誰かが電気を点けるまで | ナノ


■■■

 年末休暇に入り、私はますます自堕落だと鶯丸さんに罵られるような日々を過ごしていた。せっせと常に何かをしている長船さんほどやるべき事もないし、食事の準備を手伝おうと申し出ると、「味見してみて」を名目に次々に口におかずを放り込まれる。気付けば、手伝いよりも味見の時間の方が多かったりするのだ。けれど今年の冬休みは、一緒に過ごす人たちがいる分、退屈せずに済む、なんて思っていた。

「兼さん、なまえさん、これ見て!」

 変化に乏しい炬燵生活に、瑞々しい堀川くんの声が飛び込んできた。鼻の頭がうすら赤い堀川くんは、今しがた外から戻ったようだ。私と和泉さんは、いそいそと体を起こす。

「何だ、それ」
「旅行ご招待のペアチケットだよ。いつも兼さんが飲んでるお茶に付いてるマーク集めて応募したら、当たっちゃったんだ」
「国広、お前そんなもん応募してたのか」
「堀川くん、凄いじゃん!」
「僕は勝手に応募しただけだよ。兼さんのお茶なんだから、兼さんとなまえさんが行ってきなよ。1月末まで使えるけど、なまえさん、年明けは仕事お休みですよね? きっといい息抜きになりますよ」

 堀川くんの純粋で多大なる気遣いと善意に、私は押し潰される。返事に迷っていると、和泉さんと視線が噛み合った。ただ空気を窺うだけの卑怯な私を露知らず、和泉さんは「まぁいいんじゃねえか」と瞬いた。



 今年の冬休みは、退屈しなさそうでいいな。そんな予感は倍以上のものに膨れ上がっていた。新年早々、和泉さんと出掛けられる。はためく心に嘘は吐けなかった。約束の日、和泉さんとの待ち合わせは勿論、居間だったのであって、逢引なんて雰囲気では到底なかったけれど、満面の笑みで見送ってくれる堀川くんを見て、存分に楽しもうと決意した。

「にしても、寒いな。お前、こんな日に出掛けるなんて、平気だったか」
「私は全然。家に居ても、どうせ何もしないですし……」
「へえ、寂しいねえ」
「……笑ってますけど、和泉さんも昼寝ばかりじゃないですか。ここ数日なんて、居間でもあんまり見かけなかったし……」
「ああ、部屋に籠ってたな。正月は寝るもんなんじゃねえのか?」

 あながち間違っていない知識を仕入れておられる。目的地まで電車を乗り継ぐ間、どんな話をしようかと心配していたけれど、思ったよりも自然に、和泉さんとの時間は流れる。思えば、こんな風に本当に2人になる時間はあまりない。ほんの少しの居心地の悪さを誤魔化すように、堀川くんからさっき受け取ったチケットに視線を流した。

「へえ、和泉さん和泉さん、旅行って何かと思えば、温泉旅行なんですって」
「温泉、ねえ」
「泊まれる旅館も調べたんですけど、とっても豪華で……あ、と」
「何だ?」

 チケットに記載されているプランと部屋、そして写真を見比べて重大な事に気が付いた。この畳の部屋で、和泉さんと床を共にするのか。和洋室や、洋室のツインベッドならまだ救いはあったかもしれないが。どうすべきかを思案して返答しない私を見かねて、和泉さんは画面とチケットを自分で覗き込む。凛と整った顔立ちがだんだん、僅かにだが苦くなるのが分かった。

「……俺は構わねえよ。大体、同じ家に住んでるんだからそう変わんねえ……よな? お前がどうしても嫌って言うんなら、どこか他に寝床を探すだけの話だしな」

 和泉さんの言うことには一理あると思ってしまった。だだっ広いとは言え、同じ一つ屋根の下に暮らしているのだから、今更気にする方が過敏、なのかもしれない。いや、それでも。
 ちら、と視線を遣ると、和泉さんは窓に頭を凭れて、瞼を伏せていた。よく見ると濃く瞼を縁取っている睫毛や、鋭い鼻梁に見惚れていると、ゆったりと瞼が擡げられる。流れるように落ちてきた空色の視線に、意識を奪われた。

「……お前に見られるの、嫌いじゃねえんだ。お前は俺のこと見てると安心するって言ってたけどよ、俺は、お前に見られてると、何でか安心する」

 ひどく穏やかな物言いだった。私が彼へ向けたのは不躾な視線だったかもしれないが、彼はどこか心地よさそうに目を細めた。彼が刀であったことに、今までで最も深く納得した。少しその声は掠れていて、完全に空気に溶け切った後、再びゆったり伏せられる瞼。
 今日はやけに、しおらしく見える。いつもと違う環境で彼を見るからなのか。籠っていたような雑音が一気に晴れ、窓の外に濃紺が広がる。冬の海だった。また露わになった彼の瞳に映り込んだ細波は、この世のものと思えないほど美しかった。



 物憂げな視線も、伏せられる瞼も、掠れた声も、どこか普段の彼と違うと思っていた。何か思うところがあるのか、まさか体でも悪いのかという疑惑は、明確に輪郭を持ってしまった。

「どうして、黙ってたんですか……」

 電車の中で眠ってしまった和泉さんを起こすとき、その肌に触れて、私はぎょっとした。彼の持つ熱に、溶かされそうだった。ゆっくり意識を取り戻した彼の呼吸は不自然に浅く、顔を歪める私に、彼は苦笑で答えた。

「隠し通す、つもりだったんだけどな」

 駅から泊まる部屋までの距離がないのが救いだった。急いで床を整えると、和泉さんはしなやかな体躯から力を逃がして、そのまま布団の上に投げ出す。強がって、体に相当な無理を言わせていたらしい。

「和泉さん、そのままじっと寝ていて下さい。薬貰って来ましたから、飲んで、熱が下がるまで……」
「……ああ、悪かったな」
「なんで謝るんですか! 連れ出したのは私なのに……」

 上気した頬は私を仰ぐ。潤んだ瞳が、胸に堪えた。彼は優しい。優しい彼に、私のせいでこんな無理をさせてしまった。自分という存在に悪い顔なんてしない、できないことは知っていたのに、よりによってそんな人を好きになってしまった自分がひどく恥ずかしい。和泉さんにここまでさせたのは、きっと私のせいなんだ。

「おい、何で泣くんだ」
「泣いてませんよ」
「……自分のせいだとか、思ってるんじゃねえだろうな」

 途切れ途切れに危なっかしい息を吐きながら、彼は私の頬にその大きな手のひらを添えた。和泉さんが触れた右側の頬だけ、包まれるように熱い。喉が急激に乾いて、熱を持つ。上手く声音を生むことができなかった。先に、和泉さんの乾いた唇が躊躇しながら開いた。

「最近めっきり調子が悪いのは、分かってたんだよ……けど、お前が楽しみにしてくれてるみてえだったし、何より代役立てるのは御免だったね。お前を楽しませるのは、俺がいいに決まってんだろ。ちと、完治には時間が足りなかったけどな」
「……だから、ずっと部屋に籠ってたんですか」
「……だってよ、奴らにバレたら、家から出してもらえねえだろ」

 和泉さんは幼い少年のように、視線を逸らかす。そしてハァ、と溜息を吐いて、不服そうに顔を歪めた。

「人の体は面倒だな。ただの風邪がこんなに煩わしいもんだと思わねえだろ? 悪いが、少し待ってな。動けるようになったら、一緒に……」
「和泉さん」

 食い気味に名前を呼んだせいか、膜が張ったような空色の瞳はまん丸になる。閉じ込められるなら、それでもいいと思った。和泉さんの優しさに何の特別性もなくても、それでも私にとって和泉さんの存在は大きくなり過ぎた。自分勝手に、彼の瞳を捕まえる。膨れて弾けそうなこの気持ちは、もう後戻りできない所まで来ていた。

「私……和泉さんのこと」

 澄んだ空は鏡のように私を映し出す。こんなにも切羽詰まった自分を見たのは初めてだ。彼の目にも同じものが映っているのは確かだが、もう、止まれない。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -