もしかして川の向こう側


「私と任務どっちが大事なのよ!?」

 何を言われているか分からなかった。

 任務から帰還して、報告書を上げた帰り道。

「ゲンマ、顔色悪いぞ。病院寄ったらどうだ」

 気にかけてくれる同僚の言葉をやんわり断ってから帰路についた。

 その道中で。
 半年前から付き合っていた女の背中を見つけて声を掛けたら、こちらを振り返るなり目尻を吊り上げて喚き始めた。

「前に約束したじゃない!映画見に行こうって!」

 それは任務が入ったから無理だと伝えたはずだ。

「約束しても、いつもそう。任務任務任務で、ろくにデートも出来ないじゃないの」

 仕方ないだろ。忍に任務は付きもんだ。

「この間のデートも途中で切り上げたし。その前だって」

 そして忍である以上、連絡があれば、休み中だろうとデートの途中だろうと関せずに出なければならない。

「連絡だってまちまちでしょ」

 おまけにオレの通常業務は、火影様の護衛。お忍びで動かれる場合は極秘任務となり、連絡が出来ないことだってある。

「分かってたわよ。でも寂しいんだもの……!」

 ああ、クソ。またか。
 頭がガンガンする。

「だから別れて、ゲンマ……」

 目の前が真っ白になった。




 それから何が悲しいのか、女は泣くだけ泣いて去って行った。

「私には、私だけにはもっと優しいと思ってたのに」

 別れ際。
 相手の口から、十中八九零れる言葉だが、違う。優しいんじゃない。相手がオレの言動をそうだと思っているだけだ。

 (何度目だったか。同じ理由で振られんの)

 一般人が相手だからとか、そういう問題でもないらしい。忍は忍で職場が近い分、余計に言われる。

「ゲンマ、本当に私のことが好き?」

 好きじゃなきゃ一緒にいるわけないだろ。

「またあの子の面倒見てたよね」
「ゲンマって誰にでも優しいじゃない」
「信用できない」

 ここまで積まれたらアウトだ。
 返す言葉がない。面倒見るのは後輩だからだし。優しいのは人それぞれの感じ方だ。信用するしないは個人の自由だ。

 (どうしてこう、毎度上手くいかねーかな)

 普通に接しているだけなんだが。

 考えようとするだけで、頭が揺れる。いよいよ身体が重くなって来た。

 (寒ィ)

 風邪だろうか。今回の任務は雪中で野宿が続いた上に、ここ数ヶ月休日も女と出掛けてたからな。
 
 (あー……、休みてぇ)

 そう思った直後。
 ぐらりと視界が回り。身体が揺れた。

「ッ?!」

 倒れ込みそうになり、咄嗟に近くの電柱を掴もうと手を伸ばす。そうして掴んだのは。

「な、んだ……?」

 想定していたより二回りほど細い棒。頭上から降ってくる灯り。見上げると、それは電柱ではなく街灯だった。辺りは真っ暗で。

 (いや、待てよ)

 さっきまで昼だっただろ。どうして突然夜になった。

 どくりどくり、と心臓が早鐘を打つ。

 サンダルの裏から伝わる、固い石の道。木の葉の里は土の道だ。
 住宅街には違いないが、こんな閑散とした場所は知らない。

 (幻術か、……違うな)

 五感は健在。解印を結んでも何も変わらない。どうなってる。

 呼吸を整え落ち着こうしたが、酷くなる一方である頭痛に邪魔された。それどころか全身の怠さに抗うこともできず。

 (くっそ、情けねえ)

 いい歳こいてこのザマか。

 街灯の柱を手摺に、ずるりと滑るようにして膝を折る始末。塀に寄り掛かり、目を閉じた。

 足音はいくつかしたが、どれも近付いては遠去かる。立ち止まる者、戸惑う者の気配はあれど、声をかけてくる者はいない。

 (やっぱり寒ィな)

 それは鼻先を冷やす冷気のためか。果たしてそれだけのためだろうか。

 四肢の感覚が徐々に鈍くなっていく。ただ、沸騰するように熱い頭だけが、鉄打たれるように揺れていた。

 そんな虚の意識の中で。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 不意に響いてきた声は。

「大丈夫ですよ。大丈夫」

 額に触れた温もりと同じく。

「大丈夫。きっと元気になるよ」

 ほんのりぬくくて。

「大丈夫」

 じわりと沁みた。




 すっと、意識が浮上した。

 思い出すだけで億劫になるような頭痛も、身体の怠さも感じない。嘘のように軽かった。

 (こんなすっきりした目覚めはいつぶりだ)

 寝返りを打ち、カーテンから漏れる光を避けるように布団に顔を埋めると、柔らかい香りが鼻腔を擽る。

 (知らない匂い)

 だが、どこか安らぎを感じる。

 (……いや待て)

 安らいでる場合じゃないだろ。

 オレは寝ているフリをしたまま、そろりと再び寝返りを打った。額に貼ってあったらしい何かがペリッと剥がれる。

 薄く片目を開けて見ると、落ちたそれは、白い布地?のようなものに、水色の何かがぺったりと張り付いていた。

 (なんだこれ)

 なんでこれがオレの頭に……?

 視線を動かしたらオレのバンダナとジャケット、ポーチが枕元にあった。サンダルはあっちの玄関先に揃えて置いてある。

 それから壁の向こう。敵意は感じないが、気配はあった。人数は一人。チャクラはない。

 ガララ、と戸が開く音がした。冷えた空気が流れて来るのでベランダだろう。

 厚手のガウンを羽織った小柄な女性が、小さな背中を更に縮こまらせて屋内に入ってきた。

「うー……寒い」

 この声は。
 頭が揺れる中に響いた。

『大丈夫』

 優しくて。

『よーいしょ、どっこいしょ』
『どっせい!』

 やけに勇ましい女のものだった。しかし。

 (あの時の記憶が曖昧なんだよな)

 気付いたら知らない土地にいて。立っていられなくなり、塀に寄り掛かって足を投げ出して。拾われた。……気がする。

 それ以上思い出そうとすると、どういうわけかじくりと腹部が痛むのでやめた。

 オレは彼女に視線を戻す。両手に男物の洋服を抱えている。

 (乾いた洗濯物か)

 それを一旦ベッドの前に敷いているラグの上に置いてから、パタパタと戻り戸を閉めた。そして、洗濯物の前に正座して一枚、また一枚と畳んでいた。

 見た目。二十代後半から三十代前半。
 家具や間取りからしても、兄弟や夫と同居している風ではない。だとすると、彼氏のものだろうか。

 畳み終えたものは段ボールに入れ封をした。そして、何やら紙を貼り終えた頃に家のチャイムが鳴った。

「はーい」

 彼女は返事をしてドアを開ける。
 帽子を被った男から、段ボール箱を受け取っていた。

 そこに貼ってある紙を見るなり、表情が陰鬱そうに陰った。しかしそれも一瞬で。

「ありがとうございました」

 すぐに笑って見せた。

 それから服の入った段ボールを渡し、金を払って「よろしくお願いします」と託す。

 彼女は相手が帰るのを見送ってから鍵をかけ、早速受け取った箱を開けた。
 中から現れたのは純白の衣装。それはまるで、結婚式に着るような白無垢のような輝きをしていた。

 彼女はそれを、両手でそっと掬い上げるように持ち。

「ッ!」

 打ち捨てようとしたのか。
 くしゃりと握って振り被ったが、苦しそうに顔を歪めてそのままへたりと座り込んでしまった。唇を噛み、俯く。震える肩。

 床に広がる衣装。
 その上にはたり、はたりと染みが落ちた。

 (訳アリ、か)

 完全に起きるタイミングを逸した。
 
 自分の家だというのに身を折り、声を殺して泣いている。恐らく誰にも聞かれたくないし、見られたくもないのだろう。

 オレは目を閉じて、静かに背を向けた。ーーーつもりが。

 ガシャッ。

 (しまった……!)

 ポーチに肩が触れ、中の忍具(恐らくクナイだろうが)が互いに擦れ合い音を立てた。ハッと顔を上げた気配を感じ、内心舌打ちする。

 (さて、どうしたもんかな)

 結局、背を向けることは叶わず。仰向けの状態でじっとして目を瞑っていると、やや遠慮気味に女が近寄って来る。

 無難に、今起きたように振る舞おうと身動ぎすると、気配がびくりと揺れた。

「あの……ひょっとして起きてます……?」
「ん……、ああ。今、起きた」

 天井の明かりを受けて眩しそうに目を細めてみせると、彼女はオレが本当に『今』起きたのだと思ったらしい。ホッと胸を撫で下ろしてから、微笑んでみせた。

「目が覚めて良かった。四日間寝込んでたんですよ」
「マジかよ」

 これには流石に素が出た。

 彼女はそんなオレに、ふふっと笑顔を溢して「身体起こせそうですか」「何か食べれそうですか」と訊ねた。頷くと、すぐに腰を浮かせて、備え付きのキッチンへ向かう。

 身を起こすと、ギシリとベットが軋んだ。

 広くはないが、綺麗に片付いている部屋。
 ベージュを基調に白やピンク、黄など薄い色を随所に当てている。

 キッチンから漂ってくる食事の香りは、どこか実家の懐かしさを覚えた。

 (なにより)

 温かい。

 この家も。彼女の持つ雰囲気も。笑顔も。記憶にある、額に触れた手も。

 (勿体ねーことする男がいたもんだ)

 荷物を届ける人間に男物の服を渡した。持ち主に返すと考えるのが妥当だ。
 そして、あの衣装が白無垢であるならば。

 捨てようとして出来なかった。泣いていた。悔いがある。推測できることは。

 (手を放された)

 オレが動けない中。

 興味本位に近寄って来るヤツは何人かいたが、声を掛けて担いで家に連れて帰り、こうして世話を焼いてくれるのは彼女以外にいなかった。

『大変な時はお互い様です……!』

 身元の知れない、見ず知らずの人間にここまで出来る者。言ったことを体現できる人間が、どれだけいるのだろうか。

 優しい笑顔。芯の強さ。温かく落ち着く家。

 (もしオレだったら絶対手放さなーーー)

 そこまで考えて、はたと思考を止めた。

 (……待て。今、何を考えた)

 ほぼ初対面に対して抱くはずのない情が湧いてくるのを感じ、少なからず戸惑い口元を抑えた。

 任務ではないにしろ、簡単に情を抱くのは忍としてはあるまじきことだ。いや、それ以前に。

 (手放さない、なんて。これまで考えたことあったか)

 別れないようにと、自分なりに努力はしてきたつもりだった。だが、それだけだった。

『ゲンマ、本当に私のことが好き?』

「あー……。そういうこと、か」

 オレは肩を落として、くしゃりと前髪を握った。
 大抵、気付いた時には遅い。

「お粥と、牛肉の醤油煮です。牛肉は柔らかい部位をしっかり煮込んでるので、消化にも悪くないと思います」
「ああ。ありがとな」

 お盆をベット前の座卓に置いてくれる彼女を見つめると、察したようにふわりと笑う。

「成瀬灯と申します」
「不知火ゲンマだ。敬語も敬称も慣れてねーから、ゲンマでいい」
「うん、分かった。私も呼びやすいように呼んでくれていいよ、ゲンマ」

 順応力高いな。
 ベッドから降りると、先程の衣装が視界の端に入る。灯がオレの視線に気付き、「あ」と声を漏らしてそれを手にくるくると巻いた。

「ごめんね、片付いてなくて見苦しくて」
「別に。見苦しくねーよ」

 服を雑に畳んでいた手が、ぴたりと止まる。オレは彼女から視線を外して言った。

「それだけ、本気で好きだったってことだろ」

 息を呑んだのが伝わってきた。

 (口、出し過ぎたか)

 その上、寝た振りまでバラしたが仕方ない。

 無理に泣き顔に貼り付けた彼女の笑顔は、どうにも堪える。そんな顔を見るくらいなら、どうして寝た振りしていたのかと責められる方が幾分もマシだと思った。

 (羨ましいもんだ。それだけ想われているってのは)

 それからオレは何もなかったように、蓮華を手にお粥を口に運ぶ。ほんのり塩味。

 牛肉を解してみると、すんなり解れた。
 お粥に乗せて舌に乗せると、肉は蕩け、程よい甘塩っぱさが口の中一杯に広がる。数日ぶりに仕事する味覚が歓喜した。

「う、めェ……」
「!良かった」

 肉を噛み締めていると「おかわりあるよ」と新しい皿を持ってきてくれる灯。

 間髪入れず受け取るオレに、目を丸くしながらも口元を綻ばせるその笑顔に胸が疼いた。
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