わかっているのかな
俺はソケットの微調整を終えた義足を、右脚に装着した。
「どうだ?」
「前より全然いい。痛くなくなったよ」
「分かってると思うが、ちょっとした体重や症状の変化でも合わなくなる。向こう一年は特に気をつけておけ。外れやすくなったら必ず声かけること」
「ああ。ありがとな。悪かった。忙しい時に無茶言って」
「いいよ、いつも世話になってるよしみだ」
同僚の技師は、「慣れるまでは杖必須」「リハビリ絶対無理しないこと」「何かあったら必ず言うこと」と再三釘を刺してから病室を後にした。
これは仮の義足だ。
本義足は傷が安定する一年後までお預け。
(一年後、か)
先日、アスマが亡くなった。
仲間の死は珍しいことじゃない。
今日会っていた人が、明日いなくなる。
慰霊碑や墓の数を見渡せば嫌でも思い出す。
アカデミーで仲良かった子が、任務に出て帰って来なかった。一緒に飯食ってた人が、捜索先で血塗れになって息を引き取っていた。
それさえ可愛いと思えるほどの、視界一帯見渡す限りの死体。それも、一人や二人じゃない。何十人、何百人、何千人転がっている光景。咽せるほどの血の匂い。
どうにも、あの頃の戦争の気配が近づいている予感がした。
「!どうぞ」
控えめなノックに応えると、長身のシルエットがするりと病室に入ってきた。
「カカシか。どうした」
「ん、いや、ね、ちょっと」
曖昧に笑いながらどうにも歯切れ悪く相槌を打つ彼は、ベッドに座る俺の隣に腰を下ろした。
「今のうちに、チヒロの顔見ておこうかと思ってな」
ああ、出るのか。
(そろそろとは思っていたが)
考えてたより早そうだな。
より戦線に近い情報を持つカカシの様子から、先程の予感が確信に変わる。
「お前は里に残るんだろ」
「まあ、院内でこき使う宣言されてるからな」
病室の一角を見遣った。
結界で立体に覆われているそこは、専用のデスクが充てがわれている。
側から見たら窓際族ならぬ病室族だが。毒や薬の調合、データの解析と記録。病室内でできそうなことは、片っ端から引き受けていた。
「最近は、入院中の患者さん少しずつ回してもらってるよ」
「もう働いてるのか」
働いているというか、手伝っているというか。
「情勢がこうだからか、治した途端に脱走する患者さんが多くてな。里のためになりたいのは結構だが、入院期間中だっていうのに無茶ばかりするヤツが多いの何の。今は、そんな馬鹿を諌める担当」
「そういうお前自身は?」
「俺のは義足のリハビリ兼ねての仕事だからいいんだよ。入院はおまけ」
「ふーん。シズネから、どこかの馬鹿が仕事与えないと勝手に動き回るし、入院させておかないと碌に身体を休ませやしないって、言伝取れてるんだけどなー。あの結界も、夜は入れないようになってるんでしょ」
なんで正直に伝えてくれたんですか、シズネさん。
おかげで目が据わってるカカシから「すっとぼけンなよ、コラ」って凄まれた。コイツの知ってて引っ掛けてくるようなところ嫌いだ。
「ともあれ。このペースなら来週にも救急室……、現場に戻れる」
というか、戻る。
そのために、目が覚めた翌々日からリハビリを開始した。
(間に合わせたい)
戦場には行けなくても、ここで出来ることがある。義足の継ぎ目を撫でて拳を握る。
そんな俺を見ていたカカシが、ふと視線を落として嘆息した。
「チヒロが命を返すって言った理由が、最近ようやく理解できたよ」
「返品不可だぞ」
「しなーいよ。
ただ、両脚で歩けるようになったお前を見ていたら、な」
含むような言い方をして、口を噤んでしまった。その眼差しは、物憂げな色を帯びている。
(今まではどうしてたんだかな)
痛みも、意識すると増すのと同じで。
感情や気持ちも、意識すると余計に膨らむ。
それを抑え込むために、無意識に『糸』でぐるぐる巻きにしていく。
解くべき本当の『糸』は、最初から自分の中にあった。
『リンとオビトにな、背中を押された気がしたんだよ』
ナルトたちが解いて。
『ま!返さないし、受け取らないけどな』
カカシが解いてくれた、更にその奥。
(寂しいとか、一緒にとか。ほんと何歳児だ俺は)
現れた一本糸。包まっていたのは、何度思い出しても穴掘って埋まりたくなるような自分の気持ちだった。
(でも)
情けないのも格好悪いのも、大人気ないのも承知で飲み込んだら、案外ストンと胸に落ちたんだ。だから、
「らしくないぞ。生きろよ。これまで通り」
首を擡げた彼の頭を撫ぜる。
「死が向こうからやってくる、その時まで」
「迎えがきたらどうする」
「受け入れるしかない」
人は、遅かれ早かれ一度は死ぬ。
それに。
「次会う場所がこっちになるか、あっちになるかの違いだろ。俺はお前と在るなら、どこだって構わない」
俺の中にお前の命がある。
ずっと持っていていい、と。
そう言ってくれた。それだけで充分だ。
死後の世界も、お前といられるなら恐くない。
「ま、生きているに越したことはないけどな」
「それならお前だって。無茶も程々にしろよ。チヒロの過労死が原因で、戦闘中に自決しましたなんて笑い話にもならないから」
「あー……、そうな。善処する」
「こう言う時くらい分かったって言えないの、お前は」
「今更そんな仲でもないだろ」
そう戯けて返すと、カカシはやっと肩の力を抜いた。
「そうだな、そうだった」
顔を上げて、呆れたように笑う。
「お前はそういうヤツだった」
「……なんか不名誉な響きだな」
「言うこと聞くようなタマじゃないってことだよ。
女運ないって言っても懲りずに付き合うし。隠れて煙草吸ってるし。片付けろって言っても一週間すればころっと忘れて、今度はエロ漫画広げたまま出て行くでしょ。ベッドの下の引き出しの奥には玩具なんて隠しておくし」
「え」
「ん?」
待て。今、なんて言った。
「おもちゃ、って」
深くなったカカシの笑みに、サッと血の気が引く。
「掃除してたらたまたま、ね」
「普通そこまで掃除する?巷の母ちゃんでもベッドの下の引き出しなんて出さねーぞ」
「奥が一番埃溜まるでしょーよ」
「溜まったところで困らない。少なくとも俺は困らない」
「いやー、リンが知ったらどう思うんだろうな」
「絶対言うなよ?!」
「大人になったお兄ちゃんが、今度は大人のお」
「未使用だからッ!」
最悪だ。今度こそ地中深く埋まりたい。
(興味本位で買っただけなのに……!)
読んだ雑誌に案内がついてて。注文してみたのはいいけど、いざ届いてみたらなんか、……アレで。仕舞っておいたまま忘れていた。処分しておくんだった。
「お前まさか、食器棚の下の隠し戸まで手を出したんじゃ……」
「へー、そんなところに隠し戸あったんだ」
墓穴掘った。泣きたい。
昔、ミナト先生に言われたことがある。
『チヒロは隠し事下手だからね』
あそこ探られたら、他に隠しておくところない。どうしよう、ほんと。
頭抱えて悶絶する俺の隣で、ふとベッドが軽くなった。立ち上がったカカシが、数歩進んでからこちらを振り返る。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ、行ってこい」
「他にも隠すものがあったら、オレが戻る前にちゃんと隠しておけよー」
いや、だから。それ以上隠せるところないんだってば。マジで。
口元が引き攣る俺の様子を見て、カカシは飄々といつもの笑みを残して出て行った。ほんと、いけすかないガキだな。
静かになった病室で布団を捲った。作りかけの医療パックが顔を覗かせる。
「ジンクスなんて。信じる柄じゃあないんだが」
先の大戦の最中。
リンに頼まれて調合薬を作って渡して、オビトもリンも亡くなり、カカシも心と身体に傷を負った。
今回は、作っているうちにそのことが頭を過ぎって胸騒ぎがした。渡さない方がいいような、そんな気がして手が全く進まなかった。
「因果だな」
また見送る立場になるなんて。
頭を掻いて、天井を仰ぐ。
(カカシが戻るまで)
デスクの上の仕事片付けて。薬のストックは、作れるだけ作って貯めておこう。
一、二回は義足の調節してもらわないといけないだろうな。いっそ自分でできるように、そっちも勉強しようかな。
救急室に戻ったら。運ばれてくるであろう怪我人を診て。徹夜の回数なんか数えないようにしないと。
「はは、やることは多いや」
預かった命が鼓動を続ける限り、懸命に生きよう。
とりあえず目下は、
「のはら先生!203号室の患者さん脱走しました!」
自分と同じ馬鹿どもに、説教でもしに行くか。