誰かが電気を点けるまで | ナノ


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「はは、心外だな。てっきり君は料理なんて出来ないのかと思っていたぞ。こないだも、和泉守と2人して体に悪そうな代物を持ち帰ってきたじゃないか。あれはあれで美味かったからいいんだがな」
「鶴さん、なまえちゃんに失礼だよ」
「はは! すまんすまん」

 鶴丸さんの一糸纏わぬダイレクトな発言に、ある朝の食卓の空気は混乱した。堀川くんは私が気を悪くしないか心配そうに瞳を揺らしているし、和泉さんは箸を動かしながら愉快そうな視線だけ送って来る。鶯丸さんは無言で味噌汁を啜っていたので安堵した。

「正直、ぐうの音も出ません。長船さんの作って下さる食事が余りにも美味しいので、甘えて今までずっとご馳走になっていましたが……私自身、料理が取り立てて得意という訳ではないので、鶴丸さんにそう言われるのも無理はない……かと」

 というか的中している。どんどんと尻窄む声に、和泉さんの「じゃねえとファストフードなんて食わねえよなぁ」という台詞が被さる。面白そうに声は笑っていた。言い返そうにも言葉が見つからなく、ただ打ち震える私に、長船さんは穏やかに微笑みかけた。

「気にしなくていいよ。美味しそうに食べてくれるの見るの、好きだし」
「おいおい光坊、甘やかすなよ」

 居たたまれなくなって、私はとうとう箸を置いた。この家にはずっとお世話になっているのに、そういや何も恩返しが出来ていない。暮らしにも、皆との距離感にも慣れてきたし、何かするならこの頃合いだろうと、決意した。



 厨房には、私の住んでいた家よりも豊富な調味料や道具が揃っていた。料理酒や味醂は十分理解できる。しかし、こんなものいつ、どの料理に使うんだというお洒落なスパイスやソースすらも所狭しと並んでいた。全てを使いこなしながらご機嫌で調理に勤しむ燭台切さんの鼻歌が、頭の中で鳴り止まない。

「何だ、意外と様になってるな」
「和泉さん……邪魔しに来たんですか?」
「んなわけねえだろ。お前が馬鹿にされるのは愉快だが……ちょっと癪だからな、俺が手伝ってやるよ」

 いつもの着物に襷を掛けて、準備は整いに整っている様子の和泉さんだった。厨の中に彼が入ってきたせいで、余白は一遍に埋まる。和泉さんは普段から料理をする……ようには見えなく、厨の物々にそろそろと視線を這わせていた。

「で、俺は何を手伝えばいいのかねえ」
「えー? じゃあ、冷蔵庫の中にあるプチトマト切って貰えますか。半分でいいんで」
「へーへー」

 自分で申し出た癖に、少し気怠そうなのは何なんだ。とは言え、この状況に微笑みを隠せない自分もいた。この家に来てから、いやその前から、和泉さんと過ごす時間がとてつもなく好きなのだ。当たり前のように隣にいて、当たり前のように言葉を交す。その一つ一つがひどく眩しいもののように思える。ひょっとしたらひょっとする感情に薄々、勘付いてはいた。

「大丈夫ですか? 和泉さん、手切ったりしてないですよね?」
「なんだ、なかなかに俺を見縊ってくれるねえ」

 和泉さんの手元には、危なっかしさの欠片も宿っていなかった。あまり料理なんてしない人だと見えたけれど、意外と器用なのかもしれない。或いは、刃物そのものの扱いを熟知しているからか。

「……驚きました。失礼ですけどもっと雑なのかと」
「まぁ、このくらいはな」
「やっぱり料理も手伝うんですか? 長船さんや堀川くんが、上手なのは知っていますけど」
「いや。苦手じゃねえだけで、好き好んでやろうとは思わねえな。当番で仕方なく手伝うことはあったけどよ」

 真剣な眼差しで野菜を切る、その横顔を見て、腑に落ちないな、と思う。好き好んで、ここに手伝いに来てくれたように、私の目には映ったが、もしかすると渋々やっているのだろうか。何故、を頭の中で巡らせていたら、鶴丸さんの言葉を嫌でも手繰り寄せてしまう。
 「君を探し出して、一緒に戦えるようにするまでが俺たちだ。勿論、その後が俺たちの本来の役目だが。今は君が共に来れるようになるまでの過程として、何が何でも君を守らなきゃならん。そういうことだ」
 彼らがどうして私に親しみを持って接してくれるのか、良くしてくれるのか。答えは簡単だったはずだ。彼の親切さに、危うく心を乱されそうになるところだった。

「どうした?」

 ぼうっと虚空と目を合わせていたらしい。和泉さんの顔が視界に覗き込む。

「何やってんだ、煮えすぎてるじゃねえか」

 和泉さんのすらりとした腕が私の体を押し除けるようにして伸び、火力調節のノブに触る。ぐつぐつと気泡の沸き立つ鍋にやっと気付いて息を飲み込むと、呆れた顔の和泉さんが代わりに息を吐いた。蒸気が吐き出されるような音がどんどん鎮まって、ほぼほぼの沈黙がここに訪れた。

「こういうもんは、考え事しながらするもんじゃないと思うがね」
「ご、ごめんなさい……」
「俺は構わねえよ。それよか、火傷なんてしてねえだろうな?」

 菜箸を片手に、もう片方の手で和泉さんは私の手を取る。男性らしい大きな手に半ば強引に掬い上げられた。まじまじと私の指先一本一本になぞられる視線。頭では理解していても、容赦なく触れた部分に熱が籠もる。和泉さんの、澄んだ浅葱色の視線はそれすら冷やしてくれそうに、綺麗だった。

「悩み事でもあんのか?」
「そういう訳じゃあないです」
「なら、余計な心配かけてくれるな……頼むからよ」

 きりりと釣っている眉が、僅かに歪んだ。懇願するように彼の手の力は解かれる。自由になった手を下ろしても、和泉さんの手は彼の元に戻らず、また私の頭を一撫でしてから去って行く。



「へえ、君の料理か。見た目は光坊の手製にも、引けを取らない出来じゃあないか」
「えー、流石に取りますよ、引け」
「そんなことないよ、なまえちゃん。彩りも抜群だし、美味しそうだ」

 長船さんは恐らく、その人柄からして、料理がいまいちだったとしてもきっと笑顔で食べてくれるのだ。堀川くんも、「美味しいです」と目を輝かせるのを忘れないだろう。問題はその他だった。
 固唾を飲んで見守っていたが、鶯丸さんは無言で二口、三口と口に運ぶ。しつこい私の視線に負けたとばかりにこちらを向くと、僅かに笑いを零して「そんなに見るな。美味いんじゃないか」と言ってくれた。言わせた感も否めないが、彼は不味ければ不味いと言いそうだ。堀川くんは箸を箸置きに置いてまで、

「僕も、とっても美味しいと思うな。なまえさん、また作って下さいね」

 と言ってくれた。控えめに言って、涙が出そうだ。

「うん、僕も美味しいと思うよ。ね、鶴さん」
「ああ、お代わりを貰おう」
「鶴さん、僕の料理より食べるの早くない?」
「ああ、美味いぞ、君」

 長船さんのような手際も技術もないため、時間こそかかったけれど、誰かが口々に自分の料理を褒めてくれると言うのは、この上なく嬉しくて、こそばゆいものなんだ。この家に来て、幸福を貰っているかもしれない。今のこの時間を噛み締めると、安心してやっと食欲が湧いてきた。
 斜め向かいに座る和泉さんと、ふと視線が絡んだ。彼は口角だけを強気に引き上げて、「ほらな」と言いたげな、誇らしげな笑みを私に向ける。その瞬間に、私は彼が好きなんだと、そう思った。



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