救いようのない二人でいいかな

 弾むような足音がかすかに聞こえて、思わず口元が緩んだ。

「ケイト先輩、やっぱりいた」
「オレも足音聞いて、監督生ちゃんだと思った。駄目だよ〜? 授業サボっちゃ」
「うちのクラスは空き時間です。そう言うケイト先輩は?」
「ん〜、リドルくんもトレイくんもいない授業だったから、たまにはね」

 彼女は一応咎めるような目付きをしたけど、パフォーマンスに過ぎないと知っている。
 四年生にはレオナくんみたいな並外れたサボり魔がいるせいか、オレがサボりキャラだってことは案外浸透してないのがありがたい。気分が乗らないときや眠れなかった翌日は、たまに天文台に来ていたけれど、一緒に星を見たあの冬の夜から彼女はここに顔を出すようになった。
 あれから、一年と少し。
 ほとんど誰もいないこの教室でしばしば顔を合わせて他愛もない話をするのは、だいぶ古臭い言い方だけど、ランデブーみたいで心が浮付いた。

「で、私はなんでここに来たでしょうか」
「ん〜、なんでだろ。教えて?」
「首傾げたって無駄ですよ。どうせ気付いてるくせに……ケイト先輩。お誕生日、おめでとうございます!」
「あはは、えー、ありがと! 監督生ちゃんに言ってもらえて、超嬉しいよ」

 うん、さすがに気付いてた。けど純粋にその真っすぐな言葉は嬉しかった。頭を撫でてあげると、彼女は満足気に微笑む。そして、背中に回していた手をごそごそとこちらへ回すと、オレンジのチェックに、凝ったリボンの飾りまで付いた包みを俺に差し出した。

「なあに? って、聞くだけ野暮だよね。……ホントにオレに?」
「……当たり前じゃないですか。大したものじゃないですけど」
「開けてもいーい?」
「はい」

 波打つ唇が、緊張してくれているのだと分かる。オレまで釣られて鼓動を高鳴らせてしまう。
 待ちきれずびりびりに包みを破きそうになったけれど、強いて丁寧に包みを剥がしていく。中にはしっかりとした小箱。そっと開けてみれば、上品に輝くゴールドがあった。

「……これ、ネクタイピン?」
「そうです。ケイト先輩ももうすぐ卒業だし、スーツとか着る機会も増えると思って……ほんとは普段身に付けられるものをあげたかったんですけど、ケイト先輩の私服なんてあんまり見かけたことないし、どんなのがいいか分からなくて」
「そんな言い訳みたいのいらないってば。オレ、すっごい嬉しいのに」
「……本当ですか?」
「うん、ホント。てか、めちゃくちゃオレの好きなデザインでびっくりしたんだけど。なに、監督生ちゃん。以心伝心だと思っていいの?」

 喜びを伝えようとしてかえって大袈裟にしすぎたかも、と思ったけれど、彼女は声を立てて笑ってくれた。「気に入ってもらえたならよかったです」と目を細めるさまを見て、思わず両腕の中にぎゅうと閉じ込めたくなってしまう。

 けど、すぐに思い直した。なぜなら、俺と彼女は恋人じゃない。それに、これはたぶんだけど、ただのよくある後輩と先輩の関係でもない。だって密やかに重ねてきた逢引のようなこの時間も、お互いが「そうしたい」と思っていないと生まれるわけがない。

 それなのに、オレには、帰るべき場所が他にある彼女に「好きだ」も「付き合って」も、あるいは「オレのものになってほしい」も、伝えられるだけの度胸がなかった。

 「オレの傍にいて」なんて、曖昧で卑怯な一年前の言葉だけが、オレと彼女の間にはぶら下がったまま、本当に少しずつだけど、草臥れてきたのだ。

「……でも、オレ監督生ちゃんの誕生日、こんなにいいものあげれてないんだけどな」
「え? すごい美味しいケーキくれたじゃないですか。半分はグリムに見つかって食べられちゃって、三日も喧嘩したんですからね!」
「んー、そうだけど……それはそれなの」

 それは、こんな風に会うようになって時間も経ってなかったし、形に残るものを送れば重たいって思われそうだったからだ。オレだってこの子の傍にずっと置いてもらえるものとか、ここぞというときに使ってもらえるようなものをあげたかった。

 なんて言ったら、また笑われることは目に見えているから進んでは言わないけど。

「ねえ監督生ちゃん、オレにもお返しさせてよ」
「え〜? いらないですよ、十分です」
「このままじゃ先輩の気が済まないの!」

 監督生ちゃんはオレの駄々に困り果てた挙句、はっと手を叩いてひとつの提案をしてきた。

「じゃあ、私のこと占ってください。久しぶりに」
「しょぼ〜。そんなんでいいの?」
「じゃあ前より難しいの!」
「難しいのって言ったって……うーん、相性占いとか?」
「相性占い。いいですね、やってほしいです」

 目を輝かせて、監督生ちゃんは傍に立つ。マジカルペンを振ってホロスコープを出せば、まだ何もやっていないのに彼女の「いつ見ても綺麗です」、という感嘆が聞こえる。

「で、誰との相性占いたいの? 回答次第ではオレ泣いちゃうかも」
「え……じゃあ、ケイト先輩で……」
「その『じゃあ』ってなに」
「ケイト先輩がいいです!」
「あはは、よくできました。……オッケー、いいよ」

 オレ一人だったら、怖くてできなかったけどな。そこんところ異世界から来た彼女は良い意味で無頓着だ。ただの娯楽として、おいしいものだけ食べてあとは捨てる、そんな風に楽しめばいいのだから。

 少し汗ばむ手。でも、どれだけ悪いことが出ても、監督生ちゃんはそんなのに翻弄されずにいてくれるのだという確信があった。

 目の前にもうひとつのホロスコープを並べる。左はオレの星で、右のが彼女の星。さらに一振りしてその両方を重ねれば、時計の0時の位置にぴったりと重なる星同士があった。

「……え、ケイト先輩、なんで笑ってるんですか」
「……や、ごめん。ほんとに以心伝心で、びっくりしちゃった。ほらここ、0時の部分に重なってるでしょ。たぶん何言ってるか分かんないと思うけど、オレの持ってる『太陽』と、君の『月』。『月』同士でもいいんだけど、まあこれ以上のはないかな。結ばれるべき二人って言われてる」
「それって、めちゃくちゃ最高ってことですか……?」
「……占星術だとそうなるねー。どう、嬉しい?」
「……まあ、ちょっと」

 ちょっと照れたように俯く彼女が可愛いくて、つい意地悪したくなる。
 たぶん彼女以上に結果に浮かれたのはオレのほうなんだろうけど、必死に上がる口角のことを誤魔化した。

「ついでに言うとー、今線で結んだ『火星』を見るに、肉体的にもかなりの相性だってさ!」
「……っ!」

 監督生ちゃんがかっと耳を赤くして無言でオレの肩をひっぱたく。全然痛くないけど、さすがに軽い男だって思われちゃったかなとすぐに反省する。
 慌てて謝るけど、彼女の瞳にはすでにオレの間抜けた顔じゃなく、ぼんやりと光を湛えるホロスコープが映っていた。

 ほら、こんな、何でもない瞬間にまで「好きだ」って思う。彼女と一緒にいながらも関係を進めないのは、目の前の崖に気付いていながら歩み続けることに似ていた。落ちたら最後、苦しむと分かっているのに、歩みを止められない。

 あるいは、オレが彼女をどこまでも連れ去ると決められればいいのだろうか。彼女の帰る場所までも奪って。

「……まあ、占星術は当たるかどうか分からないんだしさ、今のは気にしないで。あーあ、きっと監督生ちゃんの前には、占星術で相性最高のオレなんかより、もっといい男が現れちゃったりするのが現実なんだろうな。やだな〜、ショック」

 そう言うと、少しだけ彼女が傷付いたように眉を顰めた気がして、期待してしまう。君がオレの星詠みを信じたいと思ってくれるならいいのに。オレも信じたい。信じることが馬鹿らしいと思っていたことなんて、君の前ではいつの間にか忘れてしまっていた。

「……ナマエちゃん」
「なんですか?」
「君はオレのこと、裏切らないんだよね」

 一年前のホロスコープはそう告げていた。ふと思い出して尋ねてみれば、彼女ははっとしてオレを見た。
 「裏切る」ことが何を指すのか、オレにも分からない。監督生ちゃんに元の世界に帰るななんて、言わない。でも思わないわけがない。オレの目の前からいなくならないでほしい。でも家族や彼女の愛する人たちと幸せになってほしい。

 頭の中でいろんな感情が混ざって、渦巻いて、ごうごうと音を立てる。
 彼女はオレを見つめ返したまま、しばらくの沈黙を続けたのち、囁くように答えた。

「……裏切りません」

 その言葉はいつもオレを安堵させてくれた。思わず彼女の手を握って、引き寄せる。額が触れ合うほどのところまで近付いて、でもキスはしなかった。

 どれもこれも、初めてのことだった。

「……ねえ、オレの卒業式の日、時間ちょうだい。ここで待ってるから。オレ、君にどうしても伝えたいことがあるんだ」

 自分の口からそれが漏れ出ていたとき、ようやく気付いた。もうこの感情を止められないんだってことも、この女の子を一生守っていくだなんて一世一代の決意が、既に自分の中でできていたことも。

 それが彼女に受け入れてもらえるかなんて、これだけの星の後押しを受けてたって自信がなかった。
 彼女が「わかりました」とくすぐったそうに呟く声にただ、愛おしさと独占欲だけをしんしんと募らせた。





 卒業式まで半年ほど。それまで、この揺蕩うような居心地のいい時間を手放せなかったオレは、卒業式当日、式典服のまま天文台に駆けて来た。
 そして、夕暮れに染まった誰もいない天文台を見て、頭を殴打されるような後悔に打ちひしがれるのだった。





 彼女が来ない、だけならよかった。すなわちオレが振られたってことだし。「ずっと傍にいてほしい」なんてワガママを言い続けた上に肝心なことは言わないなんて、振られるに足る残酷なこともしてきた。謝りたかった。泣きそうだった。

 でもオレの目を見て「裏切りません」と言った彼女が何の言葉もなく約束を破るとは思えなかった。その真相だけ知れればいいと、オレは学園中を探し回ったのに、彼女の姿はどこにもなかった。

「……オンボロ寮の監督生さんですか。……実は昨夜、帰りましたよ。彼女が元いた世界に。
 この二年で、もちろん君、ダイヤモンドくんも含めて、彼女は実にたくさんの生徒たちと友情を深めていたようですから……一人で去るのは悲しくなってしまうからと、あなたたちの代の卒業式まで帰るのを先延ばしにしていたんです。
 帰る前に誰かと言葉を話せば、残りたくなくなってしまうと泣いていました。なので……この世界にそれほど愛着を持ってくれた彼女の気持ちも汲んで、手紙だけをお預かりしましたんです。
 ……ダイヤモンドくん、君宛のは直前まで書かれる内容を悩んでいたみたいで、最後にお預かりしました。おそらく涙で、少しふやけてしまっていますが、いっとう彼女の親愛が籠っているのではないでしょうか」

 「ああ決して中身は見ていませんからね」、と付け加える学園長の声がだんだん遠くなっていく。差し出される白い封筒を思考停止したまま受け取った。上質そうな紙は、部分的にふやけて、草臥れていた。擦れば擦るほどダメになってく。

 まるで、オレらみたいじゃん。

 相当ひどい顔をしていたんだろう、寮に戻る途中の廊下で「ケイト、どうしたんだ」と声を掛けてくれたトレイくんに、初めて「放っといてほしい」なんて言ってしまった。
 謝る余裕もなく、式典服のまま部屋にこもって明かりも点けず鍵を掛け、その手紙を開けた。
 ここにやって来た頃は魔法文字が読めないなんて嘆いていたのに、打って変わって凛とした魔法文字で、それは綴られていた。

『ケイト先輩、卒業おめでとうございます。何も言わずに去ってしまって、ごめんなさい。ケイト先輩と天文台で会うっていう約束を守ったら、私は一生帰れなくなるんじゃないかと思って、こうしました。
 二年間すごく楽しかったけど、その大部分はケイト先輩との思い出です。なぜかと言うと、私はケイト先輩のことが、ずっと好きだったから。ケイト先輩はとっくに知っていたかもしれませんが……本当に、すごくすごく好きでした。
 だから、先輩がいつか占ってくれた私たちの相性は、運命かもなんて思うぐらいすごく嬉しかったし、私にとっては、とても信じたかったことのひとつでした。もし、ケイト先輩が少しでも同じことを考えてくれた瞬間があるのなら、幸せです。
 あなたの傍にいるっていう約束は最後まで果たせたでしょうか。待ち合わせの約束だけは守れなかったですが、これが星の言っていた裏切りでしょうか。
 だとしたら、私のこと呪い殺しても構いません。
 ケイト先輩、どうかお元気で。お幸せに。』

 最後の行を読んで、思わず手に力が籠る。くしゃりと紙が折れてしまった。
 監督生ちゃんは、オレを裏切ったわけじゃない。
 あの子が最後までオレなんかのことを考えてくれていたということを目の前に突き付けられて、泣きそうになる。うそ、最初から泣いていた。
 あと少し早く、オレがこの感情と決意を吐露していたら、監督生ちゃんの選択も変わったのだろうか。
 でも、それが正しいのかも正しくないのかも、たかが高校生ぽっちのオレには分からなくて。
 無力なオレがこの絶望と後悔をぶつける先なんて、ひとつしかなかった。

「……やっぱ運命とか、ないじゃん」

 何が『星』だ、何が『結ばれる運命』だ。これ以上なく笑えた。
 あの子のことも星のことも心のどこかでは死ぬほど信じていたかったのに、こうも泡のように消えてしまうものなのか。
 それでも、ナマエちゃんが幸せに生きてくれるのなら。
 そう望んでしまうあたり、きっと一生忘れられない。これ以上苦しい失恋なんてないと思う。
 床に体を預けて、そのまま泣いた。天井は浮かれた赤の千鳥格子。星なんてひとつも見えなかった。




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