誰かが電気を点けるまで | ナノ


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「意外と怠惰な生活を送っているんだな。もう昼だぞ」

 起き抜けのまま居間に行くと、隅に置いてある椅子に腰かけた鶯丸さんが、視線だけを私に移した。組まれた長い脚に、何だかとりあえず難しそうな本がよく似合っていた。

「帰って来てたんですね」
「ああ、先程な。夜通しの任務だった。もう少し読んだら、寝るとする」
「……お疲れ様です」
「今日は休みか。優雅なもんだ。お前も、あいつも」

 すい、と視線だけで何かを示すのが上手だ。伏し目がちな彼の視線の先には、炬燵から半分はみ出した、赤い着物と折り畳まれた逞しやかな腕。

「和泉さん、炬燵が出たからってまた昼寝して。長船さんに怒られますよ」

 ここから言ってもある程度の距離が邪魔をして、和泉さんの瞼をぴくりとも動かすことができなかった。くく、と低く喉を揺らした笑い声が聞こえる。鶯丸さんが笑うのを、初めて聞いた。すぐに笑い声を潜めてしまった彼は、ページの間にマーカー代わりらしい紙切れを挟むと、ぱたんと小気味良い音を伴って本を閉じた。

「退屈しないな」

 笑い声は零さなくとも、彼の口元には絶えず、絶妙な量の笑みが携えられている。部屋を出てゆく鶯丸さんに「おやすみなさい」と言うと、「お前もな」と返される。今起きたばかりなのに、さすがに寝やしないのにと思う。彼の冗談は私には高度すぎる。



 足の爪先からじんわりと浸食するような冷えを感じて、私は身震いをした。炬燵に遠慮がちに足を入れると、程よい温もりが溶かすように温め出してくれる。少し足を動かすと、重量のあるものに触れる。長いその脚は炬燵を所狭しと占領していて、ああ、この人と一緒に住んでいるんだと実感した。
 ふと、視線を下ろす。口を無防備に半分開いて、けれど瞼だけはしっかりと閉じて。和泉さんの寝方は、気持ちのいい寝方だ、と思った。私が口を半開きで寝ていたら、きっと目も当てられない間抜けな寝顔になるだろうに、和泉さんの凛々しい顔立ちを以ってすると、こうも可愛らしく目に映る。

「ふふ」

 鶯丸さんは部屋に戻ったし、恐らく鶴丸さんもそうだろう。燭台切さんと堀川くんは見当たらないので、買い出しか何かだろうか。誰もいないと思うと気が緩み、和泉さんの寝顔に笑い声を漏らしてしまった。

「おい、何笑ってんだ? 馬鹿」

 音もなく、けど急激に彼の白い瞼は開かれた。

「和泉さん、起きてたんですか! もう!」
「何でお前が怒るんだ」
「いつから?」
「お前が炬燵に侵入してきた時だな」

 体を起こしながら和泉さんは言う。悪戯っぽく、私を見て笑んだ。確実に、揶揄うために狸寝入りを決めていた人の表情だ。体を起こした和泉さんは、テーブルの上にあった茶菓子に手を伸ばしながら、大きな欠伸をする。まだ眠いのだろうか。赤子のようによく眠る人だ。

「熱いお茶……って、国広はいねえのか」
「出掛けたみたいですね。私が淹れてきますよ」
「お、なかなかどうして客っぽさが抜けてきたじゃねえか」

 和泉さんの目が爛々とするのを見て、少し嬉しくなる。ここの一員として、受け入れてもらっている実感が湧く。



 ずず、と熱いお茶を啜る和泉さんと私の間に、ゆったりとした時間が流れていた。必ずしも落ち着くものではなく、新しい暮らし、新しい距離感に、一抹の戸惑いはあるものの。

「にしても、お前は本当に俺を眺めるのが好きだな」

 和三盆の、白く柔らかい包装紙を剥きながら、和泉さんは言う。「まだ揶揄うんですか」と軽く睨むと、屈託のない笑顔が返ってくる。最初に会ったときから、この笑顔が好きだった。彼自身も、彼を使っていた主人も、彼のことを誇りに思っていたことが、ひしと伝わってくるような気がするのだ。きっと最初から、この笑顔に焦がれていた。

「まぁ、好きなんですけどね」
「な、何だよ、お前……ストレートだな」

 正直に白状したと言うのに、私より和泉さんが狼狽するものだから、途端にきまりが悪くなる。

「最初から、和泉さんのこと、不思議だなぁって思ってました。見てると、どこか安心もできて。きっと、和泉さんの今の主人も、和泉さんをこうして誇りに思っていたんだって、伝わってくる気がするんです」

 開かれた空色の瞳が、心なしかより一層澄んだように見えた。私の言葉を噛み締めるように、満足気に弧を描いた口元。

「お前もだ。お前もじき、俺の大事な大事な主殿だろ。俺も、お前のことを誇りに思ってるんだからな。そこんとこ勘違えるんじゃねえぞ」

 和泉さんの声は、何度も何度も、胸の中で響き合う。少し冷え始めた空気に漂うきらきらとした粒子を吸い込む。返事をしないで彼の言葉を反芻してばかりいると、大きな手のひらが伸びてきて、頭の頂きをぐわしと掴んだ。

「和泉さんあの、い、痛いです」
「よーく見たら、俺の主ともあろう者が恰好悪い髪型しやがって。見た目は大事だぞ? 分かったら、さっさと粧してきな。俺らも出掛けるぞ」
「えっ? デート、ですか?」
「はぁ? デート? 逢引のことか? ……バーカ、飯だよ飯。俺は久しぶりにあれが食いてえからな」

 あれ、と言うと。和泉さんと一緒に外で食したものと言えば、ファストフードと肉しか思い当たらない。

「……コーラとポテト」

 その単語に空色の瞳はあからさまにさんざめく。どうやら当たりだったらしい。案外分かりやすくて可愛い人だ。急いで準備してきますと告げると、威勢のいい返事が返ってくる。



 親指を顎に当てて、露骨に考え込むような表情をされた。

「なんか、粧しすぎじゃねえか?」
「えぇ……だって和泉さんが粧して来いって!」
「文句はねえよ。似合ってる」

 勝気な笑みでそんなことを言うから、和泉さんはずるいと思う。流石に、心臓がはためくのも無理はないと思うので、許してほしい。揃って家を出ると、前から丁度、私たちと同じ数の人影がやって来る。

「長船さん、堀川くん、お帰りなさい」
「ただいま。なになに、君らはお出かけ? もしかして、デート?」

 私が否定するより先に和泉さんは「まあな」と言うのでぎょっとする。「もう、お昼ご飯考えてあったのに」と残念がる長船さんと、「ずるーい」と愉快そうに笑う堀川くん。弁解の余地もなく、すたすたと歩いて行く和泉さんに置いて行かれそうになって、慌てて付いて行く。むすっと不服そうな目元が横から見えた。

「和泉さん?」
「……何だよ、冗談だろ」

 耳を赤くして照れるぐらいなら、言わなきゃいいのに、と思った。



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