追い追い説明いたしましょう
「ーーー以上が本日の納品分になります」
「はい、大丈夫です」
わたしは配達員さんと読み合わせながら、頼んでいた本と巻物が全てあることを確認した。それから、入荷分のリストにポンっとハンコを押して彼に渡す。
「では」
「ありがとうございました」
お礼を言って、急ぎの背中を見送った。
「さて、と」
わたしはカウンターに積まれた本を作業台に下ろした。お店に並べる本と、お客さんから頼まれた本とを分けていく。
「こっちはお店。これもお店。これは武田のおじいちゃんで、この巻物は火影様で」
と巻物を手に取ろうとしたら、紐が緩んでいたらしい。つるりと手が滑って、あれよあれよと言う間に、巻物が作業台を伝って床へと転げて落ちてしまった。
「いけない……!」
解けてしまった巻物を慌てて巻き直していると、記述されていた術式が目に入った。入ったというか。まるで、飛び込んで来るような。
「ーーーえ」
ぽふんっ。
軽い音がして、身体が煙に包まれる。そして、内臓が浮かぶような浮遊感のち。
「きゃんっ!」
落下。
床に思いっきり尻餅をついた。痛い……!
わたしは打ったお尻を撫でようと手を伸ばそうとした。しかし。
「わふ?」
手が届かない。おまけに。
「わふん」
なに、この声。
わたしは恐る恐る自分の身体を見下ろした。
全身、毛。毛だるまになっていた。
手のひらは肉球。足の裏も肉球。右下を振り返ると、短い尻尾。
手、とはもはや言えない。右前脚で顔に触れる。
鼻が気持ち高い。顔の両脇にあった耳を探すように頭上へなぞると、ピンっと立った三角形のそれへ行き着いた。
(これって、ひょっとしなくても獣耳)
普段、足元に置いている暖房器具の金属部分に映る自分の姿を見て絶句した。
(い、犬……?!)
髪色の毛の子犬だった。
それであんな声が出しちゃったんだ。あの巻物の術にかかってしまったに違いない。
どうしよう、と思うより先に店の扉が開く音がした。
「遼」
救世主。幼馴染の声だった。
「わふんっ!」
「……、遼」
「わふんっ!」
わたしは力の限り鳴いた。
不知火くんの気配が店内に入り、カウンターの前を行ったり来たりしている。
「わふっ!ふすんっ!」
ここ!ここだよ、ここ!
鳴くのも結構疲れるな、と思いながら必死に叫ぶ。
まずはお尻で座ってしまっているこの状態をなんとかしないと。えいや、と思い切って身体を倒した。ぽてんと転び、下にした左側が少しばかり痛むけれど泣き言など言ってられない。
くるりと背を上にして、ようやく四つん這いになる。これで歩くことが出来る。不知火くんめがけて走ろうと踏み出したら。
「きゃうんっ!?」
つるっと滑ってぺしゃりと転げた。昨日綺麗にモップかけたのが、まさか仇になるなんて。
音に気づいた彼が、ようやくカウンターの裏を覗き込み目を丸くする。
「遼」
「わふん」
「なんだその間抜けな鳴き声は」
「ぅううう」
「本意じゃねーのか」
「わふ」
当たり前でしょ。どうせ鳴くなら、もうちょっと格好良い感じが良かった。
不知火くんは、わたしのお腹に手を入れてひょいと片手で抱き上げる。
「原因はこの巻物か」
「くぅん」
問われて素直に首肯した。
火影様から頼まれていたものだったのにごめんなさい。
「大方、紐でも緩んでたんだろ。気にすんな」
不知火くんはこう言ってくれたが。
今回は初歩も初歩。この歳でこんな失敗やらかすなんて思いもしなかった。
耳と尻尾がしょんぼりと垂れるわたしに対し。不知火くんはわたしを抱くのと反対の手で、自分の後ろ首を掻いた。
「そう落ち込むなって。術の効果はもって半日か、一日くらいだって聞いたぞ」
彼曰く。
この巻物は、湯の国からの依頼品らしい。
湯の国といえば、名の通り温泉が有名な、木ノ葉の里の友好国。
同じ国の中に国境がある珍しいところで。犬と猫が祀られていると聞いたことがある。
「信仰深い人間が多いこともあってか。割と新興宗教が起こりやすいだろ、あそこ」
「わふん」
「半年前から犬神を名乗る男が、信者を犬にしながら『これこそ神の御業だ』っつって布教を勧めているらしい。訝しんだ依頼者が調べたところ、その原因が恐らくこの術式ではないかと報告があった」
不知火くんが、巻物に記されている術式を人差し指でトントンと叩いた。
「火影様から頼まれて、オレが解析するはずのものだったんだ」
この術式が本当に人を犬にするものならば。
その男はただの似非者で、神でもなんでもなくただの人間だということになる。
「だから、調べる手間が省けた」
ありがとな、と言って彼の大きな手が、わたしの頭を撫でた。結果オーライ。役に立てて良かった、ということでいいのだろうか。
釈然としないまま首を傾げると、不知火くんは慰めるように耳の付け根あたりを指先で優しくマッサージしてくれる。その手付きが慣れてなくて少し笑った。
「とりあえず。店は臨時休業の札出しておくか」
「わふん」
「取り急ぎの仕事は」
わたしは聞かれて、不知火くんの腕からカウンターに降りた。
そして、入荷した本を避けて。一番下に敷いている紙を前脚でピシッと叩く。
「わふんっ」
お届けがあるの。この住所。
不知火くんは本の下から、わたしが踏んだ紙を引き抜いた。記された住所を見て眉を顰める。
「割と距離があるな」
「わふ、わふん」
じっちゃんがいた頃から、ずっと通ってくれていたおばあちゃん。
しかし、二年前に足を悪くしてしまってからは、月に一度、自宅まで頼まれた本を届けるようにしている。
毎月この日を待ってくれているから、出来れば今日行きたいのだけれど。
「そうだな。持っていくくらいならなんとか」
頭の中で仕事の時間配分をしているのだろう。千本を咥え直し、顎に手を当て店の時計を眺めている不知火くん。
わたしはその間に、持っていく予定だった本の背表紙を頭と前脚で押しながら、これとあれとと作業台に並べていく。
ふと。頭の上の耳が立って顔を上げた。
「どうした」
「わふん」
誰か来る。
店の扉をじっと見つめていると、見慣れたシルエットが入ってきた。
「ん、あれ。ゲンマじゃない」
「カカシさん」
はたけさんだった。
「任務では」
「今日は待機なのよ」
「ナイスタイミング」
「なにが」
不知火くんはわたしの両脇に手を差し入れて、あろうことかはたけさんの目の前に掲げた。
じー。
じー。
無言のまま見つめ合う。
お腹丸出しで、ちょっと恥ずかしいんだけどな。
後足をもじりとして、前脚で顔を覆うようにしたらはたけさんがその目を軽く見開いた。
「ひょっとして、遼か」
「わふん……」
「なに、その間抜けな鳴き声」
どうしてみんな間抜けって言うの。
「実はかくかくじかじかで」
「これこれうまうまってわけね」
それで通じちゃうんだ。
わたしが小首を傾げていると、成り行きとお届けの件を聞いたはたけさんが「じゃあオレが付き添うよ」と言ってくれた。
「わふ?」
「本当」
「わふんっ!」
ありがとうございます!
尻尾がはち切れんばかりに振れる。
不知火くんを見上げると「すみません、助かります」と言いながら、住所の記された紙と本とわたしとを、はたけさんの手に預けた。
「これが店の鍵です」
「確かに」
「いいか。ベストに爪立てて穴開けるなよ」
「ふすんっ!」
わたしはそんなことしません!
はたけさんの腕の中で不知火くんに言い返した。