※死ネタ
夢を見た。
深淵の海へゆっくりゆっくり沈んでいくような感覚が体を包んで行くのに、不思議と不快な気分にはならなかった。
ただ、自分が意識ごと綺麗な水の中に落ちて行く。息は苦しくなくて、周りを見渡すと魚一匹すらも見当たらなかった。
それからもどんどんおちて行くのにあたりには何もなくて、最初は透き通った海水もだんだん光もあたらないグレーから真っ黒に変わっていった。
「有海…?」
真っ暗な中に淡い光がどこからか差し込んで視界が開けて1人の女性が立っていた。彼女は僕をみて微笑んでいた。なんで、だなんてそんなことは聞けない。有海がいま、僕の目の前にいる、ただそれだけでここがどこかなんて気にもとめなくなる。
「あのね、周助、ついてきて欲しいところがあるの。」
「ふふ、いいよ。僕が君の願いを断るわけないだろう?」
「ありがとう。」
近づくと彼女の頬がほんのり赤くなっているのに気がついて、それすらもとても愛おしくて有海の手を握った。水の中にいるのに、彼女の熱も伝わってきそうで、今度こそは離さないとかたく心に決めた。
そのまま彼女に導かれるように進んだ。手を離さないまま、二人で。
気づくとそこは学校だった。いつのまにかあの暗い海ではないそこは、僕らの思い出の場所だった。二人が出会って、恋に落ちた、青春学園。
彼女は懐かしむようにその土地へ足を踏み入れた。
「ねえ、覚えてる?
入学式の日に私たちここであったね。
その時に思ったんだ、この人が運命の人だって。」
「覚えてるよ。
この桜の木の下で少し緊張気味に立ってたよね。」
大きな桜の木が、まるであの日のように満開で咲き誇り、僕らを見下ろしていた。今でも鮮明に思い出せる、有海との思い出の始まりの日だった。ここで彼女と出会って柄にもなく世界が変わったと思えたんだ。
「行こうか。」
「うん。」
そこから二人で歩き出す。強く握り返される手を確かめながら、ゆっくり決められたように学校内のいろいろなところを回った。テニスコートや裏庭、教室。全てがそんなに前じゃないのに懐かしくて愛おしかったのは隣に有海がいるからで。
でも、幸せだったあの頃はもう戻れない。
ある程度回った後に二人の足は自然とある場所へと向かっていた。こつこつ、と歩く音だけが妙に響いて、だんだんと口数も減って行った。
「懐かしいな、ここで周助に告白されたんだっけ。」
「そうだね、真っ赤な君も可愛かったよ。」
「うるさいなあ、もう忘れてよ!」
「忘れるわけないじゃないか、君との思い出は一つだって、忘れるわけがないよ。忘れたくない。」
屋上へと続く階段の1番上にたって彼女は言った。さっきまでは繋がれたままだった手もいつの間にかほどけていて僕の右手が空をきる。有海がまた柔らかく微笑んだ。
忘れたくないんだ、何があっても。ここに君といたことを、僕は絶対に。
彼女は少しだけ寂しそうに、僕の言葉を聞いていた。細められた目は静かに僕を見ていて、僕も視線を交わす。それだけで彼女が何を言いたがっているかがわかってしまった。
彼女とはもう二度と僕に会う気はない。
「嫌だよ、有海、もう離れたくはない。」
「なに言ってるの周助には未来があるの。
私とは違って輝かしい未来が。可愛い奥さんと、子供をいっぱいつくってたくさん可愛がってあげるの。そうだね、子供にはテニスを教えてあげるといいのかもしれない。」
「嫌だ、君がいない世界なんて僕にはなんの価値もない。行かないで、ねえ!有海」
耐えられなかった。彼女がいない世界は僕には冷たすぎて、苦しくて。
必死で手を伸ばしたのに、僕のその右手はまたもや空をきった。有海と小さくつぶやく。彼女は薄く淡く光っていた。さっきよりも確実に彼女の存在が、僕の夢の中ですら無くなろうとしていくのが分かって、それでもどうしようもなく彼女を追いかけた。
でも、あの日に彼女は死んでいるのだ。
「最後にお願いがあるの、本当に一生のお願い。」
「有海!」
「いつまでも笑ってて」
それが君の最期の願いならば
僕はそれを拒むことなんて
永遠にできやしないんだ
(「なあ不二ぃ、最近ほんとよく笑うよな」
「ふふ、そうかな?」)