ちょこっとインディゴ8


*目次
転落して赤
本編中/同期のお話
闇に埋まってしまえばわからない
本編後/サスケ烈伝・ジジを治療した後のお話
広げた腕の在りかを
本編後/湯煙・ミライ帰還後のお話



▽転落して赤



 休みの日。
 朝起きてベッドでゴロゴロしているうちに二度寝し。お昼に目が覚めたが三度寝し。気付けば夕方。

「そろそろ飯、食わねーと」

 一日が終わってしまう。

 このまま布団の中にいると四度寝して日付が変わる気がしたので、俺は無理矢理身体を起こした。

『チヒロー。オレ、今日からサスケの修行でひと月帰れないから。オレがいないからって飯抜くなよ。休みの日もちゃんと起きて、飯食って、家の掃除をすること。分かった?』
『お前はオレの母ちゃんか』

 カカシに「分かった分かった」と言った手前、掃除は二の次にしても飯を食わないわけにはいかない。

 そこで俺は着替えてから、家を出た。

 (さて、どこで食うか)

 いつもの屋台でもいいが、明後日は中忍試験の本戦がある。

 (カロリー高いもの食べてスタミナでもつけておくか)

 俺はまだギリギリ明るい空を頼りに、提灯に誘われるまま一楽の暖簾を潜った。

「らっしゃい!」
「いらっしゃい」
「こんばんはー」

 テウチさんとアヤメちゃんの笑顔に迎えられ、目の前の椅子を引いた。

 味噌豚骨に半熟卵をトッピングで頼む。アヤメちゃんが出してくれたお水を受け取るついでに隣を見ると、知ってる顔がふたつ。

「おや、チヒロくん」
「チヒロ!」
「エビスに、ナルト?」

 思い掛けない組み合わせに俺は首を傾げた。

「どう知り合ってそうなった」
「ま、まあ、色々ありまして」

 ネギ山盛りの塩ラーメンを食べていたエビスは、どこか据わりが悪そうにサングラスのブリッジを上げる。

 奥に座っているナルトは、チャーシュー大盛りの豚骨ラーメンを啜っては歯を見せて笑った。

「オレってば、むっつりスケベにラーメン奢って貰ってんだってばよ!」
「むっつりスケベェ?」
「ナルトくん!それは言わない約束ですぞ!」
「あ!」

 エビスに咎められ、やっぱ今のナシ!と箸を片手に慌てて手を振るナルト。

 さては。

「……お前もやられたのか。お色気の術」
「!」

 耳元でこそりと聞くと、あからさまに動揺を見せるエビス。俺はそんな同期の肩に手を置いて言った。

「安心しろ。俺はドスケベだ」
「それでどう安心しろと言うんだ、君は」

 励ましたつもりが、あっさり手を払われた。

 俺は誤魔化すように頬を掻き、出てきたラーメンを受け取った。割り箸を割り、チャーシューを摘まむ。

 そんな俺たちを見ていたナルトが、水を飲んでから身を乗り出した。

「あのさ、あのさ!チヒロとむっ……エビス先生って知り合いなのかぁ?」
「ん?」
「同期ですよ」
「どーき?」
「ほぼ同じ時期にアカデミーを卒業した人たちのことです。君からしたら、サスケくんやサクラくんはもちろん、シカマルくんやチョウジくんがそうですね」
「じゃあ、ゲジマユや、ネジってヤツも?」
「一年差であれば、そう捉える人もいるでしょう」

 俺はエビスの説明に相槌を打ちながら、口を動かす。

「エビスには散々世話になったからな」
「へー」

 とりわけ、医療一本でやると決めていた俺は、中忍に上がるなり即スリーマンセルを抜けて木ノ葉病院に入り研修医になった。

 戦場に行った回数はともあれ、忍としての場数で言えば、同期の中でも俺が圧倒的に少ない。それを埋めるためには、体験談を聞くしかなった。

「場を読んで、戦術とか考えるの上手いんだよ、コイツ。エビスの説明聞く方が本読むより早くて分かりやすいから、組むことになったらとにかく教えて貰ってた」

 地形、敵の数、陣形、戦況の変化。
 自分の経験を余すことなく話してくれた。

 教えるというのは、一種の才能だ。言うだけは簡単だが、誰しも出来ることではない。

 麺を食べ終わり器を両手で持ち上げる。スープを啜ると、エビスは思い出したように肩を竦めた。

「私はチヒロくんに将来を決められたようなものですが」
「そうだっけか」
「忘れたとは言わせないぞ。私が任務で療養していた六人部屋で、怪我した息子さんを労わるお母様の『お金はいくらでも出すからどこかに教えるのが上手い教師いないかしら』という言葉に君がーーー」

『専属教師?コイツ教えるの上手いですよ』
『ちょっと?!』

「ーーーなんて言って安請け合いしてくれたおかげで、大変だったんですからね。そもそも任務と教師の兼業なんて出来るものでは」
「あー、まあ、ほら。その過去があって今は教師業に専念できるんだからいいじゃねーか。エリート忍者を育てる家庭教師といえばエビスってなるんだから凄いじゃん」
「全く、君という人は」

 小言モードに入ったエビスを宥めながら、残った半熟卵の片割れを口の中に放り込む。

「でも嫌いじゃないんだろ。人を教えるの」
「まあ、成長を目の当たりにすると、嬉しいものはありますね」

 やはり満更でもないのだろう。すました物言いの割に、サングラスの奥の目尻が下がり、その口元には笑みが浮かんでいる。

「ふー!ごちそーさまだってばよ!」

 ナルトがおかわりを終えた。
 箸を置いたのを確認してから、俺は自分の分を。エビスはナルトの分も合わせて会計を済ませ、テウチさんとアヤメちゃんにご馳走様を伝えてから店を出る。

 ナルトは俺たちの一歩先に躍り出て頭の後ろで手を組み、踵を軸にくるりとこちらを振り返り笑った。

「なんかさ、なんかさ!いーなあー、そーいうの!」
「そーいうのって?」
「どーきってヤツ!」

 言われた俺たちは顔を見合わせ、どちらともなく吹き出した。

「ああ、いーもんだぞ。同期ってのは」
「ナルトくんもそのうち、嫌でもこうなりますよ」
「なに、嫌なの」
「あの時は本気で縁を切ろうか悩みましたからね」
「お前ホントねちっこいな。だからモテねーんだよ」
「君にだけは女性関係についてアレコレ言われたくありません」
「どういう意味だ、それ?」

 軽口叩き合っていると、ナルトが腕を組んで「うーん」と唸る。

「オレたちがチヒロとエビス先生みたいになるかってのは、まだピンとこねーけどよ」
「だろうな」
「でもさ。同期がいーもんだってのは、何となく分かるってばよ」
「そうですか」
「うん!」

 じゃーなー!と手を振る元気っ子。

 夜になり、灯る家の明かりの間を駆ける背中を見送ってから、俺はズボンのポケットに親指を引っ掛けて呟いた。

「楽しみな世代だな」
「ええ、全くだ」
「なあ、たまにはどうだ。これから一杯」
「そうですね。君とはなかなか時間が合いませんし。今日くらいは付き合いますよ」
「そうこなくっちゃ!じゃあ早速ーーー」
「ただし!
 十時になったら切り上げて帰りますからね」
「は?なんで。呑みって言ったら十時からが本番だろ」
「カカシくんから頼まれてるんです。『オレがいない間、チヒロが怠惰な生活をしようとしていたら即やめさせてくれ』と」
「マジで」
「マジで」

 なんてこった。こんなところにまでカカシの影響が。

 俺が愕然としていると、エビスはサングラスを上げながらフフフと笑う。

「なんと言っても、同期ですからね」
「同期は同期でもアレ二人いらないから。お前はお前でいてくれ頼むよ」

 しかし、切々とした俺の懇願を大人の笑みで流した彼は「ささ、行きますぞ」と踵を返す。

 すっかり興を削がれた俺は、酒場街を歩きながら肩を窄め嘆息した。

 (同期って……、こういうところもあるんだよな……)

 エビスの後をついて歩くその気持ちは、同期というより、さながら先生に引率される生徒のものだった。


▽闇に埋まってしまえばわからない



 ジジの容態は無事、安定した。

 私は野外にテントを張り、サスケくんや動ける人たちと手分けしながら怪我人の治療に当たる。

「はい。これで大丈夫」
「ありがとう、先生」
「今晩と明日は安静だからね」
「分かってるよ」

 最後の一人が診察室を後にした。

 テントの中でうーんと伸びをすると、目の前に湯気立つカップが差し出される。

「少し休め、サクラ」
「サスケくん」

 ありがとう、と伝えると気遣わしげな視線が返ってきた。

 私はそれをあえて流し、受け取ったカップに視線を落とす。

「ホットミルクね」
「飲んだら寝ろよ」
「もう」

 私はふーっと湯気を飛ばしてから、コップの縁に口付けた。

 (美味しい)

 じわりと沁みる温もりにほっと胸を撫で下ろすと、サスケくんもまた安心したように目尻を下げる。

 (心配させちゃったわね)

 昔は私がナルトとサスケくんのことを心配していたのに。

 (いつからだったかなー、私がこうなっちゃったの)

 中忍試験の時とか。
 サスケくんを我愛羅から庇った時。サスケくんが里抜けして、師匠に弟子入りして。それからーーー。

『しつこいな……、先生は……』

 ああ、そうだ。

「ふふ……」
「どうした」
「ううん、ちょっとね。ジジの言葉で思い出しちゃって」
「思い出した?」
「私が、チヒロさんに叱られた時のこと」

 苦笑しながらカップを持ち直すと、サスケくんが目を丸くする。きっと、チヒロさんが叱るところを想像できないでいるのだろう。

『諦めるな。諦めるのは、自分の命が尽きた時だ』

 私が『しつこく』なったのは、あの時からだった。




 昔から記憶力には自信があった。
 アカデミーのテストでいつも百点を取っていたし。

 それに、チャクラコントロールだって。

『今一番チャクラのコントロールがうまいのは、どうやら女の子のサクラみたいだな』

 カカシ先生に褒められたから。
 師匠の元で修行しながらも、自信を思って挑んでいた。
 
 だから。

「サクラ。お前は今日からひと月、木ノ葉病院で勤務しろ。科は救急。そこの責任者には話を通してある。今すぐに行け」
「ハイ!」

 膨大な医療の知識を頭に叩き込み、医療の術をいくつも覚えた。そうすれば、何事にも対処できるって。

 その頃の私は疑いなく信じていたんだ。

「こんにちは。サクラさん、ですね。綱手様からお話伺っています」
「よろしくお願いします」

 責任者だという人は、物静かな女性だった。

「わたしも治療に出ることがあるので、ずっとつくことは出来ませんが。分からないことがあれば、近くの医師か看護師に聞いてください」
「分かりました」

 私が救急室を見渡すと、目の合ったスタッフたちから会釈され、慌てて「よろしくお願いします!」と頭を下げる。皆、「こちらこそー」と朗らかに手を振ってくれた。

「じゃあ取り急ぎ、治療室の説明をしますね」

 デスクに院内のマップを広げた女性から、集中治療室の位置とそれぞれの該当症例について説明があった。

 私はそれを頭に入れながら、横目で救急室を見渡す。

 パンを齧りながらカルテを書き込んでいる人や、備品を補充している人。椅子に寄り掛かったままアイマスクをして仮眠とっている人、様々だった。

 (思ったより穏やかだなあ)

 もっとバタバタして、ギスギスしていると思っていたのに。

 (そういえば、チヒロさんも救急にいるって聞いたことがあるけど。あの人もそんなイメージないし)

 気負い過ぎたかしら。

 少し肩の力を抜いた。その時だった。

『東の森で捜索隊が負傷。重傷者六名、軽症者二名。受け入れ願います』
「了解、運んでください」

 突如、救急室に響いた受け入れ要請。
 それまで緩やかだった空気がピリリと張り詰める。

「サクラさんは軽症者の受け入れに当たってください」
「分かりました」

 五分と経たないうちに、患者さんたちが運ばれて来た。

 医師たちがそれぞれ治療室へ向かう中、私は腕を木の枝で切ったという患者さんを診ていた。

 (他に外傷はない。まずは止血ね)

 患部である腕を高く上げて、ガーゼで傷口をそっと抑える。

 (止血だからって、何でもかんでも強く握ってはダメ。強く押し過ぎると、手を離したら反発して再出血も考えられる)

 大抵の出血は優しく抑えれば止まる。
 血が止まったのを確認してから消毒をし、術を発動して傷口を塞いだ。

「はい、これで大丈夫ですよ」
「ああ。ありがとうございます」
「急患です!」

 直後。
 受け入れ要請のなかった患者さんが運ばれてきた。驚く間もなく、看護師さんと二人がかりで患者さんをベッドに横たえ絶句する。

 (酷い……!)

 目立つ外傷は腹部にある複数のアザ。そして太腿から膝にかけての切り傷。何より、その出血量。傷を押さえるタオルが血でぐっしょり濡れていた。

 (私に出来る?)

 他の医師たちは先程の重症者の治療に出払っており、対応出来るのは私だけ。私はぐっと拳を握った。

 (ううん、やるのよ)

 今度だって治してみせる。

「こちらへ!」

 躊躇うことなく、麻酔と輸血を指示した。今度は脚をキツく縛り、出血量を減らすことで視界を確保する。

 (出血点はそこ!)

 術を発動し、先に太腿の血管を繋いだ。

 下肢動脈損傷。
 六時間以内に血行再建を行わなければ、脚を切断しなければならなくなる。

 (焦るな。焦っちゃダメよ、サクラ)

 繋ぐところを間違えないように。太い血管を繋いで。神経を繋ぐ。それから細かい一本一本の血管を繋いだら、傷を塞ぐ。

 脚を癒し終え、すぐに腹部を診る。しかし。

 ーーーピー!ピー!ピー!

「!」
「血圧下がっています!」

 モニタから発される警告音。心臓がドクリと脈打つ。

 (どうしよう、間に合わない……!?)

 死。
 その予感がザッと脳裏を過り、血の気が引いた。その時だった。

「ーーーまだだ!諦めんな!」
「!チヒロさ」
「手を止めるんじゃない!」

 大股で救急室へ入ってきたチヒロさんが、私の手の上に右手を重ね、術を発動した。

 彼のチャクラが流れ込んでくる。みるみるうちに、破れた血管が治癒されていくのが分かった。患者さんの肌色が徐々に明るくなっていく。

 (ああ、助かるんだ……)

 じわりと視界が歪んだ。
 私は自分でそれに気付き、瞬きをして手元に集中する。他の箇所を治療していたチヒロさんの左手が、身体から離れた。

「これで腹部は問題ないな。サクラ、他に患部は」
「ありません。大腿動脈は塞ぎました。確認お願いします」
「……よし。
 バイタルは」
「持ち直しました」
「集中治療室で様子を見る。ご家族に連絡は取れてるか」
「取れています。もう暫くすれば、奥様がお見えになるかと」
「分かった」

 チヒロさんは看護師の言葉に頷いて、部屋の手配を指示する。

 (まだ、震えてる……)

 私は左手で右手をぎゅっと握った。チヒロさんはストレッチャーを見送って、私を振り返り後ろ手にカーテンを閉めた。

「サクラ、お前は何だ」
「え」

 見透かすような臙脂色の瞳。
 戸惑う私を、彼はじっと見据えて問うた。

「お前は一般人か。知識人か。教師か。お前は何者としてここに立っている」
「私はーーー」

 私は、医療忍者だ。

「俺たちが治療を諦めたら、誰が患者さんを治療する」

『医療忍者が死んだら、誰が隊員を治療する』

 チヒロさんの言葉が、師匠の言葉に重なった。

「人間はそんな脆いもんじゃあない。生きるために生まれてくるからだ。細胞ひとつひとつが、生きたいと願い、日々生きているからだ。それを助けるのが俺たちの役目なんだよ」

 生きたい。
 その願いに寄り添い、戦うこと。これが医療人としての務め。

「泣くことは誰でもできる。逃げることも、諦めることも簡単だ。だが、それをしないのが俺たちだ」
「チヒロさん」
「諦めるな。諦めるのは、自分の命が尽きた時だ」
「はい」

 私が深く頷くと、チヒロさんは優しげに目を細める。そして、いつものようにニッと笑って「一人にして悪かった。初めてにしては満点の判断だ。良くやったな」と髪を掻き混ぜてくれた。

 これは後から聞いた話だけど。

 急患が来た時、救急室にいた看護師さんが急いでチヒロさんを呼びに行ったらしい。私が一人で対応していると知った彼は、外来を他の人に任せて駆けつけてくれたんだとか。

「チヒロさんって、普段アレだけど。仕事してる時はカッコイイのよねー」
「……そうか」
「サスケくん?」

 なぜか彼の声がワントーン低くなった。

 気になってどうしたのか聞いたが「気にするな」と一言言って口を閉じてしまった。

 それからひと月後。

「サクラー」
「どうしたの、チヒロさん」

 任務を終え、里に戻った。
 院内を歩いていたら、チヒロさんから呼び止められる。振り返って見ると、心なしか疲れた顔をしていた。

「ちょっと頼みがあるんだが」
「なに」
「サスケに間違っても他の男の話をしないでくれないか」
「男?」
「俺の話をしたろ」
「ああ。でも、男って言っても、チヒロさんよ」
「ああ、そうな。そうなんだけどな。チヒロさんも、生物学上男なんだわ。久々に会った妻の口から他の男の話を聞いて、心中穏やかな旦那は基本的にいないんだよ」

 瀕死の魚のような目で「分かったか」と念押しされて、釣られるように頷いた。

「う、うん。気をつけるわね」
「ああ。そうしてもらえると、す……っごく助かる」

 一体、サスケくんに何を言われたのやら。

 私の返事を聞いて「ありがとな」と安堵の息を吐くチヒロさん。そのまま草臥れた背中を向ける先輩に、私は苦笑を漏らした。



▽広げた腕の在りかを



 カカシさんとガイさんの護衛任務を終えて帰還した私。

 翌日。
 報告書を提出し、帰路に着くと。

「お、ミライ」
「チヒロさん!」
「お疲れ」
「お疲れ様です」

 夜勤明けだろうか。
 病院の方向から歩いてきたチヒロさんに出会した。

 私が振り返り挨拶をすると、彼は僅かに目を見開き微笑んで言った。

「いい顔するようになったな」
「そ、そうですか?」

 言われて自分の顔を触ると、チヒロさんは破顔し、すぐ近くのたみ和菓子店を指差す。

「どうだ。先週から抹茶のぜんざいが出てるんだが」
「食べます!」
「よし」

 私はチヒロさんとお店に入る。

「抹茶ぜんざいを二つ。会計は一緒で」
「あっ、チヒロさん」
「いーよ。任務成功のご褒美な」

 杖を脇に挟み、財布を出すチヒロさん。私もポケットへ手を入れたが、ぐりぐりと頭を撫でられ制された。

 (そっちがその気なら……!)

 私は出てきたぜんざいを二人分、素早く受け取りテラス席へと運ぶ。後ろから慌てて杖をつく音が追ってくる。

「おい、ミライ」
「さっきの仕返しです」
「あー……、悪かったよ。
 ありがとな、持ってくれて」
「全然大丈夫です、これくらい!」

 普段から長ズボンを着ていて、歩き方も違和感がないから一見して分からないが。チヒロさんは右脚に義足を嵌めている。

 私がそれを知ったのは、五歳の時だった。

 何も知らなかった私は、チヒロさんにかけっこをせがんだ。母さんは止めたけれど、大丈夫だと言うチヒロさんに甘えて一緒に遊んだ。

 その最中、一体何を考えたのか。
 私は母さんが席を外し、チヒロさんが一休みして船を漕いでいる隙に木に登ってしまった。

 そして、降りられなくなった私を助けようと木に登ったチヒロさんのズボンが、枝に引っ掛かって破れた。

 脛が銀色をしていた。初めて義足というものを見た衝撃。酷く驚いたのを覚えている。

 母さんが止めようとした理由はこれだったんだ。地面に降りて泣いて謝る私を、チヒロさんは強く抱き締めて言った。

「悪かった、目を離して。恐かったな」

 違う。違う。ごめんなさい。脚が痛いのに無理させてごめんなさい。

 それからだった。
 チヒロさんが杖を持ち歩くようになったのは。

「ああ、これか。杖持ってる男ってのもダンディな感じがしていいだろ」

 そう笑っていたけど。
 きっと、私が義足を見て泣いてしまったと思っているのだろう。ハンディがあることを、最初から相手に知らせるために持ち始めたのだと分かった。

 季節限定の抹茶ぜんざい。
 深い抹茶の香りを堪能していると、ふと先日の任務のことが頭を過り、私は思い切って聞いてみた。

「あの、チヒロさん」
「なんだ」
「もし、『死者に会える温泉がある』って聞いたら。チヒロさんはどうします?」
「行くぞ」
「ですよねーーーって、ええっ?!」

 予想外の答えに、思わず声が裏返る。

「い、行くんですか」
「行く」
「どうして」
「会いたいから」
「罠という可能性も」
「確かにあるけど。まあ、とりあえず行くよな」
「誰かに止められたら」
「掻い潜ってでも行く」

 すごい執念。

 私がぽかんとしていると、彼はスプーンで白玉を掬って頬張りながら「ああ、でもな」と眉を下げて言った。

「会いに行っても怒られそうなんだよな」
「誰にですか」
「俺の妹。きっと怒られる気がする」

 前会ったら、お兄ちゃんはまだこっちに来ちゃダメ!って言われたしな。怒っても可愛いんだけどさ、なるべく笑顔以外の顔はさせたくないというか。でもなー、たまにでいいから会いたいんだよなー、と一人脳内葛藤しながら頭を掻くチヒロさん。

 (妹さんが、いたんだ)

 チヒロさんにもいたんだ。会いたい人。

 全くそんな素振りを見せないから分からなかった。私は小豆と白玉を一緒に掬って食べた。

「チヒロさんは……」
「うん?」
「チヒロさんは、どうして乗り越えられたんですか」

 私が聞くと、彼は目を丸くした。スプーンを下げて、考えるように視線を上げる。

「乗り越えた、とは違うだろうな。まだ思い出すことはあるし。ただーーー」
「ただ?」
「生きていこうと思えるようにはなった。皆のおかげだな」

 お節介極まるけど優しいヤツに、何があっても愚痴聞いてくれるヤツだろ。暑苦しいけど気のいいヤツもいるし、それに面倒見のいいヤツとか。

 一人一人と指折り挙げるチヒロさん。

 思い当たる人とそうでない人がいたけれど、遮ることはしなかった。ぜんざいを口に運びながら、ふんふんと相槌を打って聞いていると、不意に優しげな瞳が私を捕らえて言った。

「ーーーそれに、お前がいたからな」
「えっ、私?」

 驚いて自分を指差すと、チヒロさんは声を上げて笑う。

「だって見る度に、大きくなってんだもん。ミライの成長に追いつこうと思ったら、後ろ振り返ってる暇なんかないって」
「えー、逆じゃないですか、普通。追いかけるのは私の方ですよ」
「何言ってんだ。子どもが両足で立ったら最後。もう追いかけるのは大人の方だって」
「そういうものですか……?」
「そういうもんだよ」

 訝しげに訊ねると、神妙な顔で腕を組みうんうんと頷くチヒロさん。でも、その顔がどこか嬉しそうで。どうにも楽しそうだったから。

 (なんかつまり「そういうもの」なの、かな?)

 なんて。
 妙に納得してしまったのだった。
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