誰かが電気を点けるまで | ナノ


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『なまえちゃん。少し前にくれてたメール見たよ。大丈夫? 和泉くん、ちゃんと薬飲んで寝てる? ごめんね、僕気付かなくて……今日はもう遅いし明日、駅まで迎えに行くから、それまで和泉くんのこと見ててあげてね。じゃあ、おやすみ』
「は、はい。分かりました。おやすみなさい……」

 穏やかだけど少し心配そうな長船さんの声が聞こえなくなったので、通話終了のボタンを押す。和泉さんと二人きりの部屋を、沈黙が着飾った。ごくりと唾を飲む。
 いやいや、タイミングが悪すぎる。軽快な着信音で、完全に勢いが削がれてしまった。冷静になった頭で繰り返す。告白、告白だ。私は和泉さんに、告白をしようとしていた。

「……なぁ、さっきの」

 どきり、心臓が高く高く飛び跳ねる。今は彼の空色の双眸を直視できない。白々しく、旅館なのに無駄に雰囲気のある光色をした灯篭とか、洒落たガラスの違い棚に視線を馳せる。すると手首を熱い熱い彼の手が掴んだので、とうとう顔を下ろしてしまった。

「……な、何でもないです。やっぱ」
「はぁ? 何でもないって、お前……俺が」
「…………」

 熱のせいで潤んだ目で私をじ、と見る和泉さんに、負けるものかと視線は逸らさないでいた。固く引き結んだ唇。今は絶対に割らないと分かったのか、和泉さんは溜息を吐きながら私の手を自由にした。ばふ、と和泉さんは再び枕に埋もれる。拗ねたように私に背を向けてしまった。少し、寂しくなる。

「無理させて、すみませんでした」
「……いや。俺の望みで来たんだぞ。洒落てて、いい宿なのによ、こんななっちまってごめんな」
「和泉さんは悪くありませんよ」
「なら、俺が全快したら、さっきの話を聞かせろ。約束だからな」

 有無を言わせないように語尾は強く跳ねる。和泉さんの語気はたまに強引だ。しばらく黙ってから、「和泉さん」と呼ぶと、返事はない。代わりに呼吸音が規則的になっていて、私は何故か、ほっと胸を撫で下ろした。



「お前、寝起き悪いよな」

 ぼやぼやと白く霞む視界の中で、和泉さんはいかにも温泉旅行らしい、ありがちな浴衣を着て笑っていた。きっと寝癖の酷いであろう前髪を抑えて起き上がる。慌てて浴衣の着崩れも直すと、きまり悪そうに彼は視線を外していた。

「……あ、和泉さん、お加減はどうですか」
「だいぶ楽んなったな。あの時間に寝ただろ、明け方に目が覚めちまってよ、ひとっ風呂行ってきた。なかなか気持ち良かったぞ、お前もどうだ」
「えぇ!? ね、熱は?」
「体が軽い軽い」

 得意気に振り回される和泉さんの腕を捕らえて、額に手を当て、その温度を確かめる。それでも少し、熱が残っている気がしないでもないが、昨晩より遥かに常温に近かった。

「き、急に何しやがんだ」
「あ、ごめんなさい……熱、熱があるとお湯に浸かるのとか危ないですから、気を付けてくださいね」
「……分かったよ」

 和泉さんに狼狽えられると、私までどぎまぎしてしまう。昨日、私が言わんとしたことを、最低でもほんの少しは、勘付かれてしまっていると踏んだ。だって彼にちら、と視線を遣ると、一度は私に向けられた空色を、すぐに伏して隠してしまう。遣る瀬無い気分は、またもや軽快すぎる着信音に遮られた。



「すみません、わざわざレンタカーなんか出して貰っちゃって」
「お前、いつの間にこんなもん運転できるようになったんだよ」
「いいから、まず和泉くんは布団に行って」
「はぁ、うちの奴らは皆、過保護だな」

 生意気な口を叩いても、和泉さんの足取りにいつもの調子は欠けている。和泉さんが家に入ってしまうと、長船さんは車のドアを閉めながら「何かあった?」と私に尋ねる。昨晩のことがフラッシュバックして、動きを止めていると、長船さんは緩く微笑む。声が、いつもより低い。

「君たちの雰囲気、少しいつもと違ったから。あんまり、話さないしさ」
「それは、和泉さん……体調悪いからじゃ」
「そう? そうだよね。僕の勘違いか」

 長船さんはハハ、と笑い飛ばすけれど、正直生きた心地がしなかった。鋭くて、何を考えていても見透かされそうな人だと思っていた。今だって、本当は何を考えているのか分からない。



 夕餉に和泉さんは来なかった。見に行った堀川くん曰く、ぐっすり眠っていたからそのままにしておいた、とのことらしい。お風呂を出て居間で寛いでいても和泉さんの姿を見なかったので、厨から夕餉の残りと、果物を切って部屋を訪ねることにした。

「和泉さん、あの。起きてますか」

 声を掛けると、中から襖を開けてくれたのは堀川くんだった。

「なまえさん……あ! 夕餉の残り、持ってきてくれたんですか。様子を見に来たら、兼さん、さっき起きたみたいで。食欲もあるって言うから、今から取りに行こうと思ってたんです」
「あ、あ、そっか……」

 無駄のない堀川くんの対応に、私は無用だったかな、と少し後悔した。中から「入らねえのか」という和泉さんの声が聞こえたので、お邪魔して盆を床の傍に置いた。起き上がって盆を覗き込む和泉さんの額から、タオルが落ちる。

「林檎、あるじゃねえか」
「兼さん、さっき食べたいって言ってたもんね。流石なまえさんだよ」
「まあなぁ」
「なんで兼さんが得意そうなの?」

 林檎を口に運ぶ和泉さんの傍で、堀川くんは桶に入った氷水に、タオルを浸し治す。どこまでも出来た子だ、と自分の気の遣えなさを恥ずかしく思った。少し俯いてしまった私に、堀川くんは穏やかに微笑みかける。

「……あの。なまえさんがここに来てくれて、本当に良かったです。お姉さんが出来たみたいで毎日楽しいし、何より、兼さんなんてなまえさんが来てからずっと楽しそうで。今回の旅行も」
「はぁ? 俺……おい、国広、何言ってんだ」
「僕、水取り替えてくるね」

 桶を持ってぱたぱたと出て行ってしまった堀川くんのせいで、沈黙にまた包まれる。しゃく、と和泉さんが林檎を齧る音が聞こえてきてやっと、呼吸がままなった。

「……まぁあながち、間違っちゃいねえよ。お前は、まだ何も分かっちゃいねえかもしれねえが。俺は、ずっとお前の傍に置いてもらえりゃ、それでいいし、それが望みだ。無理はしなくてもいい、いつまでも待つ」

 和泉さんの言葉は温かく胸に沁みた。しゃく、とまた林檎を齧る。ちら、と私を見たと思ったら、また伏せてしまう。もどかしいと思った。

「いや、いつまでもは言い過ぎたかな。俺は気が長くねえ、けど待てるだけ待つし、助けにはなる」

 真面目な事を言ったと思ったら、すぐにこうやって茶化してしまうのだ。深く聞き入って「ありがとうございます」とお礼だけ言うと、少し微笑んだ和泉さんは、ふうと息を抜いて、布団に体を預ける。変わらず熱っぽく潤む瞳。

「37.8かぁ……また、熱上がって来ちゃってますね」
「まぁ、寝てりゃすぐに治んだろ。林檎も食えたし……ありがとな」
「いえ。早く治るといいんですけど……」

 辛そうに吐き出される吐息に、どうすることもできない自分の無力さが引き立つ。伏せられた瞼に、以前、傷付き倒れた彼の姿が重なった。あの時私は、確かに和泉さんの助けになれた。どうやって治したのだろう。和泉さんを侵す熱も、私が下げることはできないのだろうか。

「……和泉さん、私、和泉さんを治したとき、どうやって治したか覚えてますか?」
「……何だ、いきなり」
「まだ方法が思い出せなくて。けど、今の和泉さんのことも、早く治せないかなと思って」

 閉じられていた和泉さんの唇が、僅かに揺れる。

「……俺たちはお前に、霊気を使って貰って治してもらう。お前が治し方を覚えてねえのに、俺がどうすることもできねえよ」
「そう、ですよね。思い出せたらいいんですけど、今の私じゃ、和泉さんに触ることしかできません」

 馬鹿げたことを聞いたかもしれない。無理やりに苦笑してみるも、和泉さんは釣られてくれなかった。細めたままの目は、何故か怖いくらいに真剣だ。

「試してみるか?」

何を、と聞く前に、横たわった和泉さんが私に両腕を伸ばす。引き寄せられるようにそれは私の首に回され、ゆっくり近付いて行く。熱かった。首に回された手が、頬に添えられたもう一方の手が、唇に触れた唇が、溶けそうな程、熱かった。



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