塩なら受けとってあげる


 子どもの頃から、忍術や体術よりも幻術の方が得意だった。

 だが、使う度に身体が軋む。写輪眼でさえ、命が削られるのを感じて恐ろしくなった。
 臆病だった僕は、幻術も写輪眼も使うことを辞めた。

 しかし、その『眼』は顕現した。刻印のように眼球に刻み込まれた術。
 解けなかった。必死に解こうとしたが、目を開けるだけで発動し、呪いのように身を蝕んでいく。

 ゆえに僕は自ら目を閉じた。
 迫り来る死から逃げた。この血に命を賭せるほど、僕は強くはなかったからだ。




 腹を貫く鈍色の刀。
 胃の底から込み上げてくる生暖かい血が喉を迫り上がり、ごぼりと口から溢れる。

 勢いよく刀を引き抜かれ、ふらつきそうになる足元に力を込めた。ギリギリのところで踏み留まる。目の前の気配には覚えがあった。

「やはり、こうなりましたか……」

 それは、僕が初めて千手の屋敷を訪れた際に、案内してくれた男のものだった。彼はその頃と変わらぬ憎々しげな視線をくれた。

「まるで分かっていたかのような口振りだな」
「扉間を狙うのは、想定外でした」
「扉間様の懐に入り、殺したうちはの者を私が成敗する。そして、憎きうちはそのものを里から追いやる」
「憎しみに憑かれた愚か者が。感情を抑え、争いを避けぬ限り互いに死ぬだけだと説いたはずだ」
「緩い!火影様も扉間様も緩すぎるのだ!うちはは滅ぼすべきだ!」

 びくりと身体が震え、手足が硬直する。

 金縛り。
 違う、この感じは幻術か。背後にいる扉間の息が荒くなり、片膝をついたのが分かった。

「クッ……、敵は身内……だったか……!」
「ご安心ください。同族のよしみです。これを始末してから、幻術の……幸せな光景の中で殺して差し上げますよ」
「その必要は、ありません」
「なに?」

 僕はありたけの力で手を動かし、腹の傷を抉った。

「ぐぁあッ!」
「!コハク!」
「一体何を……!」

 痛みで無理矢理硬直を解き、目の包帯を解いた。

 ーーー写輪眼!

 幻術は、より強い幻術で上書き出来る。
 僕は金縛りを完全に破り、扉間にチャクラを流し込み目覚めさせる。

 扉間は僕の目を見て瞠目した。

「目が、見えなくなったのではないのか」
「はい。どういうわけか、目を開けていれば常に発動している状態になってしまうので、わざと瞼を落としていただけです」
「まだだ!まだ終わっていない!」

 体の自由を取り戻した僕たちに、彼は焦ったように印を結ぶ。

 その印の組み合わせは、術にかかった者を術者の意のままに操るものだった。

「私が開発したこの術でお前たちを操り、私のシナリオの通りにーーー」
「いいえ、その幻術(捨て牌)で上がるのは僕だ。ーーー栄和(ロン)」

 ーーー万華鏡写輪眼・別天神(ことあまつかみ)。

 男は糸の切れた人形のように、ぱたりと床に倒れ沈黙した。

「……一体、何をしたのだ」
「幻術をかけました。過酷な過去、うちはのこと、今日のことを全て忘れ、里を守り生きるようにと」

 対象者に幻術に掛けられたことにすら気づかせることなく、幻術を掛けることができる能力。その術の強さゆえに、掛けられた者は掛けられたことに対して疑問を抱くことはない。

 することを終えたからか。
 緊張が解け、腹の痛みが戻ってきた。今度こそ倒れ込むのを、逞しい腕に抱き留められる。

 流れ続ける腹の血を止血しようとする手に、自らの手を重ねて止めた。

「いい。僕はもう助かりません」
「黙れ」
「さっきの術で最後でした。もう、手足を上げることもできない」
「それがどうした」
「扉間」
「戯けたことを言うなッ!」

 初めて扉間が吠えた。らしくもなく眉を吊り上げ、声を荒げる。肩に回る指先が食い込んだ。

「なぜ殺さなかった!?自分が殺される目に遭いながらなぜーーー」
「また、血が流れる」

 僕が彼を殺せば、千手の者たちが再びうちはを敵視しよう。
 逆に彼が僕を殺せば、うちはの者たちに少なからず疑心が起ころう。

「一族同士が憎み合い、争う姿はもう見たくないんだ……」

 もしも。
 もしも誰も争うことがなかったら。

 マダラさんも柱間さんも友人のままで。皆が家族兄弟に囲まれて笑い合う。僕も、輪の片隅でその温もりに当たっている。

 そんな未来があったかもしれないから。

「僕に関する記憶さえ消せば、この男は無害です。僕は元々身体が弱い。病死とでもすればいい。後は君が口を噤んでくれれば、この件は闇に葬られる。知る者はいない」
「噤むと思うか」
「思います。だって君は優しいから」

 僕の遺言だと思えば、叶えてくれるでしょう。

 そう言って見上げると、彼は不機嫌そうにくしゃりと顔を歪めた。

「扉間」
「……なんだ」
「僕はね、思うんですよ。人は、誰かを守るために力が欲しいと思うんだって」

 力というのは。
 過去に囚わればそれが復讐になり、未来を夢見る人には力となる。それだけの違いなのだと思う。

「僕が万華鏡写輪眼を開眼したのは、マダラさんに置いていかれたと知った時でした」

 彼を差し置いて火影になった柱間さんが憎かった。
 彼の言葉に耳を傾けようともしなかった一族の皆が憎かった。
 あからさまに彼を嫌悪する扉間が憎かった。

「けれど、マダラさんを守ることが出来なかった。無力だった自分のことが、一番許せなかったんだ」

 なぜ、顕現したのだろうと思った。
 失った後なのに。なぜ今更現れたのかと。ずっと、ずっと頭の端で考え続けた。

「そしてさっき、やっと分かった。扉間、君を守るためだったんだ」

 気付いたら、勝手に身体が動いていた。

「コハク」
「誰かを守るためだった。二度と後悔することがないようにと、与えられた力だったんだよ」

 視界が霞む。身体が冷えていく。
 それは強い術の代償。

「ああ、でも。君が僕の願いを聞いてくれるのに、僕も君の願いを聞かないと、フェアではありません、ね」
「そう思うなら、まだその目を閉じるな」

 彼は僕の身体を横抱きにした。
 そして、内臓が僅かに持ち上がったと思ったら、一瞬のうちに景色が変わる。

「これはーーー」
「里だ。お前が、守ったものだ」
「扉間……」
「しかと焼き付けておけ」

 柔らかな風が、頬に張り付く前髪を優しく払う。広がる視界の中、僕は焦点を合わせようと目を凝らした。

 立ち並ぶ家屋。軒を連ねる商店。賑やかに走り回る子どもたちと、それを見守る大人たち。

 マダラさんから、聞いた事がある。

『火影岩の上からは、里が一望できる。いつかお前にも見せてやろう』

 彼が、僕をここに残した理由を初めて知った気がした。

「ありがとう、扉間」
「なんのことだ」
「フフ、そういうところですよ」

 マダラさん、見ておりますか。
 それとも、貴方は本当はこの景色を。柱間さんと、見ていたかったのでしょうか。

 胸が重い。呼吸が浅くなるのを誤魔化して、深く息を吸った。

「とびら、ま……」
「なんだ」
「ありがとう」

 ありがとう、マダラさん。
 僕をここに生かしてくれて。

 ありがとう、柱間さん。
 僕をここに置いてくれて。

 ありがとう、一族の皆。
 僕をうちはに置いてくれて。

「ありがとう、とびらま」

 僕にこの景色を与えてくれて。

 瞼を落とし、耳を澄ませる。
 木の葉の擦れる音。風の流れる音。落ちてくる、君の呼吸。

 抱かれ。己の目頭から流れる一筋の涙が酷く温い。

 辛く苦しいことがたくさんあっても、大切な人と過ごしたひと時が、抱くように包み癒してくれた。

「あり……がとう」

 皆に出会えて良かった。

「きみにあえて、よか……た……」

 できるなら、後の世にもそう思える人が増えるように。

 たとえ暗闇が一面に広がって見えても、変わらぬ愛の灯火があるように。

 未来を歩く人々のために。

 己が与えられた幾多の愛のゆえに。
 この祈りと祝福とを捧げよう。

 どうか、いつまでもーーー。
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