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随分の間、眠っていた気がする。寝過ごした日というのは、起きた瞬間に不思議と第六感で分かるのだ。
「よお、目が覚めたか」
聞き覚えのある声に、見慣れない和室。柔らかな布団に、私は横たわっていた。ああ、彼らの家だと理解して、兎にも角にもゆったりと体を起こす。
「……はぁ、和泉さん」
「ああ、俺だ」
「すみません、いろいろ、ちょっと待って下さい……」
急がず、焦らず、私はゆっくりと頭の中を整理した。途端にはっと息を呑む。血の匂い、閃光、見たことのない彼らの姿。フラッシュバックする場面場面を飲み込むと、言いようのない焦燥感に駆られて、思わず和泉さんの腕をがっしり掴んでしまった。
「和泉さん。あの、和泉さん。体は」
「落ち着きな。見ての通り、俺なら無事だ」
「あ……」
上から下まで視線を這わせるのを、和泉さんは嫌な顔ひとつしないで待ってくれる。頬にも、肩にも、腕にも、指先にも、傷跡ひとつ残っていなかった。伏せられた瞼と、赤く血に染まったあの光景は、夢だったのだろうか。
和泉さんは、少し口角を緩めて、私の強張った手を包んだ。口よりも、その手が物を言う。まるで諭すように。だんだんと、余計な力が抜けていく。
「お前が助けてくれたんだ。本当に、ありがとよ」
いつもより少し掠れた彼の声に、あれは決して夢ではないことを悟る。
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「なまえさん!」
和泉さんに手を引かれながら居間に入ると、堀川くんが勢いよく立ち上がり、駆け寄って来る。その振動で机の上にあった湯飲みが倒れたのも気にしないで、彼は私のために涙目になってくれた。
「僕、なまえさんがこのまま目覚めなかったらどうしようって……力を使い切って、きっと眠ってるっていうのは、分かってたんだけど……まだ何も分からないなまえさんに、お願いしちゃったのは、僕だったから」
いつも冷静な堀川くんが切羽詰まっている。その様子とその言葉だけで、なんとなく飲み込むことができた。私は、私にも分からないことをしでかしたらしい。潤む堀川くんの目には、あの時のような殺意なんて微塵も宿っていないし、和泉さんの肌にも傷ひとつない。それが、答えだった。戸惑うけれど、どこかで納得してしまうのは、つまり。
「国広、いっぺんに言っても混乱させるだけだ」
「ごめん、兼さん……」
「堀川くん、私なら大丈夫だよ」
「うん……兼さんを治してくれて、本当に、ありがとうございます」
私に向けられたのは、救われたような微笑みだった。
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「少しは落ち着いたかな。熱いお茶でも飲む? それとも、食欲があるならご飯でも食べる? ごめんね、僕、その場にいられなくて……頑張ってくれたんだね、ありがとう」
長船さんは悪くないのに、なぜだかひどく悔しそうな表情をしていた。初めてのおつかいから帰還した子供を褒めるみたく、温かい食事と、大きな手のひらで髪を撫でてくれた。吐き出したい言葉を、彼の手は許してくれる。
「私……見てはいけないものを、見たんです」
「……うん」
長船さんの作ってくれた食事は、とても優しくていい匂いがして、こんな時にでも食欲を掻き立ててくれる。黙々とおかずに箸を伸ばしながら長船さんに言葉を渡していくと、不思議と、少しずつ気持ちの整理がついてくる。
「どうしたらいいのかも、自分がどうやったのかも分からなくて。気付いたらこうなってて」
長船さんは伏した瞳で私の言葉をひとつひとつ受け止めて、待ってくれていた。
「どこかで思ってはいたんですけど、分かりました。長船さんも、和泉さんも、堀川くんも……私も、ずっと自分が思っていたものとは、違うんですね」
「僕らは僕らだし、君は君だよ。だけど、僕らと君は、少し似てる。互いを遠ざけないでほしい。君が見たものは僕たちの敵だし、君の敵だ。君が昨日やったことも、いずれ君の役目になる。けど、今の僕たちは君を守るのが使命だから」
「今は?」
「今はね」
無意識に、箸が止まる。自分の行く末に勘付いてしまった。いつかきっと、私の持つ何かが開花したとき、彼らと共に行く日が来る。驚くほどすんなりと受け入れている自分がいて、けれど、それはつまり、これが真実だということを知らしめていた。
「もう、色々と隠す必要もなくなっちゃったな」
長船さんの笑顔はいつもの、あの困ったような笑顔だ。私が忙しく箸を動かすのを、どこか楽しそうに眺めているところも、何ひとつ変わらないのに、ここじゃないもっと別のところが、比べられないほど大きく変わってしまった。
「……ところで和泉くん、いつまでそこにいるの? 入ってこないの?」
長船さんの視線の行く先を見れば、腕組みをして神妙な顔で居間の入り口に立っている和泉さんの姿があった。
「どうしたんですか。和泉さんも、一緒にご飯食べたいんですか?」
「ちげえよ。さっきたらふく食った。人様の会話に水を差すのは無粋だからなあ、待ってやってたんだよ。俺は、今からお前に話がある」
「……話?」
たくさん話すだろうことがありすぎて、改めても何もないだろうと思った。長船さんは穏やかな笑い声を上げた。
「奇遇だね、僕もまだ話が残ってる」
「……まあ、どうせ同じ件だろうけどな」
「何ですか?」
「和泉くんが言っていいよ、どうぞ」
ひらり、と差し出された長船さんの手のひらを受けて、和泉さんは少し難しい表情になる。至って真剣な面持ちで、私に一つの提案をした。
「なあ、お前も一緒にここに住んでくれねえか」