五条さんと楽しい残業


高専所属の補助監督たちが立て続けに体調を崩し、私にほぼ全ての事務作業がおっ被さった。他に元気な人は任務やら何やらで出払っているから仕方ないとはいえ、もう少し内勤に人を割いてほしい。デスクワークでもやり過ぎれば死ぬ危険性がある。
終わりの見えない業務を消化すべく無心でモニタに向き合っていると、天井で重い音を立てていた暖房が前触れもなく停止した。画面端の時計を見ればちょうどゼロ時、高専本舎の空調は日付が回るとロックがかかるようになっている。まるで深夜残業を考慮していないシステム設計だが、労働法に倣えばこれが正しいのだろう。暖房が落ちて間もないけれど冬の冷気は常に入ってくるもので、さっそく肩が震え始めた。

「あー寒」

暖を取るために来客用ソファが設えられた場所にあるオイルヒーターを事務デスクまで移動させた。ヒーターの電源を入れてブランケットを纏えばだいぶ寒さが紛らわすことが出来る。風邪を引く前に早く作業を終わらせて帰ろう……。
気を引き締めるためにコーヒーを淹れ直していると、職員室の扉がからりと開く音がした。今日出勤の職員は私以外みんな帰ったはずなのに、忘れ物か急な任務でもあったのだろうか。お疲れ様です、と扉の方を見ずに言うと足音がこちらへ近づいて来て、両肩にずっしりとした重みがのしかかる。

「お疲れー、もう帰ったもんかと思ってたけどまだいたんだ」
「……五条さんこそ、もう帰った筈では」
「帰ったっていうか学生相手に稽古つけててさ。気付いたら日付変わってるもんだからさっき慌てて返したトコ」

いやぁ最近の学生って熱心だよね〜とか言いながら腕を体に巻き付かせてくる。近い、明らかに職場の人間の距離感じゃない。スーツ越しに体温がじわじわ伝わってきて暖かいけど、同時に気まずさもこみ上げてくる。

「五条さんここ学校」
「誰も見てないから良くない?あっ僕にもコーヒー淹れて」
「淹れますから、離れて」
「はいはい」

並の成人男性以上の重みから開放されてはぁ、とため息をついた。五条さん用の白いマグカップにインスタントコーヒー一杯と角砂糖を七個ぶち込んでお湯を注ぐ。いつも思うけど、見ているだけで胸焼けしそうな光景だ。自分の分にもお湯を注ぎ、私が作業しているデスク横に座った五条さんへ白い方を渡す。カップの中ではまだ溶け切っていない砂糖が黒い海を漂っており、氷海から顔を出した氷山みたいになっている。

「これ飲んだら帰ってくださいよ」
「つれないこと言うなって」
「五条さんのお守りしてる余裕ないんです。結構、マジに」

疲労のせいで五条さんの絡みがいつもの数倍やかましく感じる。おまけに向こうも向こうで疲れが溜まっているのかやたらハイテンションだし、下手に構うと余計な体力を使いそうだ。
角砂糖の海を咀嚼している様子を尻目にメールボックスを見直す。未読フォルダに新しいメールが一件、嫌な予感がする。恐る恐るフォルダを開くと表題には【緊急】と強調して書かれていた。それは私の帰宅時間が伸びることを意味しており、思わず舌を打つ。

「名前ちゃーん、カオ怖いよ」
「ほっぺつねらないでください」

オフィスチェアごと近付いてきた五条さんの長い指に顔の皮膚を弄ばれる。その手を叩き落とすと持て余したのだろう手のひらが首を回り、今度は顎の下をくすぐり始めた。気が立った犬や猫を宥めるような手つきは完全に動物扱いだ。

「クッソイライラしててウケんね」
「イライラしてるってわかってるなら、っんぅ」

顎に添えられていた手にぐっと力を込められたかと思えば発していた言葉を飲み込まれる。なに、と思うと同時に唇の合わせ目を開かれ口の中に甘ったるいものが入り込んできた。甘いし熱い、舌が上顎をぬるりとなぞってくる。抵抗しようと押し出した舌も強く吸い上げれる感覚にじわじわと熱がこみ上げてきた。状況を理解した頭が反射的に手を動かし、五条さんの胸をばんばんと叩いたことでようやく解放された。思考の輪郭が酸素不足のせいでぼやけている。

「あはは顔真っ赤」
「な、何ですか今の、いきなり」
「糖分足りてなさそうだからお裾分け」
「お裾分けって、もっと他に方法あるでしょう」

唇から喉奥までがとにかく甘い。あの糖尿病まっしぐらコーヒーの味なんだろう、開放されてもなお海外製の砂糖でコーティングされたお菓子よりもしつこい甘味が舌を刺激している。こんな糖分補給があってたまるか。むしろ補給を通り越して過剰摂取まである。どこもかしこも甘い口の中を自分用のコーヒーで味覚をリセットしようとしても甘味が苦味に勝っているのでしばらく治りそうにない。

「眠気も飛ばせてちょうど良い思ったんだけど」
「全っ然よくないです」

あと体も温まったでしょ、と軽薄に言われ、感情のまま当たるはずもない右手を繰り出した。



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