10数える間にキスをして


※哲学者の憂鬱読後推奨。内容は続いていませんが、ネタを引っ張ってきています。



 風呂上がり。

 タオルで髪を擦りながらリビングを横断していたら、ソファの前で座っていたカカシに呼び止められた。

「チヒロ」
「なんだ」
「これ、いる?」

 これ。

 差し出されたのは、外干しを終えて畳んだばかりのカカシのスウェット。俺が度々借りているそれだった。

「いや、今はいらねーけど」
「欲しいならあげるよ」

 言われて俺は彼の手元に視線を落とす。

 別にスウェットが欲しいというわけではない。カカシがいないから代わりに着ていただけだ。これからも着る予定はあるが。

 (その度に借りるのも迷惑か)

 この間なんて、なりふり構わずカカシの部屋に押し入ってしまった。明けとはいえ、あんな醜態何度も晒したくない。

 それならいっそのこと貰ってしまおうか。

 (それに)

 単純に、欲しい。

 そう思ったが最後。分かりやすいくらいに、自分の中でぐらりと天秤が傾いた。

「本当にいいのか」
「くれって言ったのはチヒロでしょ」

 まあ、それもそうなんだが。
 
 カカシは迷うオレの目の前に自分のスウェットを掲げ、右にひょいと、左にひょいと動かす。釣られるように、右に左にと動くオレの視線。

「お前、そうやって俺で遊ぶの好きな」
「いやー、素直だなって」

 我ながらそう思うよ、チクショウ。

「じゃあ貰う」
「ん」

 俺がタオルを頭に被せたまま両手を差し出すと、手のひらに自分のスウェットを乗せてくれた。

「ありがとな」
「どーいたしまして」

 そして、カカシは乾いたタオルを片手に立ち上がった。

 洗面所に置きに行くのだろう。
 廊下の扉の近くにいたアキノが腰を上げて、カカシの後に続く。

 少しだけ遠くなる足音。
 俺は自分の手元のスウェットを見下ろし。

 ーーーぼふんっ。

 と一発、自分の顔を埋めてやった。

 周りの七忍犬たちがぎょっとしたのが伝わってきたが敢えてスルーし、持っていた服を額から鼻先へとずらす。

 (日差しの香り。それに)

 カカシの香り。

 (が、するような。しないような)

 正直、してもしなくてもいい。

 ただこうしていると、胸の奥がむず痒くて。擽ったくて。温かくて。ホッとする。

 (俺のだ)

 カカシのスウェット。俺のもの。

 口元がにやけそうになるのを、誤魔化すように首元のチョーカーに手をやった。

 特段物欲が強いというわけではない。
 サンマの抱き枕も、茄子のクッションもカカシを彷彿とさせたから買ったわけだし。

 後ろ髪が痕を隠せるほど伸びたにも関わらず、チョーカー(これ)を外せないでいるのも。面倒でもピアスをするのも。
 身に付けていればカカシを感じていられるからだった。

「変態だな……」

 分かってる。変態だ。カカシの服着て布団被って安眠してる時点でド変態だ。恥ずかしいにも程がある。

「でもまあ、今更スケベも変態も変わらないか」
「「……」」

 てっきり同意されると思い開き直ったが、返ってきたのは生温かい視線だけで。

「いやー、な。ほら、好きな人の匂いってさ。嗅ぐと落ち着くじゃん、やっぱ」
「「………」」
「とはいえ、俺は断じて匂いフェチじゃないぞ。見たり嗅いだりするより、どちらかというと触りたい派だし」
「「…………」」
「服なら触って嗅げるから両得というか。
 別にやましい気持ちはこれっぽっちもないからな。ただ純粋に好きだったのがこうなっちゃっただけで」
「「……………」」
「だからさ、そのーーー」
「「………………」」
「頼むからなんか言ってくれッ!!」

 取り繕おうとした俺が馬鹿だった。

 取り繕うどころか、口を開いだ分、綻びが酷くなっただけで。結局、スウェットを抱えたままソファに崩れ落ち自爆する羽目になったのだった。




 (な、にその顔)

 洗面所にタオルを置いてリビングに戻ってみると、オレのスウェットに顔を埋め、頬を染めてほっこりと目を細めるチヒロがいて。

 (かっ、わ……)

 全開しそうになったドアを咄嗟に引き、廊下を向いた。アキノが驚いて飛び退いたが、構ってる場合じゃなかった。

 (チヒロのあんな顔知らない)

 見たことがなかった。

 笑顔といえば、からりと笑うか、にかりと笑うか。歯を見せて得意げに胸張ったり、愛おしげに微笑んだり。はたまた恥ずかしそうにはにかむこともあったっけ。

 でも、あんなに全身からどうしようもなく嬉しいオーラ醸し出しているチヒロは初めて見た。

 (可愛い)

 不覚にも高鳴った胸。
 意識をすればするほど、鼓動が速くなり呼吸が苦しい。顔が火照る。

 オレはついに耐えきれず、右手で胸元を握った。

 反対の手で口元を覆い、扉を背にずるずると床に座り込む。

 アキノが心配そうに覗いて来るが、すまない。気遣ってくれるのは嬉しいけれど、今それどころじゃないのよ、ごめん。

 返事の代わりにそっと鼻の先を押し返してから、オレは膝を抱え項垂れた。

「はー……勘弁してくれ……」

 単なる思いつきだった。

『お前のスウェットを俺にくれ』

 あんなことを言っていたから。
 あげてみようかな、って。ただ、それだけ。

 ま、スウェットなんて代わりはあるし。
 チヒロとお揃いっていうのもいいし。ダボっとしているオレの服着ているチヒロ可愛いし。チヒロからオレの匂いがするというのも悪くない。

 それに。

 (まるでチヒロがオレに染まっているみたいでーーー)

 狂おしく、切ないほどに愛おしい。

 こんな邪な気持ち、流石に本人には言えない。そう思ったが。

「ほら、好きな人の匂いってさ。嗅ぐと落ち着くじゃん、やっぱ」
「ただ純粋に好きだったのがこうなっちゃっただけで」

 聞いて悶絶した。無理でしょ、これ。

 (どれだけオレのこと好きなのよ……!)

 オレがこんなことを考えてるなんて知らないのだろう。
 チヒロは自分のことをスケベだの変態だの言ってるけど、オレほど歪んじゃあいない。

 (チヒロ)

 好きだ。

 お人好しなところも。
 兄貴面して甘えさせてくれるところも。
 自分は甘え下手なところも。

 家でダラダラしてるところとか。ちょっと持ち上げただけでひょいひょい乗っかるチョロイところとか。どうしようもないと思うところ、全てが好きなんだ。

「気付くのが遅いな、オレも」

 苦笑しながら立ち上がる。そしてノブに手を掛けて、足元のアキノを振り返り言った。

「なあ、アキノ」
「ワン」
「そのサングラス、貸してくれない?」

 チヒロのあの表情を思い出すだけで動悸がする。今直視したら目が潰れるかもしれない。

 しかしアキノは返事の代わりに溜め息をつき、オレより先にリビングへと入ってしまった。

「あれ、アキノ。カカシはどうした」
「……」
「何でお前まで無言なんだよ」

 訝しく思ったらしいチヒロが、オレを探しに廊下に出てきた。そんな彼を、どうしたと問われるより早く腕の中に閉じ込めるまであと数秒。
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