ちょこっとインディゴ2
*目次
水筒は鈍器に早変わり
本編中/お色気の術のお話
回覧板です
本編中/黒光りするあいつのお話
慇懃なる君に乾杯
本編後/非公式という立場のお話
ぐらつくプライドバランスタワー
本編後/怪我したサスケがやってきたお話
▽水筒は鈍器に早変わり
任務上がり。
報告書を提出してから建物を出た。病院に戻る前に、何か腹に入れようと思い里を歩いていると。
「チヒロー!」
呼ばれて振り返った。
ナルトが、人懐こっい笑みを浮かべてこちらへ駆けて来る。
「おー、どうした」
聞くと、彼は答える代わりに印を組んだ。
「お色気の術!」
ドロンと煙が立ってその向こうから、全裸の女の子が現れる。碧瞳金髪ツイテール。ぽってりとした瑞々しい唇。すらりとした手足。ボン、キュッ、ボンの豊満な美体。
「どーぉ?」
どおって、そりゃあ。
「風邪引くぞ」
俺は着てたベストを脱いでナルト、もといナル子の肩にかけてやった。
目を白黒させる彼女の腰に手を回し、人目のつかない道へ連れて行く。
「チヒロってスケベじゃねーかよ」
「どこ情報だそれ」
「エロ本開いてんだろ」
「男なら開くだろ。いいから術解け」
「ちぇーっ」
つまんねー!と術を解いて頭の後ろで手を組む悪戯っ子に苦笑する。それにしても。
「良い腰してんな。ナル子は」
「うわっ、ドスケベだってばよ……」
「男はみんなスケベだろ」
「カカシ先生も?」
「見りゃ分かるじゃん。アレは、ムッツリスケベっつーの」
「ふーん」
翌日。
夜勤を終えて帰ってみると、隠してあったはずの雑誌という雑誌が一つ残らずテーブル一面に晒されていて。
「恐……ッ」
まるで全部知ってるぞと言わんばかりの所業に背筋が凍った。
▽回覧板です
チヒロの家のドア。鍵を回してドアノブに手をかけたら、中から大きな物音が聞こえた。
開けてみると、チヒロが器用にもソファの背の上にしゃがみ込み、噴射器片手に部屋の中を隈無く見渡している。
「どうしたの」
「聞け、カカシ」
「なによ」
「あいつが出た」
あいつ。
毒や薬を扱う以上、虫だ何だと言っていられない。頓着しないチヒロが唯一苦手とする虫が、視界の端をカササと蠢いた黒光りするソレだった。
仕方ない。
台所の床を這っていたところをオレがクナイで仕留めると、彼はその顔を真っ青にして声にならない叫び声を上げる。
「お前正気か?!んなことしたら内臓飛び散るだろ!雌だったどうする!卵だぞ卵!一つでも残ったら産まれんじゃん!産まれるんだよ!?この家でッ!」
「ゴキブリ如きで大騒ぎしないでよ」
「その名を容易く口にするな!」
噴射機の先をこちらに向けて、今にも泣きそうな顔で訴えてきた。
「あいつはな、あいつらは平気で俺の寝室に潜り込んで来るんだよ。ドア閉めてるのにどこからともなく。カサカサカサカサって姿も見えないのに、夜真っ暗闇の中、自分の存在を主張してくんの。夜中目が覚めて、正面から挨拶された時の絶望感分かるか。触覚動いてんだよ。ピタピタと顔触ってくるんだよ。完全にトラウマだよ!」
「だから、日頃から掃除しろってば」
「いくら掃除しても、一階で食堂やってる時点でアウトだろ」
「引っ越せば?」
「ここ、立地が一番いいんだ」
「じゃあ諦めろ」
「だよな……」
チヒロは泣く泣くゴム手袋をしながら、死体に近付きクナイを引き抜いた。人には得手不得手があるとはいえ、それだけで「ひいっ!」と肩をビクつかせる姿は情けないの一言に尽きる。
それから持っていた噴射機を黒光りするそれに向けて放つ。殺したのに殺虫剤をかけるなんて余程だな、と思ったが少し様子が違った。
対象は噴射物によりみるみる白くコーティングされ、やがて繭のように包み込まれては床の上をコロリと転がる。
「殺虫剤じゃないの、それ」
「あ?自作の凝固剤だけど」
「凝固剤?」
「煙のように見えるけど繊維質。絡めて固めて動けなくするんだ。酸素を通さない素材だから、そのうち呼吸も止まる。呼吸が止まるってことは心臓も止まる。どこも汚さず、俺の手も汚さず、掃除も要らずに召せるってこと」
チヒロはそれを摘んで袋に入れては結び、また袋に入れては結び。四枚重ね、オレの脇を抜けてゴミ置き場に捨てに行った。
「まーたいらんところに才能使ってるな」
ま、発想はオレより残酷だと思うけど。
ようやく家に上がったオレは、薬品の匂いを逃すために窓を開けた。
▽慇懃なる君に乾杯
行きつけの屋台の暖簾を潜ると、チヒロの背中を見つけて声をかけた。
「お疲れ」
「おー、お疲れさん」
「何食ってんだ」
「ネギトロ丼」
「ネギトロ?」
チヒロが指差した品書き。
海鮮丼が追加されていたので、オレは鮪丼と茶碗蒸しを頼んだ。
先に出てきた茶碗蒸しの蓋を開けると、蒸気の向こうで艶ある黄色の面がふるんと揺れる。木のスプーンで掬って口に含むと、出汁の香りが広がった。流石、美味いな。
舌鼓を打っていると、ネギトロ丼を平らげたチヒロが、おもむろに口を開く。
「あのさ、ゲンマ」
「あ?」
「そろそろ出会いが欲しいんだけど、どうしたらいいと思う」
これは面倒なヤツだと直感した。
「カカシはさ、公式でも綺麗な女性との出会いがあるじゃん」
「そうだな」
「非公式の界隈でも可愛い子や綺麗な人と出会っている。拙宅でも、同い年の子とか年上のお姉さんとか外国の美人とも一緒にお話ししてるじゃねーか」
「ああ」
「どうしてオレにはそういうのが何一つないのかなって」
「お前の存在自体が非公式だからだろ」
「くっそ!モブって辛い……!」
モブもモブなりだ。
公式モブは非公式の場でも出会いがあるんだがな、と心の中で独りごちる。
しかし、それを教えたら十中八九こちらに火の粉が降りかかるので、オレは出てきた鮪丼を受け取って、黙って醤油を回した。
「ゲンマもそうだけどさ。俺の身の回りには、どういうわけか野郎しかいないじゃん」
「悪かったな」
「アンコには酒で潰されるし、やっと絡みがあったはずのハナさんからも早々に逃げられるし」
「逃げられたのか」
「今思い返せばアレ、引かれてたかなあ」
ふっと自嘲気味に笑う横顔が陰っていた。
「女は男ががっつくと逆に引くぞ」
「がっついてない。付き合いたいとか結婚したいなんて贅沢も言わない。仕事外で女性と会話がしたいんだ。そろそろ会話の仕方を忘れそう」
「そこまで切羽詰まってんなら、そういう店行った方が早いんじゃねーか」
「だよなぁ……」
項垂れるチヒロの前に、差し入れられたいちごのシャーベット。
そこには、子どもが好きそうな可愛らしい目と鼻が描かれ、ウサギの耳を模したチョコレートが刺さっていた。
それを見たチヒロが、勢い良く顔を上げて腰を浮かす。
「おやっさん。子どもがいるのか……?!妻帯者だったのか!」
マジかよ。
驚いた顔をするチヒロに、オレの方が驚いて箸を止めた。このファンシーな顔のどこら辺にそんな暗喩が隠れてるんだ。どこで会話してんだよ、お前ら。
しかし困惑するオレの隣で、チヒロが分かったり顔で腰を下ろし、鼻の先を掻きながら言った。
「はは、そうか。そうだよな。おやっさんが素敵な家庭を築けたように。焦らなくても、俺だって生きていければ、どこかで女性と話す機会もあるよな。ありがとう、おやっさん。おかげで大切な事を見失わずに済んだよ」
チヒロの言葉を聞いて、屋台の親父がふっと優しげに目を細める。
(いや、それとこれは違うと思うけどな)
憑き物が取れたように、口元を綻ばせてスプーンを口に運ぶチヒロ。そして、それをいつかのように背で見守る屋台の親父。
確かな絆が育まれた時間だった。
▽ぐらつくプライドバランスタワー
日付が回る少し前に自宅に着いた。玄関の前に人影があって身構える。
しかし目を凝らすと、どこか覚えのあるシルエットで。
「サスケ、か?」
問いかけたら、先方がふっと顔を上げてこちらを見つめた。やはり。かつて目で語る少年だった、うちはサスケだった。
「チヒロ」
「どうした。つーか、なんでウチ知ってんだよ」
「昔、カカシに教えられた」
「よく覚えてたな」
見ないうちにデカくなったもんだ。ナルトといい、サスケといい、子どもが大きくなるのは早いな。
鍵を開け、招き入れようと近付いては首を傾げた。
「足怪我してんのか」
「どうして分かった」
「重心が傾いてる。お前、普段癖なかったろ」
右眼が驚きに染まったのが分かったがスルーして、「まあ、入れよ」と家の鍵を回す。明かりをつけて、玄関に近い椅子に座らせた。
「ズボンの裾捲るぞ」
「ああ」
見ると、右足首が赤く腫れ上がってた。随分派手に捻ったな。
手を洗ってから部屋に入り、添え木と包帯、湿布剤を持ってくる。術を発動し、患部を包んだ。
「サクラには言ったのか」
「言ってない」
「なんで」
「アイツはサラダの面倒を見てる。余計な心配はかけたくない。だから、お前のところに来た」
「駆け込み寺じゃねーぞ、ウチは」
幸い、骨は折れていなかった。腫れを引かせて、湿布剤を貼る。言ったところで無理をしない保証がないので、念のために木で留めて包帯を巻いてズボンの裾を下ろした。
「もう少し目立たないようには出来ないか」
「サクラに言いたくないのか」
「だから病院に行かなかったんだ。それくらい分かるだろ」
眉を寄せるサスケに、俺も顔を顰めた。
「ああ、分かるよ。そういうヤツ知ってるからな」
なんでいらんところだけ似るかなと悪態付くと、サスケがそっぽを向いた。
「とにかく。サクラにはちゃんと話してやれって。助けたい人のために、お前のために強くなったんだから。お前自身の口で伝えてやれよ」
「だが」
「だがもヘチマもあるか。あの子が弱くないのは、お前だってよく知ってんだろ。自分の知らないところで怪我してて、後で知ったら余計にしんどいんだぞ」
「アンタもそうなのか」
「俺はーーー」
言いかけて、口を閉じた。
「アンタ、それをカカシに言ったのか」
「言えてると思うか」
さらに畳み掛けられて、俺は降参だと肩を竦めた。
「小さい頃は、まだ素直で可愛げあったが。大人になってからは、どこで覚えてきたのか。笑顔で煽てては、誉めて流す方法を取りやがる。おかげでこっちは何も言えやしないよ」
「なら、オレに言うのはお門違いだろ」
「だからだ。俺らみたいになるなってこと」
カカシが暗部に入ってからというもの。
チャクラを切らしただけで担がれてくるなら可愛いもんだった。怪我して帰ってくるのは当たり前。どれだけ心臓が冷えたかなんて、数えたもんじゃない。
それでもまだ、目に届く範囲なら良い。任務先で新しい傷作っては何も言わず、他の任務で負った傷を治療している時に気付いては歯噛みしていた。
アイツがどう思ってるかなんて知らないけれど。
「こんなもの。互いに慣れたところで、なんの自慢にもならないんだから」
ただただ、悔しかった。
頼りにしてもらえない自分が。気付けなかった自分が。傷跡を見つける度に、己の無力を恥じて呪った。
サスケはじっとオレを見つめてから黙って腰を上げた。玄関のドアノブに手を掛けて、背を向けたままチラリと視線を寄越す。
「……礼は言っとく」
「ああ」
「それからーーー」
サスケが言いながら、ガチャリとドアを押し開けた。
「カカシは、余計なことは教えない。頼りにならないと思ってるヤツの住んでるところなんざ、オレに教えたりしない」
「サスケ」
「また来る」
「いや、もう来るなよ……」
なるべくな、と返したのは聞こえたのか。
閉じたドア。
しんと静まり返った部屋の空気は、不思議といつもより幾分温かく感じた。