※恋愛における理論の番外編、本編後のお話です。

「せーいち」
「うん、ごめんね、少しだけだけ待ってくれるかい?」
「…はーい」

カリカリとシャーペンが磨り減っていく音が、今私と彼がいる空間に響く。
部活後のテニス部の部室に、お邪魔させてもらっているのだ。
肝心の精市は、部誌になにやら今日のメニューや感想を記入している。私達はまだ高1だけど、もうすぐ2年の先輩たちが引退してしまうので、実質今の一年がこの時期になると部長の役割を持つそうだ。精市は中学でも部長をやっていたし、才能と度量を含めた上で、任されているんだろう。


それがあなたへの愛ならば不安さえも愛してる


精市が部誌を書き始めて10分が経過した。“あれ”以来、何だか精市と離れる少しの時間でも、寂しいと感じることが多くなった。別に悪いことではないと思うのだけど、やはり、今まで絶えていたものの反動だろうか。

「有海、終わったよ。待たせてすまない」
「あ、ううん。平気だよ」
「帰ろうか」
「うん」

ごくごく自然と繋がれた手。その変化に少しだけ戸惑いつつ、けど嬉しい。
パチン、ガチャリ。部室の電気を消す音とドアの鍵を閉める音が連続して途絶えた。
「行こうか」、ふわりと優しく笑いかける精市に対して、私も笑った。
ああ、なんて、

「幸せ、だなあ」

ポツリと無意識にでた言葉。ハッとして彼のほうを見ると、少しだけ顔を赤く染めた精市が、きょとんと私を見ていた。

「…幸せ?」
「え? あ、うん。し、幸せだなー、と思、って…」

何だか急に恥ずかしくなった。あれ、どうしたんだろう。私も顔が熱い。…本当のことを言ったまでなんだけど。

「…本当に、そう思ってくれてるの?」

不意に立ち止まった彼。…気のせいかな、発せられた声が震えていた気がした。

「精市…?」
「ねえ、有海は本当にそう思っているの…?」

精市が、まるで泣きそうな顔を私に向ける。私は無意識のうちに、自分よりほんの10数センチ高い彼の頭を優しく撫でた。

「…うん、。私はね、今が幸せだった、ってちゃんとそう思ってるよ。嘘のわけないじゃない」
「そっか、」
「…この間のこと、気にしてるの?」
「…」
「そりゃあ確かに悲しかったし辛かったけど、それは過去のことだもん。過去は過去、今は今。…ね、そうでしょう?」
「うん、」

スンと精市が鼻を吸う音がした。…精市だって、案外泣き虫なのかもしれない。

「精市は、幸せじゃないの?」

つられて鼻声になってしまった私の言葉を聞くと彼はすぐさま、そんなことない!と否定してくれた。
そして思いっきり抱きしめられた。

「…俺はね、今君とこうしていられることが、前みたいに笑えることが、何よりも幸せなんだ」

その言葉を聞いて私も安心する。そんなの、私だって同じ気持ちだよ。

「私もだよ。…今更精市を手放す気なんて、ないんだからね」
「…俺も」

瞳を閉じた綺麗な顔が、近づいてくる。私はそっと目を閉じた。
暖かく柔らかい感触を唇で感じながら、手をギュッと彼の背中に回した。

貴方だから、貴方がいるから。
幸せだな、って。心からそう、思えるんです。






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