けたいと思った。愚直なほど誠実なお前に惚れたんだよ」
「わたしは」

 わたしは、寂しさも悲しさも辛さも全て抱えしまう弱さと、それを覆ってしまうほどの強さに惹かれた。
 荷物を分けてもらうなんて烏滸がましいけれど、そんな彼を支えていきたいと思った。

 胸の光を確かめるように左手で握って。
 再び重ねられた手にわたしが微笑い。
 微笑ったわたしに彼が微笑む。

 月明かりの差す中で。
 どちらともなく唇を寄せる。

 そんなわたしたちを見下ろす月が、
 恥ずかしそうに雲を被って顔を背けた。
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