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 はたけさんのお見舞いに行ってから一週間余りが過ぎた。

 ちゃっかりやってきた、いのちゃんとサクラちゃんにお礼と報告をして。化粧品諸々詳細教えてもらって。それから普段通りに勤めて。それでーーー。

「……なんだっけ」

 どうしよう、この一週間のことほぼ覚えていない。仕事関係はメモしているから問題ないけれど、ほとんどがうわの空で。なんだったら、いのちゃんとサクラちゃんとの会話の内容でさえ曖昧だ。

 原因はひとつ。

 (好き、って。言われた)

 はたけさんのお見舞いに行った時。そこで言われた言葉だった。

『遼のそういうところ好きだよ』

 胸がきゅっとした。嬉しかった。

 はたけさんが好きっていうのは、わたしじゃなくて、わたしの「そういうところ」だっていうのは分かってる。でも未だに、あの時の優しい眼差しを忘れられずにいた。

 思い出しては顔が火照り、頭がぽやぽやする。

「でも、いい加減切り替えないと」

 いつまでも浮かれてちゃダメだ。お洒落もいいけれど、仕事は仕事。言い訳なんかしてちゃダメ。

 わたしは、先週行けなかった買い出しの荷物を抱え直してから踏み出した。帰路を辿っていると、向こうから逆立ちしながら歩いてくる人がふたり。

「遼!青春してるか!」
「うん、してるよ。こんにちは、マイトくん」

 逆立ちしたまま、キラリと白い歯を見せるマイトくん。その隣で、同じようにキラリと歯を輝かせる少年がいた。

「隣はオレの愛する教え子の」
「ロック・リーと申します!初めまして!」
「初めまして、リーくん。末廣遼と申します」

 マイトくん似の眉毛におかっぱ。着ているものも一緒。ふたり並ぶと驚くくらい似ている。

 マイトくんはわたしの荷物を見て眉を顰めた。

「なにやら重たそうだな」
「そうかな。いつもに比べたら軽い方だよ」
「よぉし!せっかくだから手伝おう!」
「え」
「遠慮は無用!ここで会ったのも何かの縁だ」
「では、ボクもお手伝いします、遼さん!」
「え、うん、ありがとう……?」

 と、返したはいいけれど。

「やっぱり、どちらかわたしが持つよ」

 右手の荷物をマイトくんが、左手の荷物をリーくんが持ってくれたので、わたしが両手空いてしまった。通りすがっただけなのに。

 なんだか申し訳なくて、二人に挟まれて歩きながら肩を窄めた。すると、マイトくんがニカリと笑って言った。

「遼は一人で店を切り盛りしているだろう。いつも頑張っているのだから、こういう時くらい楽にしろ」
「でもわたし、最近ほんとダメだから」
「何かあったのですか」
「うーん。ちょっとね」
「スランプか」
「似たようなものかな。どうにも仕事に身が入らなくて」
「なるほど、それならいいものがあるぞ!」
「いいもの?」

 マイトくんが持っていた荷物を片手に持ち直し、ベストの内側を探った。そして。

「これだ!!」

 ドン!とわたしの目の前に一枚の服を掲げる。それは、見覚えがある……、というか今まさに、目の前でマイトくんとリーくんが着ているものだった。

「動きやすさを追求しつくした一枚だ!むろん、通気性抜群!着心地の良さは折り紙付き!他のことに気を取られることもなく、何事にも集中できること間違いなしだァ!」
「わ、そんなすごい服だったんだ……」
「はい!ボクもこれを着てから一気に集中力が増しました!今ではずっと着ています!」
「そっか……!」

 そうだ。
 着るものが違えば、気分が変わることは知っている。なら、今度もまた。

「ありがとうマイトくん!リーくん!わたし、これ着て頑張ってみるね!」

 きっと変わることができる。

 爽やかな笑顔で家まで送ってくれた二人を見送ってから、わたしはもらった服を眺めた。

「とはいえ、つなぎはお手洗いの時に脱ぎづらいよね」

 裁断して、トップスとボトムスに分ければいいかな。

 店の時計を見上げると、時間はまだ午後二時を回ったばかり。
 今から取り掛かれば、明日には間に合う。

「よし!」

 わたしは首の後ろで束ねていた髪を一旦解いて、高い位置に結び直した。ミシンのコンセントを壁に挿し、糸と針をセットする。作業台に服を広げて印をつけてから、裁断バサミを手に取った。




 定休日の翌日。

 開店時間に合わせて末廣亭に寄ることにした。
 先日アカデミー卒業試験が行われ、オレの受け持ちも決まった。近々彼らの試験をすることになる。その前に、予約した本は取りに行かないと。

 オレは今となってはすっかり馴染みになった店の扉を開けた。カウンターを見遣るが、まだ彼女がおらず。

 (早すぎたかな)

 店内を見渡すと、中央の木の柱の本棚、その向こう側に見慣れた後頭部を発見した。声をかけようとそちらに回ると、本を棚に並べている遼と目が合った。
 目が、合ってーーー。

「……遼、だよね」
「はい。はたけさん。おはようございます」
「うん、おはよう」
「腕はもう大丈夫なんですか」
「お陰様で」

 良かったです、と胸を撫で下ろし微笑む彼女に、オレは笑みを返しながらも内心首を傾げた。

 (どうしたんだろう。いつもと何かが違う気がする)

 首の後ろで髪を括り、眼鏡をかけたエプロン姿の彼女。いつも通りの姿なのに、違和感が拭えない。
 何か、が分からないのがもどかしい。まるで、喉に小骨が刺さっているみたいだ。

「お寄り寄せの本ですよね。今ご用意しますので」
「うん、お願いね」

 もう少し観察してみるか、と思った矢先。踵を返した、その後ろ姿を見て気付いた。気付いて、しまった。

 (ま……ッて!)

 思わず口元を右手で覆った。

 程よい肉付きの背中。腰のくびれ。背中からお尻に向かう美曲線。
 そしてなにより、キュッと上がっている小ぶりの柔らかそうなお尻。ごくりと唾を飲み込んだ自分の喉の音に、ハッと我に返る。

 (いかん!)

 オレはいつの間にか釘付けになっていた視線を無理やり外して、自分のベストを脱ぎ、前を歩く彼女の肩に掛けて裾を軽く引いた。そして、しっかりお尻まで隠してから一定の距離を取る。

「?あの……?」
「着てて」
「え」
「着てて」
「あ、はい」

 語気が強くなってしまったが致し方ない。 

 気になっている子の身体の線が惜しみなく強調されているソレを直視して、男として何も思わずにいられるほどオレは人間出来ていない。

「その服、アレだよね。ガイが着てる、その」
「はい。同じものです」

 同じもの。

「どうして着てるの」
「心機一転頑張ろうと思いまして!」

 心機一転頑張ろうと思いまして?

 何を考えてるんだ、この子。ぐっと手で拳を作って至って真面目な顔をしている。

 そうか、何かを考えてこうなったんだ。

 だが、これまで遼の思考を理解しようとして出来た試しがない。他の人の場合は大抵推論で通るものだけど、同い年だというのに、この子にだけは全く、これっぽっちも通じなかった。

「遼、その服さ」
「はい」
「あのね、……見えるのよ」
「はい?」

 オレがなんとか絞り出したその言葉に、遼は、眼鏡の奥の瞳をぱちぱちと瞬かせて小首を傾げた。

 こちらを見上げる上目遣い。だぼだぼの(オレの)ベスト。エプロンの隙間から覗く胸と気持ち控えめな谷間。あー、うん、悪くないなその眺め。

 (BのC寄り。これからちゃんと育てればCになる。いや、待て。オレが育てるのは遼の胸じゃなくて下忍ーーー)

 パタタ、と。
 オレの足元、店の床に赤い滴が口布から滲みては数滴落ちた。

「はたけさん?!」
「あー、うん。大じょーぶ。大じょーぶなんだけど、ほら、ね。だからその、それ、服。いつものに着替えてもらえると有難いんだけど」
「こ、これですね!?分かりませんけど、着替えて来ます!」

 オレが座るようにか、パイプ椅子を開いて、ティッシュをカウンターに置いてから暖簾を潜り、階段を駆け上がって行く遼。その気遣いや有難いが。

「そっか、分からないんだ……」

 その足音が遠ざかるのを聞きながら、オレは額を抑えて天井を仰ぐ。考えた末パックンを口寄せし、それとなく伝えて欲しいと頼んだ十分後。

「見苦しいものを晒してしまい大変申し訳ございませんでした……!」

 と、いつかのように土下座された。背中にパックンを乗せている。

 至高でしたが?と返したいのを飲み込んで、オレはティッシュで鼻を拭きながら笑顔を作った。

「あれ、もう、着るなよ」
「ぎょ、御意に」

 こうして、お酒の次にガイのタイツが禁止されることと相なった。
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