真珠に話しかけられて
遼と話し始めたのは、オレがアカデミーに入学した後のことだった。
元々、親同士付き合いがあったから会ってはいたが、歳下の女の子との遊び方なんか知る由もなく。
(また読んでる)
オレがしてやれることといえば、彼女の読書の時間に付き合うことくらいだった。
「何読んでるんだ」
たまたま話しかけると、それが意外だったのか。遼は本から顔を上げた。大きな瞳をパチパチさせてオレを見る。
「お姫様と忍者のお話しだよ。ゲンマくんも読む?」
「いや、オレはいい」
「そっかあ……」
聞いておいて悪かっただろうか。しゅんと首を垂れてしまった。
どんな話なんだと訊くと、今度はパッとこちらを見上げて笑顔を咲かせた。
「あのね、忍者は男の人なの」
「ふーん」
「お姫様のことが好きなんだけど、お姫様はお殿様と結婚するから、お姫様と忍は結婚できないんだって」
「だろうな」
「だから、好きでも言わないって決めてるんだって」
「へ、へえ……」
明るい顔と声に騙された。思っていたよりヘビーな内容だった。
「でもね。わたし、忍者大好きだよ」
「なんで」
オレがそう訊ねると、遼は本を胸にぎゅっと抱き締めて言った。
「忍者はね、お姫様を守るって決めてるの。結婚はできなくても、ずっと側で守るって」
「へえ」
「それでね!お姫様だけじゃなくて、お姫様が大好きなお城の人とかお殿様も守るんだよ!凄いでしょ!?」
「そ、そうだな」
勢いに押されてつい同意すると、「でしょ!でしょ!」と興奮気味に捲し立てる。
「わたしも大きくなったら、忍者みたいな忍になりたい!大切な人を、大切なものごと守れるようになりたいんだ!」
「っ」
紅潮した頬。キラキラと輝く瞳。太陽のような明るい笑顔。
不意に向けられたそれらが、どうしようもなく眩しくて。
「……そーか」
「うんっ!」
可愛いな、と思ってしまった。
(くっそ、顔熱い……)
火照る頬を隠す様に口元を手で覆ったら、遼がきょとんとした顔でこちらを覗き込んできた。
「ゲンマくん、どうしたの?」
「別に。どうもしてねーよ」
オレは誤魔化すように、遼の頭をくしゃりと撫でる。
これが俺の初恋だった。
▽
それから五年後。
ガイとエビスと別れて家に帰る途中。向こうから馴染みの女の子が手を振りながら駆けてくるのが見えた。
「ゲンマくーん!」
「どうした、遼」
「あのね!アカデミーの入学試験、受かったよ!」
両手を広げて万歳する遼の笑顔を見て、オレ喜びよりも安堵に胸を撫で下ろした。
「やっとか」
「やっとです」
「長かったな三年間」
「長かったよねえ」
二人でしみじみと遠くを見つめた。
本を読むのが好きで、記憶力だけはいいから筆記には苦労しなかったが、忍者として肝心の実技が壊滅的だった。
チャクラを練るのにも時間がかかる。体術が出来るかといえば、パンチ力以外は皆無。型をやらせても右手と右足が一緒に出てくる。手裏剣は漏れなくノーコン。
本人から頼まれて指導についたが、正直、諦めろと言ってやりたくなるくらいに凄惨なものだった。
「ゲンマくんのおかげだよ。ありがとね」
「本当にな」
自分で言っちゃうんだと笑われて、おでこを小突いてやった。
剥れる顔が可笑しくて噴き出すと、ますます口を膨らませてそっぽを向く。宥めるように、その頭を撫でてやった。
「入学おめでとう」
「うん!頑張るね!」
「ほどほどにしろよ」
ぐっと拳を作って気合いを入れる遼。
この時はまだ、彼女が父方の実家を継いで書店員になるなんて、オレは夢にも思っていなかった。
▽
その日はたまたま任務がなく、遼の修行に付き合っていた。
「ぐぬぬ……」
「ちげーよ。クナイで対峙したら、力任せに押し返すんじゃなくて刃を滑らせて弾け」
「そ、それって上に?下に?」
「普通に考えて上だろ」
キィン!と金属同士が擦れる音が響き、遼と距離が開く。
「お、うまく弾けたな」
「本当!?」
「休むな。次はこっちだ」
「わっ!……あ!?」
持っていたクナイを遼に向けて投げると、「わっ!」で避けて「あ!?」で尻餅をついた。
「遼。受け身」
「わ、分かってたんだけど。ぬかるみに足を取られちゃって」
「ぬかるみ……?」
彼女の言葉に違和感を覚えた。
ここ数日雨なんか降っていない。かと言ってここは池からも遠いし、水遁を使った形跡もない。
瞬間。ゾクリと悪寒が走った。
「遼!そこから退け!」
「え?」
オレが叫ぶと同時に、彼女が座っている地面がぬるりと隆起し形を変える。
「いや……!」
「くっそ!」
間に合え……!
足の裏にチャクラを溜めて地面を弾いた。
土の手が遼の脚を捕らえるより早く、彼女の腕をぐいっと引っ張って身体ごと引き寄せる。
宙を切った手を蹴飛ばして、空中で一回転し着地した。
「怪我は」
「だ、いじょうぶ」
震えながら肩口に顔を埋める遼。人型へ形を変えていく土から目を離さず、その頭を左手で抱いた。
「何者だ」
問うと、木々が騒めき始める。
「お前に用はない。そこの小娘さえ手に入ればな」
辺りに響くのは男の声だった。オレは、ポーチから起爆札を巻いたクナイを取る。
「理由は」
「穏便派の密書を届けられては困るのだよ」
「密書……?」
まるで話が見えてこない。
密書と遼と何の関係あるんだ。
訝しげに眉を顰めると、男は喉を鳴らした。
「安心しろ。用が済んだら、両親と同じところに送ってやる」
ぐらりと地面が揺らぎ、土の手に両足首を掴まれた。
「しまった……!」
「ゲンマくん!」
オレが遼を逃がそうとするより、人影が降りて来て動けないオレの手から彼女を奪い取る方が早かった。
「いやあ!」
「遼!」
持っていたクナイを投げるが躱される。ポーチから抜いた巻物を広げて、封じていたいくつもの武器を解放しようとしたが。
「がはッ!」
「やめてぇ!!」
後ろから頭を掴まれ、地面に叩きつけられた。遼の悲痛な叫びに、飛びかけた意識が戻ってくる。
薄らと開いた目に映ったのは、涙で顔をびしょびしょにしながら、男の腕から抜け出そうともがく幼馴染の姿で。
(泣、くな)
頼むから。
(お前のそんな顔は見たくねーんだよ……!)
辛うじて動く手に力を込めると、巻物がぐじゃりと音を立てた。
解けたのは風磨手裏剣。地面に這いつくばった体勢。頭を押さえつけられて自由が利かない視界で、刃を広げて感覚を頼りに放った。
「ふん、どこを狙ってる」
「……お前じゃねーよ」
手裏剣が当たったのは先ほど投げたクナイ。男の斜め後ろの木に当たったそれだった。
「ドカン」
ズズン……、と重い地鳴りがした。
火薬の量を弄った起爆札は、十本近い木を巻き込んで大爆発を引き起こす。
(オレじゃあコイツには勝てない)
それならせめて、侵入者を知らせるための狼煙でも上げようとクナイを仕掛けた。
(チョウザ先生でも、ミナト先生でもいい。頼む、誰かーーー)
自分が思うより強く打っていたらしい。ガンガン揺れる頭に比例して重たくなる瞼。
気を抜けば遠ざかりそうになる意識の中、願うように奥歯を食い縛ると。
「よくやった」
面を被った暗部が二人、オレの目の前に降り立った。彼らが男を拘束し、気を失った遼を取り上げたのが見えた。そして。
「こちらは間に合ったようじゃな」
「ほ、かげさま」
三代目が話そうとするオレを制した。代わりに、温かい笑みを浮かべて言った。
「あの子のことは任せなさい」
ああ、もう大丈夫だ。
緊張の糸が切れて、身体がドッと重くなる。火影様が引き連れて来た暗部に、オレを病院に連れて行くよう指示を出すのが遠くで聞こえた。