誰かが電気を点けるまで | ナノ


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「みょうじさん、甘いもの好き? 甘いものは、別腹だよね」

 私はまだ返事をしていないというのに、心なしかうきうきしている長船さんは奥から次々とお皿を持ってやって来る。隣に胡坐をかいている和泉さんは、机に運ばれてきた大量の料理を見て小さく呻いた。

「……おい、これ絶対、品数増えてんだろ」
「だって、みょうじさん連れてくるって言われたら、腕を振るわずにいられないでしょ」
「あ……私のことは気にして頂かなくて大丈夫です! あ、あの……すごく美味しそう。頂きます」
「おい、無理はすんなよ。あんたもそれなりに肉食ってただろ」

 和泉さんは苦しそうに箸を取りながら私の顔を覗き込む。どうやら心配してくれているらしい。正直、心遣いは本当に有難かった。行き違いで余ってしまったお料理を残すなんて失礼だし勿体ない。私は長船さんの手製だという豚汁にまず箸を付けた。家庭の味、という感じで、とても優しく舌に馴染んだ。長船さんはやはり、料理が上手だ。

「……にしても、長船さんと一緒に住んでいるのが和泉さんだったとは驚きました。今思えば、和泉さんと会ったのはこの家の近くでしたね」
「おい、なんでその順番なんだ? 俺がおまけみたいじゃねぇか。俺と一緒に住んでるのがあいつなんだろ」
「はは、和泉くんより僕のほうがみょうじさんと関わってるからね」

 へーへー、と和泉さんは鬱陶しそうに返事をして、豚汁を掻き込んでいた。机の上には他にも、つややかなご飯、煮魚や和え物、デザートの羊羹まである。支度をようやく終えたらしい長船さんは、私の左隣に腰を下ろす。和泉さんとは反対にきちんとした正座だ。どこまでも見た目とのギャップが激しい人だ。

「……ということは、私を助けてくれたのはやっぱり和泉さん、で間違いないんですね。私、あの時、何が何だか分からなくて。あんまり覚えてないんですけど」

 私が話し出すと2人は動きを止める。

「やめな、そんな顔。無事だっただけでいいって言ってんだからよ」

 湿っぽい空気は苦手だと言わんばかりに、和泉さんは私の頭を乱暴に一度撫でると、立ち上がり、「酒取って来るわ」と言いながら厨房の方へ行ってしまった。残された長船さんに視線を合わせると、困ったように笑っていた。

「ごめんね、不器用で短気だけど、ああ見えて怒ったりなんかしてないから」
「いえ……それは、知っています」
「はは、そっか」
「……あの、和泉さんには言ってないんですけど」
「ん?」
「和泉さんの髪って、何かあったんじゃないかって。その……助けてもらった時に」

 ほとんど勘とか予感とか、シックス・センス的なものに頼りがちな意見になってしまうのだが、私はあの縁日の日、和泉さんを見た気がするのだ。靡く黒い長髪、浅葱色の装束。そんな印象が脳裏にうっすら貼り付いている。次に目にした和泉さんの後ろ髪がすっかり短くなっていたからと言えば、こじつけだと思われるだろうか。
 しかし、私の言葉を聞いた長船さんはやけにゆっくりと、唇を緩めてみせる。

「やっぱり彼だって気付いてたんだね。でも、不安になんてならなくていいよ。たとえそうだったとしても、彼はこうして元気で君の傍にいるんだし。それに、すぐに元に戻るさ」

 長船さんは、あの日の和泉さんと同じことを言う。だからそんなに髪は早く伸びやしないのに。でも、と続けたくなる気持ちをぐっと堪える。長船さんの緩む口元を見ていると、いやに安心させられ、これ以上に私がやれることはないし、やる必要もないのだと、悪い意味じゃなく、そう思えた。



「ただいまー」
「あ、帰ってきたみたいだね。おかえり」

 誰だ、と私が座る向きを変えているうちに、玄関の方から一人の男の子が入って来る。まんまるい瞳をこちらに向けると、とたんにきらりと輝かせ、学校用らしい大きなバッグをとんと下ろした後、駆け足で寄って来た。

「こんにちは! みょうじなまえさんですよね? 僕、堀川国広って言います。いつも皆がお世話になって……って、これじゃおかしいか」
「はは、落ち着いて。#名字#さんの目が点になってるよ」
「うん! ごめんなさい。でも、今日来てるなんて聞いてなかったから、ビックリして……」

 堀川くんという男の子は、申し訳なさそうに頭をひょこりと下げて、和泉さんが開けている位置に正座をした。つやつやとした白い肌に形のよい頭、さらさらした黒髪はまだ少年のそれのようだ。そもそも彼は制服らしき衣服を纏っていた。自分よりももっと若い男の子らしからぬ、しっかり落ち着いた笑みで私を見ている。

「は、初めまして。どうも、みょうじなまえです」
「驚きましたよね。なまえさんのことは話をよく聞いてて、それで。なんだか、初めて会った気がしないなぁ」

 私のどんな話をしていたのかなんて、重要な問題すぎる。反対側の長船さんに目線をやると、「さあね」といった感じでいたずらに眉を上げられた。

「よお国広、帰ってたのか」

 奥からやっと和泉さんが顔を出す。腕の中にはちゃっかり、酒瓶が収まっていた。

「兼さん、ただいま。もう、どうして#名前#さんが来るって教えてくれなかったの」
「急だったから仕方ねぇだろ。ほら、そこは俺が座ってたんだ、どきな」

 和泉さんは乱暴に堀川くんを横に押すけれど、堀川くんは気にしていない様子でちょこんと座り直した。
 仕事の関係でこの辺りに来たと和泉さんは言っていたけれど、こんな若い――高校生の子まで一緒に住んでいることは驚きだった。もろもろと細かいことを考えながら二人を見ている私を察してか、長船さんが口を開く。

「彼は和泉くんの親戚なんだ。家よりここの方が近いからって、和泉くんがいるうちはここから通うってさ」
「そうなんですね」
「驚いたでしょ」
「お仕事仲間かと思っていたので、少し……それにしても、やっぱり皆さんはお仕事が終わると帰っちゃうんですね」

 和泉くんのいるうちは、というさっきの言葉が、すとんと飲み込めなかった。引っかかったまま、私を確かに悲しくさせる。まだ出会ってそう長くない人のことだというのに、本当に不思議だ。黙っている長船さんの代わりに、和泉さんが返事をした。

「まぁな。当たり前だが、同じ場所にずっとは居られねえ。お前だって、そうだろ」

 真っ直ぐな声と視線が突き刺すように私に入り込んでくる。慰めでも拒絶でもなく、彼はただ全てを受け入れようとしている人だという事実を感じた。けれど、どこか太陽のように温かいところがあるのはなぜだろう。



「おいみょうじ! 帰るのか? 家まで送ってってやるぜ!」
「怒鳴らないでくださいよ。和泉さん、絡み酒ですか? うわー、めんどくさい」
「みょうじさん、僕が送ってこうか? もう遅いから」
「いや、俺が送ってくって言ってんだろ!」

 申し出を突っぱねられた長船さんが、溜息を吐きながら苦笑する。「兼さんは酔うのは早いけど冷めるのも早いから」と言い訳じみた口調の堀川くんが身内をカバーしていて、よくできた子だと思った。

「そんなに送りたいなら、僕も付いていくから。それならいいよね? 長船さん」
「分かったよ、オーケー。だけど、和泉くんにはたっぷり水飲ませてからね」

 長船さんが和泉さんを連れて部屋に戻っていく。何度見ても数人で住むには広い和風の家屋。玄関も広くて、深い木の香りがした。靴をもう履き終わっている私が段差に座って、家まで送ってくれるらしい和泉さんを待っていると、隣に堀川くんがふんわりと腰を下ろす。最初に出会ったときから、壁や拒絶を微塵も感じさせない彼の純粋な瞳が、私の固さまでほぐしてしまう。

「なまえさん、今日は楽しかったです。絶対にまた来てくださいね」
「こちらこそ、急に来てごめんね。またお土産でも持ってくるよ」
「ほんとですか! 僕も兼さんも、皆きっと楽しみに待ってるから」
「うん、約束するよ」

 笑顔で答える。同じく笑顔を送り返してくれた堀川くんは、純粋無垢で、高校生らしい明るい子をふっと隠してしまった。少し物憂げに瞼を伏せると、眉を寄せて私に「ねぇ」と問いかけた。他の者には聞かせたくないかのような、掠れた、抑えたような声に驚く。

「なまえさんは、特別だから、僕も心配なんだよ。できれば、兼さんや……僕たちと一緒にいてほしいんです」

 何の話だ、と聞き返す間もなく、無遠慮な声が叩き割るように飛び込んできた。

「おう! 復活だ。帰るぞ」
「和泉さん! 気分悪くないんですか?」
「何驚いてんだよ、俺は復活が早いんだ」
「死ぬのも早いけどね」

 堀川くんが付け足して、和泉さんをまた怒鳴らせる。いたずらっ子のような屈託のない笑顔で鈴のような声を立てる堀川くんには、さっきの別人みたいな面影はない。さっきの言葉はどういう意味だったのだろう、と考えながらぼうっと堀川くんを見ていると、ぱっちりと目が合う。和泉さんとよく似た色の瞳をぐるりと輝かせると、「さ、行きましょう」と和泉さんと私の手を、同時に引いた。



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