言葉にならない誓約


※続きます

猫は構わない人間が好きと聞くが、概ねそこ通りだと思う。私が学生の頃から住み着いていた野良猫には一度だって構ったことがないけれど、こうして住処の近くへ足を運ぶとすりすりと体を擦り付けてくる。足元でゴロゴロを喉を鳴らす毛玉に灰を落とさないよう明後日の方向を向きながら煙を吸い込む。少し前まで校内で煙草が吸えていたたのに、最近はこうして校舎裏まで足を運ばなくてはいけなくなってしまった。全く、喫煙者の肩身は狭くなる一方である。可愛い猫にスリスリしてもらえるんだがらある意味お得かもしれないけど。





「やーいサボり」

嫌な人に見つかった。目隠しのせいで目元は見えないけど口元はニヤついている。いい玩具見つけましたって感じのリアクションに顔がひきつった。私と五条先輩の付き合い方はもう一人の同期よりお硬いけど、先輩はその限りではない。

「……サボってませんよ」
「あの白猫どうやって懐かせたの?僕にも教えてよ」

黒のスラックスについた白い毛を指す五条先輩の声は愉しげだった。後輩のサボりを詰れて大層ご機嫌らしい。

「先輩のことだからいきなり撫でようとしてるんでしょう。猫は警戒心が強いから懐かなくて当然です」

それとサボりじゃなくて煙草休憩です、と苦し紛れに言い訳すると「いやそれはサボりでしょ」とすかさずツッコまれた。サボりではない。校舎の回収で喫煙所が遠くなったからな時間が掛かっているだけで席を外しているのはほんの五分程度足らず。つらつらと申開きをする私の内ポケットに先輩の手が伸びた。無遠慮にスーツの内側を弄る手付きが布越しに伝わって来る。

「これセクハラでは?」
「セクハラじゃなくて教育的指導ね」

教師らしいことを言っているけどやってることは本当にセクハラすれすれだ。先輩じゃなかったら嫌悪感で顔を歪ませていたかもしれない。

「あったあった。よっ、と」

フィルムの開いた煙草を抜き取った先輩はそれをぐしゃりと圧縮して煙草だった何かへと変えてしまう。ああ、私の五百六十円……。
未成年の多い高専敷地内に煙草を購入出来る場所などあるはずも無く、このまま急の任務が入らなければ溜まりに溜まったデスクワークが終わるまで高専に缶詰だ。車かデスクにストックが残っていたような。「引き出しのも後で全部出せよ」……車に残ってることを期待しよう。

「いい加減タバコやめたらいいのに」
「やめませんよ」
「車乗ってる時に煙草臭いの気になるから嫌なんだよね」
「そうですか」

硝子先輩だってちょっと前まで吸ってたのにどうして私ばかり。歌姫先輩からも禁煙を勧められてるのでいよいよ肩身が狭い。年々高くなる対価を支払って娯楽を嗜んでいるだけなのに。行き先が同じなのか、先輩は私に歩調を合わせて隣を歩いている。早くどっかいってほしい。

「わざわざ毒を体に入れるヤツの気が知れないね」
「口寂しいし、ニコチン切れるとイライラするので」
「じゃあニコチン以上に気が紛らわせたらいいわけ?」
「なるものがあればいいですけど、ニコチンパッチやら何やらならもう試しましたよ」

飴やらガムやらもとっくの昔に試している。あんな物で気が紛れれば安いものだ。そっぽを向いて歩いていた私の眼前に先輩の長い指がずいっと表れる。ぶつかりそうな距離に体を急停止させ、一体何なんだと避難を込めて先輩を睨めば「一万」と簡潔な言葉が聞こえていた。いちまん、何が一万?

「禁煙できたら一日一万やるよ」
「……、……じ、辞退します。話がうま過ぎて怖い」
「なら千円。これならウマすぎず渋すぎずでしょ」
「ゼロ一個減らされても怖いですけど」
「オマエだってわかりやすいご褒美の方がやる気出るだろ?」

健康になって懐に金も入る。私がニコチン中毒じゃなかったらこれ以上なくウマい話だと思う。よほどのヘビースモーカーじゃ無ければ喜んで食い付いてそうな条件だ。

「……先輩は私にお金払ってでも禁煙して欲しいんですか?」
「今すぐやめてくれるんならいくらでも包むくらいにはね」

はいじゃあ今日から千円、と言って手のひらにお札を一枚握らされる。ちょ、ちょっと待て。まだやるとは一言も言ってない。

「せんぱ、」
「確かに渡したからね〜」

私よりもずっとコンパスの大きい先輩はゆっくり歩いているにも関わらずあっという間に距離を離していく。手のひらに残されたお札の肖像が何だか私を監視しているようで気味が悪い。
……取り敢えず、今日一日は煙草を吸えないことが確定した。お金は返せなくなると後が怖いので封筒にしまっておくこととする。





「私も一日いくらで禁煙したい」
「やめてください、本当に困ってるんですから」

駅前にある居酒屋、騒がしい店内の一角で仲良しの先輩―硝子先輩と向かい合っていた。ここ最近の五条先輩とのあらましを聞いた硝子先輩は興味なさげにしていたが、例の一日千円を貯め込んでいる封筒を見せれば眠たげな双眸をぱちりと瞬かせた。封筒を渡し、中に入ったお札をひーふーみーと数えている硝子先輩の目は爛々と輝いている。

「これ硝子先輩から返してもらえませんか?」
「自分で渡せばいいじゃん」
「返そうとすると逃げるんですよ!あの人」

隙を見て返そうとすると逃げられるし、無用心だがデスクに置いてみたりもしたがいつの間にか自分のデスクに戻されている。ちなみに送迎車に詰んでいたストックも取り上げられたのでめでたく禁煙二週間を迎えつつあった。金の力って偉大だ。

「この調子で続けたらいいんじゃないか?金も貰える健康になる、歌姫先輩もいい顔しないだろうが喜ぶだろ」

複雑そうな顔で褒めてくれる歌姫先輩の顔が浮かぶ。喫煙者に対する世間の目は段々と厳しくなっているしこれを機にやめられるのはいいことなのだろう。私もまさか続くとは思っていなかったので続けられるうちはそうしたい、が。

「なんか悔しいから嫌なんです」
「なんかって何」
「……その、五条先輩に管理されてるような気がして」
「禁煙一つで大袈裟な奴だな、……、……あー、いや、そうでもないのか?」
「えっなんですかその反応、怖いんですけど」

からからと笑っていた硝子先輩の顔が固まった。眉を寄せてんん、と少し悩む素振りを見せたあと、声のボリュームを一つ二つほど落として話し始める。

「名前がタバコ吸い始めたのって元カレの影響でしょ」
「まぁそうですね。随分前のことですけど」
「アイツ、それがすっごい気に入らないって言ってた時期あったんだよね」
「……私の体を気遣い過ぎでは?」

「そうじゃなくて、元カレから貰ったアクセサリーをぶら下げてるみたい気に入らないんだろ」

ガキの嫉妬だな、と硝子先輩はジョッキを呷った。あの五条先輩が嫉妬?想像もつかない。悪い意味で人類平等に見ていそうなあの人が一個人に感情を持つなんて。

「えっと、つまり?」
「名前から男の影感じるのが不愉快なんだろ、アイツは」
「……コレですか」
「コレだな」

私が両手で歪なハートを作ると硝子先輩も両手でハートを作ってみせた。指が長い分、私のハートよりも綺麗な形をしている。

「好意にしてはわかりづらすぎません?」
「言っただろ、ガキの嫉妬だって」

子供の好意の方がよっぽど素直で伝わりやすいと思う。先輩は私を憎からず思っていて、元カレの影響で吸い始めた煙草をやめてほしい、らしい。ほんの五分足らずの間に与えられた情報が大き過ぎて頭がぐるぐるしてくる。大した量のアルコールを摂ったわけでもないのに全身の血がどくどくとに脈打っている気がした。うう、と唸った私を硝子先輩はにやにや笑っている。

「……五条に電話してやろうか?」
「ほんとにやめてください、ちょっと冷静になりたいので」

向けられた好意を不快だと思わない時点で答えは決まっているようなもので、どうしよう、どうしたらいいんだろう。コップから滲んだ水滴で封筒の端が滲んでいる。


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