かけひきの対称

 朝日が、浅い眠りしかできなかった体に染み入るようだ。スリッパを履くと、寝惚け眼をこすりながら階下へ降りる。

「お父さん、おはよう」

とリビングに呼び掛けると、ふたつの顔がこちらを向いた。ひとつは父で、もうひとつは。

「よお、君。相変わらず朝は得意じゃないんだな」
「ど、どうして鶴丸さんがいるの。昨晩は、どこかに宿を借りるって言っていたじゃない」
「借りたさ。今朝は、君の父君にご挨拶をと思ってな。久しぶりにこっちに帰ってきたんだし」
「本当に予想通りだったよ。皆で、君は今日にでもやって来るだろうと話していたんだ」

 にこやかに笑い合うふたりを見ても、愛想笑いなんてできやしない。昨晩はいろいろと誤魔化してその場を収めたものの、鶴丸さんの申し出や、鶯丸さんとの結婚をどうするかについては、なにも解決せずじまいだったのだ。
 とりあえず、寝癖のついた髪や、このはしたない服をどうにかしようと踵を返した。
 階段を駆け上がる私の背中に、「そんなに焦らなくても、君はそのままでも可愛いぞ!」という鶴丸さんのおちゃらけた声が振りかかるのだった。





 ワンピースに着替えて階下に戻れば、鶴丸さんはとうとうコーヒーカップを回して、くつろいでいた。

「もう、やだ。恥ずかしいところ見せちゃって」
「君はほんとうに可愛いなあ。俺なんかに今更、はしたないも何もないだろう」
「あるよ!」

 言い合う私たちを見て、父はからからと笑った。「相変わらずで安心したよ」という言葉に、鶴丸さんはきりりと表情を作り変えてみせる。それが昨晩の彼の表情と重なって、まさか父の前で「あの話」をするんじゃないよね、と背筋を凍らせたのもつかの間。
 父は、彼の凛とした表情を見て目を細めるのだった。

「みんな、こんなに立派になってしまって。小さいころから見ているから、感慨ぶかいよ。国永くんにも、いいお嬢さんが見つかったそうじゃないか。お父さんから聞いたよ。君の帰国までは内密にとのことだったが、それを聞いて決めたんだ。この子も、そろそろいい人に任せようと」
「……と、いうのは」

 目をまるくした鶴丸さんの唇は、いつもの快活さをうしなっていた。もったいぶるように穏やかな笑みを浮かべる父。急かすように、鶴丸さんは椅子から前のめりになっていった。
 そして、玄関からはノック音がする。

「噂をすれば、だね」

 お父様が開けた玄関の奥から、暖かそうな外套を身に着けた鶯丸さんが現れる。リビングに勢ぞろいする私たちを見付けるやいなや、驚いたようにすこし目を見開いた。
 苦笑する私をよそに、お父様は「幼なじみ水いらずでゆっくり話してくれたまえ」と部屋を出て行ってしまう。ああ、と顔を覆いたくなるのを抑えて、私は鶴丸さんにコーヒーのおかわりを尋ねた。

「おかわりなんかより、説明をしてくれ。これはどういうことだ?」

 あからさまに、不機嫌そうに曇る鶴丸さんの声。なんとこたえようか頭を巡らせているうちに、鶯丸さんは外套を脱ぎ、こちらに歩み寄る。
 堂々たる動作で椅子に腰かけると、まっすぐに鶴丸さんを見据えた。

「どういうこともなにも、お前の想像どおりだろう。俺はなまえと結婚するつもりだ」
「ちょっと、鶯丸さん、それはまだ決まってな――」
「俺の心は決まっていた。最初から」

 あまりにもその瞳がまっすぐすぎて、たじろぐ。ぶつかりそうなあの鼻先、肩を包む暖かい手のひらが思い出されて、心臓がこわれそうになる。ストーブからの、ぱちぱちと火が弾けるような音が、至近距離で聞こえる気がする。
 鶴丸さんは、まるくしていた瞼をぎゅっと閉じると、また開く。さっきまでとは別人のような、凪いだ表情になっていた。

「……そうか。君は、ずっとそういうつもりだったのか」
「なんの話だ」
「おかしいと思っていたんだ。君ほどの才があれば、俺のように異国にだって行けたはずだ。いくらでもな。どうしてそれをしないのかと、ずっと思っていた」
「言いがかりだな」
「言いがかりでもいいさ。俺が、なんのためにこうして生きてきたと思うんだ」

 立ち上がった彼の、声色に宿る芯のつよさ。それが切実すぎて、私はますます発言を憚ってしまう。ゆらりと浮遊するような鶴丸さんの視線。
 鶴丸さんはなまえ、と私の名前を呼ぶと、やわらかに手を掬った。

「君、俺を選んでくれよ。……俺はぜったい、こればっかりは……諦めたくないんだ」

 見たことがないぐらい、ほんとうに切実だった彼の表情は瞬間、ぱっと色を変える。にい、と挑発的に唇をカーブさせると、愉快に笑い声を立てた。私の手を開放する彼の手に、みじんの名残も忍ばせていなかった。

「ま、いい返事を待ってるさ。じゃあな」

 ひらりと、脇に掛けていた上着を引っ掴むと、まるでショーダンサーのように帽子をかぶり、玄関へと駆けてゆく。ステップでも踏むような足取りに、思わず目を奪われた。


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