献身

 平日のラウンジには様々な人がいる。デートと思しきカップル、商談中のサラリーマン、孫を連れてきたのだろう老夫婦、エトセトラ。私達はそんな人達に紛れ、別れ話を進めていた。話がしたいと呼び出された時から察しはついていて、いざ「別れたい」と言われても大して驚きはしなかった。申し出を受け入れると、彼は少し驚いたあと「昔の方がまだ可愛げがあったのに」と悪態をつかれる。別れたくない、と泣いて縋るようないじらしさはずっと昔に無くしてしまった。
 荷物は捨てちゃっていいから、そう言ってキーケースから鍵を外して相手に差し出す。持ち込んでいた物はドラッグストアで買い揃えられるスキンケア用品と着古した私服くらいで、元より大したものは置いていない。そのことを思うと、私とこの男の付き合いも希薄なものに感じてきた。
 殺し屋は幸せになれない、ましてや一般人となんて。去年死んだ同僚の言葉が耳に蘇る。
 
 テーブルに置かれたコーヒー代をぼうっと眺めながらため息をつく。ただ話をしただけだというのに、どっと疲れてしまった。空いたカップを下げに来たスタッフにカフェオレを注文し、背もたれにずるりと体を埋もれさせる。
 ぽっかりと胸に空いた空白と、誰かに会って満たされたいという欲求。愚痴も言える内に言っておきたい。出来れば、最近会ってないような人が良い。
 携帯端末を取り出し連絡先を目でなぞっていく。JCCを辞めてしまった元同期達は一般職に就いているので、夕方とはいえ平日いきなり連絡を取るのは難しいだろう。となると、アテになるのは殺し屋に就職した同期だ。とはいえ、殆ど死んだか音信不通で行方が知れないけど。
 あまり開くことのない電話帳を開き、スクロールバーが中程まで下がったあたりである名前に目が付く。

「南雲……」

 仲は悪くなかったけど、嫌な名前だと思った。何せ彼に関する思い出は、ちょっかいを出されたり些細なことで煽られたりと、ろくなものが無い。アカデミー卒業後に南雲との付き合いはなく、風のうわさで殺連所属の殺し屋になったとだけは聞いた。その後どうなったかは民間の殺し屋に就職した私が知る由もないけど。
 ……番号、変わってるよね、流石に。怖いもの見たさに番号をタップすると液晶に発信中の文字が浮かび、スピーカーからはコール音が聴こえる。うわ、ちょっと待って。指が切断マークに滑りかけた時、発信中の文字が通話中に切り替わった。

「名前ちゃん?」

 南雲の声だった。間違いない。まさか本当に出るとは思わなかったので、何から話すべきかまとまっていない。思わず「本物……?」と漏らせば「それこっちの台詞ね〜」と気の抜けた声が返ってくる。

「えっと、ごめんなさい急に電話して。お久しぶりです」
「ちょうど仕事が終わったトコだから大丈夫だよ〜。いきなりだから驚きはしたけど」

 電話の向こうからはカン、カン、と鉄製の階段を降りている音がした。

「あの、急なんだけど……今から会えない?」

 無理なら全然、そう言おうとしたところで「良いよ」と返事をされる。いいって、遠慮の意味だろうか。矢継ぎ早に「どこに居るの?」と聞かれてその可能性は否定される。

「○○ホテルのラウンジ……」
「りょうか〜い、すぐ行くね。ちょっと遠くにいるから時間かかると思うけど」
「本当に来るの? いきなりだし、無理しなくても……」
「どうして? 誘ったの名前ちゃんだよね」

 それは、そうだけど。とんとん拍子で進んでいく話に置いていかれながら、数年ぶりに南雲と会うことが決まった。
 
 
 連絡してから一時間後、南雲は宣言通りラウンジにやって来た。元彼が座っていたソファに、学生時代と何も変わらない姿をした南雲が座っている。タトゥーが少し増えたような、増えてないような。ベージュの外套に抑えられているものの、主張の激しい派手な柄シャツは昔と変わらず好んでいるらしい。

「元気だった?」
「まぁ、ぼちぼち」
「忙しそうだもんね〜」

 あいにくと、私は業界に名を馳せるような輝かしい実績を持ち合わせていない。記憶の中の南雲はもっと歯に衣着せない物言いをする男だったが、この数年でお世辞を言えるようになったらしい。

「今日はどうしたの?」
「さっき彼氏と別れたから、ムシャクシャしてて」
「うんうん」
「付き合いの浅い人間に愚痴でも聞いてもらおうかと……」
「あはは! 君って案外ひどい人だよね〜」

 前言撤回。やっぱり何も変わってない。

「本当に来てくれると思ってなかったの!」
「行くに決まってるじゃない。僕は名前ちゃんの為なら何処にでも駆け付けるよ」
「嘘つき」
「嘘じゃないよ。だって僕ウソ嫌いだもーん」

 自分は嘘か本当かわからないことばかり言うくせに、嘘が嫌いとこれまた嘘くさいことを宣う。南雲とよくつるんでいた同級生は彼のことをわかりやすい性格だと評していたけど、わかりやすいなんて一度も思ったことはなかった。昔から南雲といると、何が嘘で何が本当なのかわからなくさせられる。

「……取り敢えず、お腹空いてるからご飯行こう。昼から何も食べてないの」
「いいね〜、上のフレンチ行く?」
「ばか南雲、お高いレストランでヤケ食いなんか出来るわけないでしょ」
 
 □
 
 南雲を連れて入ったのはチェーンの大衆居酒屋だ。酔っぱらいの騒がしい声と注文を取る店員のコールがひたすら喧しい。座敷か個室か。横目に体格の良い南雲が狭そうに肩を縮こませている姿が見えたので、個室に通してもらう。依然として壁の薄い仕切りの向こうから学生グループと思しき歓声が聞こえてくる。

「ハイボールメガジョッキで」
「同じのを普通サイズで〜」

 メニューから目に付いたものを見境なく注文すると、南雲が「そんなに食べれないでしょ」と口を挟んでくる。

「今の注文、南雲の分ないから」
「えぇ、正気なの?」
「殺し屋が正気なわけないじゃん」

 すぐに注文を取った店員が戻ってくる。そしてピッチャーみたいなジョッキと普通のグラスをテーブルへ置き、また慌ただしく駈けていった。水滴が張り付く杯を手に取り、がちゃん、と突き合わせてそれぞれ喉に流し込む。酒最高、明日が仕事じゃなくて本当に良かった。
 焼き鳥の盛り合わせ、冷奴、枝豆にトマトのマリネ等、頼んだ料理が次々やってきてテーブルの上を占拠する。私は並んだそれらを片っ端から手に取って、ハイボールと一緒に胃の中へと運んだ。若い人好みの濃過ぎるタレや油でふやけた衣がアルコールで全部どうでも良くなっていく。

「よく食べるね〜」
「どーも」

 南雲の話を食事の片手間に聞きながら、とにかく無心で料理を食べ続けた。その内に南雲は何も語らなくなって、口と手だけを動かす私を無言で見つめていた。
 

 元気の良すぎる挨拶を背中に受けながらのれんをくぐる。店に入った時はまだ日が落ちかけていた空だったのに、もうすっかり暗くなってちらちらと星が瞬いていた。南雲が「この後はどうするの?」と問うが、この後の私の予定は家に帰って玄関で気絶することくらいだ。

「まだ飲み足りない」
「嘘でしょ」
「そこで飲むから、買ってくる」
「そこって、公園しかないけど」

 呆れ顔で着いてくる南雲に帰ればいいのに、と思いながらコンビニでチューハイを二本三本とカゴに突っ込んでいく。
 そして宣言通り近場の公園に赴き、ブランコに座って購入した五〇〇缶のプルタブを押し上げた。南雲は「ホントに飲むんだ……」と不満そうにしているが、今晩は飲まなきゃやってられない夜ってやつなので邪魔はさせない。一気に煽って体内をアルコールで浸す。

「もうやめときなよ。そんなに飲めないくせに」
「うるさいな。あと南雲が思ってるほど弱くないから」
「毒殺科の密造酒飲んで潰れてたクセに」
「アレ酒っていうか劇薬だったじゃん」

 JCCにいた頃、教師たちの目を盗んで作成された高度数の酒擬きが学生の間で出回り、二日酔いやら中毒やらでちょっとした騒ぎに発展したことがある。私も例に漏れず手を出してしまい、トイレの住人と化した私の背中を擦ってのは南雲だった。感謝してよね、と言う南雲の偉そうな声は今でも耳に残っている。

「南雲いつまでいるの」
「んー、名前ちゃんがちゃんと家に帰るまで?」
「暇なの」
「君があんまり寂しそうにしてるから付き合ってあげてるんだよ。感謝してよね〜」

 記憶の中と同じことを言う南雲の横顔が過去と重なる。思えば、昔からずっとこうだった気がした。頼んだわけじゃないのに、いつだってふらりと現れては私のことを助けてくれる。困っている時、側には必ず南雲がいた。

「……南雲って、ほんっとお節介」
「え〜、そんなつもりはないけど」
「野外演習で大怪我して、本当に死ぬかもって時に助けに来てくれたし」
「あったね〜。懐かしいや」
「今日も呼んだら来てくれた」
「言ったでしょ。名前ちゃんに呼ばれたらどこにでも行くって」

 そう言って南雲が隣のブランコに座った。児童向けに設計された遊具は南雲の重量を受けてギギ、と悲壮な音を立てる。にこやかな笑みを浮かべる顔は相変わらず感情が読めなくて、目を離した瞬間に別人に変わってるんじゃないかといつも思っていた。

「南雲はどうして私に優しいの」
「そんなの、名前ちゃんのことが大切だからに決まってるじゃない」

 昔から南雲はきっと私のことが好きなんだろうと感じていた。でもそれを自分から言葉にするほどの自信も度胸も無くて、一時の自惚れだと決めつけて気付かないふりをしていた。そんな最低な私のことを、南雲はまだ大切なのだと言ってくる。

「私、他人からそんな風に思われる人間じゃないよ。性格悪いし」
「良いんじゃない? 僕はひねくれてる君も好きだな」
「殺し屋だし、」
「僕だって殺し屋だよ」

 南雲から向けられる感情はひたすらに優しくて、苦しい。献身じみたそれは私の中で行き場をなくし、瞳から涙になって溢れ出る。「好きだよ、名前ちゃん」と言う南雲の声はどこまでも柔らかいのに、胸奥が締め付けられる思いだった。とうとう声を上げて泣き出した私の体を、砂利に膝をついた南雲が抱きしめている。



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