天才級の馬鹿


 朝。

「おはよ……」
「ん、おはよう」

 俺は休みで、カカシは十時入り。
 鏡の前でネクタイを整えるカカシの横から手を伸ばし、蛇口を捻る。手の平で水を汲み、顔をじゃばじゃばと洗った。

 蛇口を閉めて左手でタオルを探していたら、カカシが「はい」と上から吊るしてくれたので受け取り顔を拭う。

「チヒロ」
「んー?」
「今日、父さん来るから」
「……ん?」
「多分、夕方くらいだと思う」
「んん?」
「ま!お前は何もしなくていーから」

 おもむろに顔を上げると、鏡越しに「じゃ、よろしくな」と笑顔を残し片手を上げて洗面所を出るカカシ。ちょっと待て。

「おい、カカシーーー」

 俺はタオルを肩に掛けて洗面所を出たが一足遅かった。玄関には既にカカシの姿はなく。行ってらっしゃいの挨拶を終えたらしい忍犬たちが、リビングへぞろぞろと移動している。

「相変わらず逃げ足早いな、あんにゃろ……」

 かと言って、出勤中の相手に連絡も出来ず。俺は廊下を歩いていたブルを捕まえては、カカシへの腹いせに広い背中をわしわしと撫でてやった。




 カカシのお父さん、はたけサクモさん。
 前世では木ノ葉の白い牙と称され、他里からも恐れられる程の忍だった。

 カカシ本人は自分の父親のことをあまり話そうとしなかったし、俺から聞くこともなかったが。サクモさんとは一度だけ会ったことがある。

 俺がアカデミーに入る前のこと。

 薬草を採りに岩場に行った時。

「うわっ?!」

 足を踏み外して崖から落ちた。幸い、子どもだったから軽かったのか。下の川に落ちては流れながら浮上した。しかし、思ったより流れが早く。

「ぷはっ!たすけーーーごぼっ!」

 漏れなく溺れた。水と空気が交互に喉を通り、息をしているのかしていないのか分からない。

 (苦しい……!)

 あの時は冗談ではなく、リンの笑顔が走馬灯のように脳裏を過ぎった。

 浮かんで、沈んで。また浮かんで。

 どれくらい流されただろう。多分、時間にしたら三分も経っていなかったと思う。

 辛うじて伸ばしていた腕を、力強い腕に引き上げられる。

「大丈夫か!?」

 光が戻ってきた視界に映ったのは、サクモさんだった。ゆっくりと降ろされ、両足が地に着く。

「サクモさん、どうしました」
「いや、子どもが流されてきたのが見えてーーーどうした?!」

 怪我でもしたのか、と問われて俺は首を横に振る。

 痛いわけではなかった。ただ、安心したんだと思う。

 ぼろりぼろりと溢れる涙。それを必死に拭っていると、サクモさんが「参ったな」と眉を下げて後ろ頭を掻いた。そして、俺の両脇に手を差し入れ抱き上げる。

「ほーら、もう恐くないぞー!」
「あの、サクモさん。その子、それで喜ぶ歳じゃないと思いますけど」
「そうか?うちの息子はこれをやるとすぐに泣き止むんだが」
「サクモさんのところの息子さん、確かまだ小さいじゃないですか」

 部下に言われて「そうかな」と首を傾げるサクモさん。その仕草と会話が子ども心ながら何だが可笑しくて。

 俺が小さく噴き出すと、サクモさんが「ほら笑った!」と得意げにはにかんだ。

「男の子は勇敢なくらいがいいが。
 ま!あまり無茶はするなよー。お前を大切に思ってる人もいるんだからな」

 彼は俺を腕に抱え直して目を細める。

 英雄と呼ばれていた男は、俺にとっても「英雄」になった。

 (カカシが「父さんの記憶はない」って言ってたけど)

 今世もどこかで、誰かの「英雄」なのかもしれないな、と。そう思う。

「ーーーって、ちょっと待てよ」

 そんな相手に何をしたらいいんだ。

 カカシは何もしなくていいというが、そういうわけにもいかないだろう。

 俺は立ち上がり、台所でティーカップを用意する。

 (コーヒーか紅茶か。茶菓子何かあったっけ。夕飯は……、どうするんだろう。食べていくのかな。何を作ればいいんだ。日本食でいいのか。洋食なんか作れないぞ、どうする俺……?!)

 とはいえ、作れないものはどうしようもない。

 夕方が近づくに連れ、洋食レシピをスマホで調べたり、忍犬たちを一匹ずつ捕獲してはブラッシングしたり、普段しない事をするくらいにはそわそわしてきた。

 ブルの背に乗るパックンが挙動不審な俺を見て嘆息しているが、どうしろってんだ。お前らからしたら主人の父親で、もしかしたら元主人なのかもしれないが。俺からしたら小さい頃助けてもらった恩人なんだよ。実はちょっぴり憧れてんの。そんな相手が来るってのに、居ても立っても居られないのは当たり前でーーー、

 ーーーピンポーン。

 来た。来ちゃった。

 忍犬たちがインターホンの元へ集まる。俺もまた腰を上げ、彼らの後に続いた。

 俺は無造作にビスケを抱え、その画面を見せる。なんで自分だと言わんばかりに至極迷惑そうな顔をされたが。

「なあ、ビスケ」
「ワン」
「確認するなら、一人より二人が確かだろ」
「……」

 呆れられた。
 俺はビスケを抱え直し、応答ボタンを押す。

「はい」
『あ、すみません。カカシの父のはたけサクモです。約束より早く着いてしまったのですが、大丈夫でしょうか』
「はい、開けますね」
『ありがとう』

 物腰わらかな声。朗らかな笑顔。

 インターホン越しの彼は、俺の記憶の中のはたけサクモ。その人のままだった。




「お邪魔します」
「どうぞ」

 普段から掃除をしていて良かった。

 玄関を開け、来客用のスリッパを薦める。カカシ似の白銀の髪。長身、大柄の初老の男性は目尻を下げてスリッパを履いた。

 (マジか)

 俺は先導するつもりで踵を返し、心の中で絶叫した。

 (イケメンかよ……ッ!)

 そりゃあそうだ。カカシがイケメンなんだから、お父さんもイケメンだろうよ。お母さんもきっと美人なんだろうな。

 どうしよう。緊張やら感動やらで手の平が汗だくなんだが。

 (しかもスマートだし)

 シャツにベストを着てるラフな格好なのに、ダンディさが滲み出てる。

 (かっこいいな……)

 俺もシャツにニット着てるのに。同じ男として、この差はなんだろう。

 父さんみたいなイケ爺さんになりたい気持ち嘘はないが、サクモさんみたいに一目見てイケてる感じに歳を取るのも悪くないなと思った。
 
「コーヒーで大丈夫ですか」
「ありがとう」

 せめて見苦しくないよう平静を装い、俺は台所へ入る。

 サクモさんはソファに腰掛け、その横にきちんと整列している忍犬たちを見ては「おいで」と手を差し出した。

 まずパックンが動き、それからアキノ、グルコと腰を上げ。俺がコーヒーを持って行く頃には、すっかり彼らに囲まれながらウルシのお腹を撫でているサクモさんがいた。

「犬が好きなんですか」
「まあね。昔から何かと好かれてしまって」

 眉を下げてはいるものの、満更でもなさそうだ。サクモさんは膝の上に乗ってくるビスケをそのままに、カップを傾ける。

 俺もその向かいに座り、自分のコーヒーに口付けた。

 (あ、砂糖忘れた)

 ブラックでも飲めなくはないが、少しばかり苦い。その苦味が胃に落ちる頃に、カップを置いたサクモさんが口を開く。

「チヒロくんは、カカシのことが好きかい」
「はい、好きです」

 聞かれて、するりと言葉が出た。

 サクモさんはふっと目を細める。

「いつから」
「百ねーーー」

 言い掛けて、口を噤む。そして一拍置いてから、口を開いた。

「前世から、ずっと焦がれていました」

 正直に答えると、目の前の彼は親指と人差し指で自分の顎を撫でる。

「君は、君自身はカカシに何をしてやれると思っている」
「何、とは」
「そうだなー」

 腕を組み、天井を仰ぐ。それから、ピッと人差し指を立てて言った。

「例えば、カカシが無一文になったらどうする」
「俺が養います」
「カカシが君の貯金を使い果たしたら」
「また稼ぎます」
「カカシがこの家を欲しいと言ったら」
「持ち家ではないので、カカシの名義で契約して俺が支払うことになりますね」
「これはかなり極端なケースだが。ーーーもし、カカシに移植が必要なほど深刻な事態に陥ったら」

 君はどうする。

 そう聞かれて、俺は当たり前のように頷いた。

「俺のをやります」
「ん?」
「目でも、肺でも、胃でも、肝臓でも、腎臓でも。……ああ、でも血液型が違うから血は無理か」

 他に渡せるところがあったかなと指折り数えていると、サクモさんが驚きの目で俺を見つめ返した。

「君は、君自身が与えようと思うのか」
「?はい。俺が与えてやれるものならば、何でも」

 カカシにしてやれてることがあるのかは分からない。俺の方がしてもらっていることの方が多いから。でも、何かをしてやれるなら、何でもしてやりたいと思ってる。

「アイツは俺の命そのものです。何をやっても惜しくない」

 本心だった。

 しかし、サクモさんは思わぬ言葉を聞いたというように目を見張る。

 (俺、何か変なこと言ったか……?)

 じっと注がれる視線にたじろぐと、不意にリビングのドアが開いた。

「ふ……、いくら試そうとしても無駄だよ、父さん。言ったでしょ。チヒロはどうしようもないほどお人好しだって」
「カカシ」
「ああ、どうやらそのようだな」

 カカシが帰宅した。

 柔和な笑みを浮かべて、足元に寄ってきたアキノの頭を撫でる。サクモさんは帰ってきた息子の言葉に肩を竦めた。

「友人でも恋人でも。なかなかいないぞ、こんな男は。どうやって見つけたんだ」
「んー、ま!チヒロは昔からカモなところがあるからなぁ。ネギ背負って向こうからのこのこやってきたのよ」
「のこのこって、お前な……」

 俺が口元を引き攣らせると、サクモさんが腕を組み、神妙な顔で頷いた。

「なるほど。それでカカシは鍋を作ったと」
「まだ煮てるところだけどね」
「そろそろ食べ頃なんじゃないか」
「んー、もう少しかな。もう少し刷り込みたい」
「刷り込まれてんのか、俺」
「ったく。慎重なのは誰に似たんだか。奥手なのが裏目に出て、いつか誰かに取られて後悔するぞ」
「そんなヘマしなーいよ。やっと手に入れたんだから」
「そうか。それなら良かった」

 良くねーよ……ッ!

 満足げにうんうん頷くサクモさんと、一緒にうんうん頷くカカシ。

 どうなってんだ、この親子の会話。なんでカモネギ鍋で成立してんだよ。おかしいだろ。おかしいよな。

 俺は同意を求めようと忍犬たちを向いたが、総じて視線を逸らされる。お前らの主人たちだろうが。何とかしてくれ。

 サクモさんは残っていたコーヒー飲み干し、腰を上げた。

「じゃあ、また来るよ」

 言いながら、座っていた俺の頭にポンッと手を置き撫ぜる。それからカカシに「元気そうで良かった」と声を掛け、リビングを後にする。

 (撫でられた……)

 やっぱりカッコイイーーーじゃなくて。

 俺は慌てて立ち上がり、その背を追いかける。

「サクモさん!」
「うん?」
「俺、カカシのこと好きです、ずっと!だから心配しないでください!」

 何じゃそりゃあ。

 口をついて出た言葉は、自分で言った後に思わず突っ込みたくなるほど拙くて。

 けれどサクモさんは、まるで全部分かっているとでも言うように、そんな俺に微笑み掛ける。

「息子の側に、君のような子がいてくれて良かった」

 カカシをよろしく。

 そう言い残し、サクモさんは玄関を閉めた。去り際までスマートかよ。

 感嘆の息を吐いて、玄関を降りる。ガードを掛けようとドアに手を伸ばすとーーー、

「……カカシ、何してんだ」
「んー、ちょっとね」

 ちょっとね、じゃねーよ。
 壁ドンならぬ玄関ドン。カカシが俺の顔の横に手をつき、背中から覆い被さってきた。

 とも思えば、俺の頭をぐりぐりと撫で始めた。

「ちょ、ま、やめろ、カカシ!ハゲる!ハゲるッ!」

 摩擦が痛い。俺が逃げようとその腕の中で身を捩りながら彼を向くと、片頬を膨らませむすっとした顔でこちらを見下ろすカカシがいて。

「な、なんだよ……」
「白い牙の父さんと、火影のオレとどっちがかっこいいの」
「は」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。

 白い牙と、火影。サクモさんと、カカシのどっちがかっこいいかって。

「ふ……っ、はは!ヤキモチかよ!可愛いな!」
「ッ、チヒロ……!」
「わーってるよ。聞いてるって」

 両手で髪をわしわしとかき混ぜてやると、恥ずかしそうに染めた頬を膨らませてそっぽを向く。俺はその後ろ頭に手を回し、自分の肩に引き寄せてそっと撫でた。

「俺は火影でもなくて、今目の前のお前のことをかっこいいと思ってるよ」

 それを聞いて満足したのか。カカシは「……そっか」と呟いて俺の肩に顔を埋める。俺もまたカカシの髪に頬を寄せようとしてーーー 

 コンコン、ーーーガチャ。

「うおっ」
「おっと」

 ノック後に、寄り掛かっていた玄関のドアが突然開いた。バランスを崩した俺と、俺が抱き締めていたカカシとをサクモさんが片腕でキャッチする。

「大丈夫か」
「す、」

 すげェ……。

 (やっぱりこれくらい出来るとカッコいいよな。俺も腕の負荷増やそうかな)

 つい見惚れていると、カカシがそんな俺の背に手を回しきつく抱き締め。更にそれを見たサクモさんが、苦笑しながら後ろ頭を掻いた。

「いやー、実はスマートフォンをソファに置き忘れちゃったみたいでね」
「父さんはもうこの家に出入り禁止!」
「「えっ」」

 突如の出禁発言に瞠目する俺とサクモさん。

 結局、サクモさんの面前で撫でて抱き締めてやって。ようやく機嫌を直したカカシだった。
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