24時、星詠みの恋人
ヒールで駆け回ったことによるひどい靴擦れも空しく、公園の広場の時計は間もなく24時を指す。
私の足だけでは、大した範囲を探せるわけがなかった。声を聞いただけでもケイト先輩だと分かったのに、その姿を見違えるはずもない。
ずきりと捲れた指の皮が痛んでよろけると同時に、広場の時計の長針がカチリとてっぺんを指すのを見てしまった。
なんて不吉な。自嘲気味に笑うと同時に、植え込みのレンガに腰かける。
彼のことを、見つけられなかった。
「ケイト先輩……」
せっかく止めてもらった涙が、またやって来る。ぐすりと鼻を啜るけれど、周りには誰もいないのをいいことに、構わずに嗚咽を漏らす。
「会いたい、です……ずっと、会いたかったです……」
子どもが駄々をこねるようにそう漏らしながら頬を拭う。アズール先輩はいないから、容赦なくそれは頬を伝って、マスカラもアイシャドウも流してしまう。
ハンカチを、と俯いたときに、ふと頬に温かいものが触れる。びっくりして顔を上げると、探していた姿が、目の前にあった。
「監督生ちゃん、今何時だと思ってんの? 女の子一人で出歩く時間じゃないでしょ。って、もう監督生ちゃんじゃないか。ナマエちゃん」
「あ……え……」
「……ねえ、少しおしゃべりでもしよっか」
いつか一人で散歩をしていた夜に、彼にそう言われたことがあった。
いつも後ろにまとめてあった前髪は横に流されていて、トレードマークだったダイヤのフェイスペイントは消えていた。あのころよりもかなり大人っぽく見えるけれど、確かにケイト先輩だった。何も言えない私に笑い声を漏らして、ケイト先輩の指は再び私の頬を拭う。
「……アズールくんの魔法のほうがよかった?」
「ケイト先輩、なんで。ごめんなさい……いろいろ追い付かないです」
「あはは、そうだよね、ゴメン」
ケイト先輩は困ったように笑って、私の隣に腰かけた。すんと鼻を小さく啜る。緊張しているようにも見えた。
「……オレは、君がここに来てくれると思ってたから、君よりはびっくりしてないよ。冷静でもないけど」
彼は静かにそう言ったあと、すぐに首を小さく横に振る。
「……や、ごめん、今のはウソ! ホントは不安でしょうがなかったよ。きっとこうなると思ってたなんて恰好付いたこと言えない。こうなってくれないと困るって、必死だった。……ついさっきまでね」
ちょっと目を細めるケイト先輩は、まだ笑っていた。
「怒ってないんですか。私のこと、最低だって思ってないんですか」
「怒ってはないよ。だって俺、ナマエちゃんのこと呪い殺さなかったでしょ?」
「呪い殺……あ、あんな手紙なんかで済ませて、ごめんなさい」
「……いいよ。何もないよりはマシって意味で。もちろん、なんでって思ったし、もう二度と君のことなんて探してあげないって思ったけどね」
はらりと垂れる髪の下で、瞳が冷えていた。今にも拒絶されそうで、呼吸が浅くなる。
「……それに、嘘吐かれてたことも、悲しかった。アズールくんとあの店にいる監督生ちゃんのこと見えてたし。また会えたんだって泣きそうだったけど、おんなじくらい悲しかった」
「……ごめんなさい」
「ねえ、なんでだか教えて? なんで『帰った』なんて嘘吐いて、オレとの約束破ったの」
きっと彼はたくさん傷付いたのだろうと思った。残像のように彼の泣き顔が見えた気がする。私を責めないでいられる理由を探るように、ケイト先輩は私に問い掛ける。
また性懲りもなく姿を見せてしまったのだから、私は彼に伝える義務があった。納得してもらえないのなら、これ以上ここにいることはできない。
「……それは、私が二度と帰れないって知るより、みんなもケイト先輩も、悲しまないと思ってたから」
「なんでそれ、君が決めんの」
「私がここにいたら、一生帰る場所を失った私のこと、どうにかしようとしてくれたと思うんです。私にしか私の責任は負えないのに。みんな、優しいから、これ以上困らせたくなくて」
私がそう言うと、ケイト先輩はこれ以上なくおかしそうに笑った。え、と漏らせば、ごめんと顔を伏せられてしまう。
「それって、間違ってるよ。優しいからなんかじゃないでしょ。オレはずっと君のこと、一生帰れなくなればいいのにって思ってた。帰らないでオレの傍にいてなんて言ったら、君が悲しむと思ったから言わなかったけど……耐えられなくて、君が来なかった卒業式の日、言うつもりだった。一生ここにいて、君の人生オレに頂戴って、オレに責任取らせてって。
……ね、これのどこが優しい?」
笑顔しか見せて来なかったケイト先輩の顔が、いびつになる。震える声は自嘲気味に、たまに息を漏らす。何かに突き動かされるように、私はケイト先輩の体を、しがみつくようにして抱き締めた。
「……ケイト先輩は、やっぱり優しい」
腕の中で少しだけ震える彼の肩。ふっと笑う声がして、やがてその長い腕は、私の背中に回ってきた。
植え込みだと思っていたレンガの塀は、凪いだ噴水だった。真っ暗だから、そんな簡単なことにも気付かなかった。ほとんど波紋のない水面は鏡のようで、数えきれないほどの星をそこに写していた。
「……オレ、もっかい信じてよかった」
私のことか、星のことか、どちらもなのか。
「私もです」と答えれば、背中に回った腕の力が強くなる。
「もうどこにも行かないでよ、ナマエちゃん。約束なんか、もういらないから」
*
頭の上に浮かんでいる本を飛び上がって捕まえて、本棚に戻した。立ち読みは百歩譲って許すけれど、元に戻さないのは頂けない。ましてや魔法で浮かすなんて、やっぱり性悪にもほどがある。この店の従業員はほとんどが魔法士ではないというのに。
苛立ちながらため息を吐いていれば、背後から店長に「ミョウジちゃん」と呼ばれた。
「何でしょう、店長」
「あの……アズール……さんの本、重版かかったみたいだから、注文かけといてほしいのよね」
「わかりました。ふふ、名字、アーシェングロットさんです」
「そうそう。ダメね、もう年だわ」
苦笑しながらレジに入って、パソコンを開いた。カチカチとマウスを操作していると、人影が近寄ってきたのに気付いて、ふっと顔を上げる。
「いらっしゃいま……あ、え? ケイト先輩!」
「あ、バレちゃった。びっくりさせようと思ったのに〜!」
「どうしたんですか、お店に来るなんて」
「たまたま近くでアポイントあったんだよね。元気に働いてるかなーと思ってさ」
「この通り、元気ですよ。ケイト先輩も、今日も元気そうで良かった」
彼はやんわりと笑った。今度はきちんとした言葉を交わして恋人同士になった私と彼だけれど、実際の接し方なんかは高校のころから大して変わらなかった。
変わったことのひとつと言えば、彼の笑み方だと思う。笑うとき、ふっと力が抜けるようになったと思う。ケイト先輩が、私の前ではより自然体を晒してくれている気がして、私にはそれが嬉しいことであった。
「あと、今日の夜なんだけどさあ」
「えっ!? ちょっと! けーくんじゃないの!?」
ケイト先輩の声を遮って、店長が高らかに彼のあだ名を呼ぶ。突然の大声に、二人してぎょっとして店長を見れば、興奮したように手を叩きながら彼女はこちらへ駆け寄ってきた。
「やっぱり! 私、『RUNE』の占星術の記事のファンで、サイン会も行ったのよ! 握手して、握手!」
「急に呼ばれたから、めっちゃびっくりした〜! けど、どうもありがとうございます。たまたま仕事で近くに来て、寄らせてもらったんです。あはは、チョー嬉しい!」
「そうなのね! けーくんのマジカメ、いつもチェックしてるわ! もちろん占星術の記事もね! ねえ、何かの縁だから、ひとつだけずっと気になってたこと質問してもいいかしら!?」
「あはは、どーも! 何でしょう?」
「『出会えたら運命かもしれない人』のバースデー、いつも書いてあるじゃない?」
「あー、ありますねー」
「あれ、私の星座だけ『RUNE』を読み始めた三年間、ずっと同じなのよ! 他の星座の『運命かもしれない人』は定期的に変わってるみたいだから……私の星座には、相当強い運命があるんじゃないかしらと思ってたんだけど、どうなのかしら?」
「ん〜、あれ? バースデー……どうだったっけな〜」
急に歯切れが悪くなるケイト先輩を珍しいと思っていれば、店長は畳みかける。
「諦めずに探したんだけど、2月4日のバースデーの人、全然見当たらないの! けーくん、見付けたらおばさんに紹介してよ! ふふ、なんてね、冗談だけど」
ケイト先輩の目が泳いでいるのを、私は見逃さない。私が口を開いたのをケイト先輩は気付いて、「あっ」と小さく声を漏らした。
「店長、何座ですか?」
「ええ、私?」
店長がノリノリで答えた星座は、私と同じだった。
ちらりとケイト先輩を見やれば、ばつが悪そうにその唇は波打った挙句、後ろ髪を掻いていた。
「……おっと、んじゃオレ、『RUNE』の売れ行きも、かわいい彼女ちゃんの頑張る姿も見れたんで、そろそろ仕事に戻ろっかな〜! 店長サン、これからもよろしくお願いしまーす!」
「え? 彼女? けーくんの!? ミョウジちゃんが!? そうなの!?」
「あ……いや……たった、三日前からですけど」
「やだー! 初々しい!」
店長が両頬を抑えて声を上げる。
「あ、ちょっと、ケイト先輩!」
「終わったら迎えに来るね! ディナーしよ!」
そそくさとお店を出ていくケイト先輩の背中。彼の逃げ足がカモシカのように早いのを忘れていた。
まあ、いいや。今夜ケイト先輩に会ったら、まず積もり積もった話をゆっくりと片付けて、お互いの六年間を埋めよう。それから、好きなだけさっきケイト先輩がうやむやにしたことを問い詰めてやろう。
――たぶん、「だって、オレの占い当たるって言ったでしょ」なんて、いい調子で誤魔化されるのだろうけど、その言葉が何より一番、六年の空白を埋めてくれるのだと知っているから。
Fin.