『バクゴーなあ、ああ見えて、根はいいやつなんだぜ』

 いつか聞いた切島くんの言葉を、私は今なら肯定できるだろう。
 雨の音が遠くで鳴っている。そして、名前も知らないパーソナリティのトークと、私が中学一年生の頃に流行った曲が、毛布にくるまった私の傍でぬるく流れていた。

「……爆豪くんはこの曲知ってる?」
「サビだけ」
「だよね。すごい流行ったもんね。爆豪くんはどういう曲聴くの?」
「そのへんのバンド」
「爆豪くんが聴きそうなバンドってなんだろう……当ててもいい? 『アヴァンティック』とか? あ、意外と『妖刀五月雨』とか? ……あんまり詳しくないからこれ以上出てこないけど」
「オメーは俺をなんだと思ってやがんだ」
「ハズレかあ」
「一個当たっとるわクソが」

 爆豪くんは、私とは反対側のソファの端っこに胡坐をかいていた。懐中電灯を壁に向け、ちかちかと不規則に付けたり消したりしながら、私の問いに答えてくれる。私の顔は以前として涙で濡れていたが、爆豪くんは気を遣ってか、それとも本当に見苦しいからか、こっちを向くことはなかった。
 彼と世間話をするのは今日がはじめてだ。何度かは自分の悲鳴のせいで爆豪くんの答えを遮ってしまったけれど、予想に反して、一度も咎められたり舌打ちを寄越されていない。

「じゃあ、今度おすすめの曲教えてよ」
「やなこった。めんどくせえ」

 やっと爆豪くんとの会話で笑えるくらいの余裕は出てきたけれど、停電してから一時間がたった今もまだ、相澤先生から復旧の連絡は来ない。

「ていうか、爆豪くんは寒くないの? 私ばっかり毛布使わせてもらってるけど」
「ソコに一緒に入れっつってんのか」
「い、いや! 違うけど……申し訳なくて。生暖かくて嫌かもしれないけど、交代で使おうよ」
「いらねー。お前より五億倍は頑丈にできとんだわ。一緒にすんじゃねー」
「……ありがとう。あんまり話したこともないのに、いろいろ助けてくれて」

 私の言葉に、爆豪くんは返事をしなかった。なんとなく神妙な面持ちでこちらを見たかと思えば、すぐに目を逸らして、白茶けた髪を雑に掻き上げる。

「……こんなことならアイツにも残ってもらえばよかったのに、運のねーヤツだな。それとも強情なだけか?」
「アイツって、もしかして轟くんのこと?」
「他に誰がいんだ。オメーはいっつも、アイツ以外のモンに興味なんざねえ、っつう顔してるクセして」

 気色悪い、と付け足されたことにはさほど傷付かない。

「そんなことないよ。いろんなモノに興味あるよ。もうこの世の全部に興味ある」
「ねーよ。お前はどうだか知らねーけど、少なくともアイツはそうだ」
「轟くんが? ……そんなことないと思うけど」
「その無様なツラ」
「え?」
「ソーユー顔、アイツにも見せたことあんのかよ。何がニガテだ何が怖えって、アイツに言ったことあんのか?」

 彼が一時間ぶりにこっちを向いた。わずかな光源の中でも赤い両目は鋭くぎらついていた。
 舌打ちをされるよりも、女の子に言うべきでない言葉で罵倒されるよりも、その言葉が一番私の胸の痛いところに刺さった。ひゅっと短く息を呑む。
 否が応でも逃がすまいという強い視線が、私を小動物よろしく怯ませ、動けなくする。
 まだ返す言葉を手探りしている最中なのに、計画性もなく「私は」と口を開いたとき、今までで一番強い稲光が二、三度ほど明滅して、爆豪くんの右頬を照らした。
 そのあとに起きたのは、一秒にも満たない出来事だ。
 痛いぐらいに強く手首を引かれたと思えば、全身が熱いものに包まれる。視界は暗く、覚悟したはずの雷鳴は遠くで小さくいななくだけだった。
 その代わりに、規則正しい鼓動が間近で聞こえる。私自身のものか、それとも――。

「爆豪くん……?」

 分厚い腕の中でくぐもった私の声はきっと彼にも届いていると思うけれど、彼が両腕を緩めたのはその数秒後だった。その数秒が、まるで何年もの時間にも感じられた。
 私よりもはるかに高い体温が、全身に名残をとどめたまま離れていく。赤い瞳が軽蔑するように私を見下ろしていた。憎まれているのかと錯覚するほどの苛烈さだった。

「……今の、死んでも謝んねェ」

 爆豪くんは呟くようにそう言って、私の両肩をぽんと突き飛ばすように押した。ばふり、と元いたソファの反対側に倒れ込んだ私は呆然とする。
 さっきの雷鳴はとうに過ぎ去っていた。

「……ありがとう、助けてくれて」

 沈黙のなかで小さくそう告げる。爆豪くんの返事はなかったけれど、テレビの横の白い壁に灯った懐中電灯のオレンジの光が、不規則に点滅した。

「……モールス信号? 何て言ったの?」
「『寝ろ』」
「すごい、爆豪くんってモールス信号もできるんだ」
「はァ? 一学期で習っただろ」
「…………」

 そういえば、と初夏ごろの座学をぼんやり思い出した。たしかに授業では一応触れられた気がするけれど、テストに重点的に出題されたわけではないので、すっかり忘れてしまっていた。いつもクラス上位の成績を取っている爆豪くんのさすがの記憶力を目の当たりにして、これ以上揶揄われないように口を噤む。
 爆豪くんが鼻で笑うのが聞こえた。すこし空気が弛んだことに安心して、私もすこし笑い声を漏らした。

「そういえば、一学期のとき――」

 遮られても問題ない、他愛もない話だった。私が喋るのをやめたのと、爆豪くんがロビーのほうに視線をやったのとは同時だった。
 締め切ったドアを力任せに揺するような音が、雨の音に混じって聞こえてくる。

「……相澤先生?」
「どうだかな」
「怖いこと言わないでよ。こんな時間に先生以外の可能性ないよ」
「俺が見に行く。毛布被って目瞑っとけ」

 爆豪くんは懐中電灯を私のほうに放り投げて、ジャージの上着のジッパーを喉元まで上げた。すたすたと歩いて行ってしまった爆豪くんの背中を、稲光が照らす。さっきよりもかなり遠のいたぶん恐怖は薄いけれど、私は言われたとおりに毛布の中で蹲った。
 爆豪くんが玄関を開けたのか、雨風の音が大きくなる。「やっぱり先生だったんだ」と安心したも束の間、またいななく雷鳴。毛布をかぶったまま二人を待った。
 近付いてくる足音は、ひたひたと湿っていた。

「……なまえ」

 頭上から聞こえるその声にはっとする。相澤先生の声ではない。じゅうぶん聞き慣れた、低くて私にだけ甘やかな声。
 ひとりでに――いや、彼の手で被っていた毛布がはがされて、膝の上に落ちる。白銀の髪を伝って、ぽたりぽたりといくつもの水滴が手のひらに落ちた。
 焦凍くんは、隙なく濡れそぼった自分の髪や全身には気付いていないかのように、私の名前だけを切実なひびきで唱える。

「焦凍くん、一体どうしたの。なんでここに。そんなに濡れて――」
「……やっぱり今日だったんだな」

 まるで譫言のように彼はそう言った。え、と聞き返す私への説明はないようだった。

「一人にさせてごめんな。俺が残ってやるべきだったのに」
「え、ううん……私ならなにも」

 冷えた体が、私を毛布ごと抱いた。雨のにおいがする。いまだ残っていた爆豪くんの高い体温の名残も、急速に掻き消されていく。その冷たさに漠然とした正しさを感じて、どこか安心した。

「あ……悪い。濡れたままなのに触っちまった。真っ暗だけど、シャワーは使えるのか?」
「どうだろう。ガスが無事なら使えるかも」
「やってみるしかねえな。……上鳴がいれば便利だったのに」

 焦凍くんは私から体を離すと、毛布を肩に掛けてくれた。そして「爆豪」と数メートル後ろにいるはずの彼に呼び掛ける。

「爆豪、ありがとな。いろいろみょうじのこと助けてやってくれたんだろ」
「……別に。一人でピーピー鳴いてんの聞いてただけだ」
「そうか」
「イチャつくんなら目障りだから失せろ。気色悪いんだよ」
「ああ。みょうじの部屋に戻って、ついててやるつもりだ。相澤先生ともさっき会ったんだが、雪と雷で配線ごとやられてるらしい。あと三十分以内に業者が到着するから我慢して寝てくれって言ってた」
「……アッソ」

 焦凍くんは「爆豪も風邪引くなよ」と言い残して、私の背中をそっと押した。



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