海鳴りを味方につけて迎えにきてよ

 エンジン音が聞こえたら、すぐにコートとマフラーを引っ掴んで家を出た。マジカルホイールに跨るデュースに、いくつもの言葉がせめぎ合った。結局「久しぶり!」と陳腐でも弾けた声が出てしまう。

「久しぶり、だな! こないだスーパーで会ったけど。あれめちゃくちゃ恥ずかしかったぞ……」
「あはは……あれは最悪だったね」

 二人で白い息をもくもくと吐き出しながら苦笑する。

「一瞬、お前って分からなくてびっくりしたんだ」
「ああ……髪色のせい? 三年間ずっとあれだったもんね」
「そうだな。……でもやっぱり、今のが似合ってるぞ」
「……そうじゃなきゃ困るよ。デュースのせいで戻したんだから」
「そう、なのか」

 自分で言っておいて照れてしまう。後部座席に回り込んで跨ると、デュースの腰を掴む。心なしか前よりもさらに逞しくなった気がする。

「あ、そうだ。お前の分のヘルメットも用意した」
「え? いいの。もしかして魔法で出してくれた?」
「うっ……まだ、召喚魔法じゃない、けど……」
「ありがとう、嬉しい!」

 そういえばあの窯はまだミドルスクールの裏庭にあったりするのだろうか。あれもおかしくて好きだったけれど、手の中のちょっと派手な柄のヘルメットからは確かにデュースの感性が滲み出ていて、たまらなく嬉しかった。

「よっしゃ! 行くぞ!」
「めちゃくちゃ声でかいじゃん、夜だよ」
「そうだった……」

 エンジンが唸る。どこに行くかなんて私もデュースも決めていないけれど、それが目的ではなかった。
 冷たい風が、顔や指を刺すように吹き付ける。たぶん赤くなっているだろう鼻先を、どきどきしながら平らな背中に押し付けた。「大丈夫か?」とデュースの声がするので、こくこくと頷く。
 どこかに着いてからゆっくり話せばいいものを、マジカルホイールのスピードを時々緩めて、デュースはいろんな話をしてくれた。マジカルホイール同好会の設立申請をしたらものの数秒で却下されてしまったこと、ルームメイトの寝相が悪すぎてたまに部屋の隅で寝ていてびっくりすること、同じクラスの「エース」という男の子がマジックが得意だから、自分も人に披露できる特技を習得したいということ。
 どれも取り留めのない話題だったけれど、ひとつひとつ箱に詰めて眺めたいぐらいに楽しかった。
 街の外れの峠を中腹ほどまで上ったところのベンチで、デュースは一旦マジカルホイールを停めた。ヘルメットを外しながら、

「ごめん、僕が話してばっかりだったな」

と頬をかいて苦笑した。
 デュースとしばらく会話をしたが、もうすっかり「僕」が板についていた。柔らかで誠実そうな物言いには不思議と違和感がないし、むしろこれが彼の本来だという感じがした。
 ――それが、少し寂しくもある。

「全然! 名門校の話いろいろ聞けて楽しいよ。楽しくやってるみたいで良かった。あの不良のデュースくんがねえ」
「……カレッジでもたまにいじられるんだ。実践魔法のときとか、つい熱くなっちまって昔の言葉が出ると、すぐ『デュースのワル語録』とか言われる」
「ワル語録……! あはは! エースくんだっけ、おもしろい友達だね」
「ああ。もう一人、魔法の使えない面白いダチもいるぞ」
「えっ、魔法士養成学校なのに?」
「ああ、あいつだけ変なんだ。入学も特例だったし。最初はこいつやっていけるのか、って思ってたけど、話してみると真面目でいいやつだし、なぜか事件に巻き込まれるくせに、なんだかんだ解決もしてみせる」
「そうなんだ。面白い友達ばっかりだね」

 ベンチの隣に腰かけたデュースの声は弾んでいた。まるでお気に入りの漫画を読み返しているような様子に、なぜだか心臓のあたりがずきりと鋭く痛む。なんとなく、彼が遠くへ行ってしまったような気がしたのだ。
 当たり前だけれど、「生まれ変わる」と一世一代の決意をしたデュースには新しい学園生活があって、新しい友達がいて、新しい人生が広がっていて。長い間、切っても切れないような近い距離で過ごしてきたのに、変わろうと決意した彼の近くにはどうしたっていられないということが、とてつもなく悲しいことだと気付いてしまった。

「ナマエはどうだ、カレッジ楽しいか?」

 明朗な声で尋ねられて、無意識に俯き気味になっていた顔をはっと上げる。

「……あ、うん、楽しいよ! 仲良くなった友達にモデルやってる子がいて、メイクとか詳しいからいろいろ教えてもらってやってみたり、してる」
「そうなのか。僕はそういうの詳しくないけど、確かにお前、雰囲気変わったもんな」
「まあね〜。そのおかげか分かんないけど、告白だってされたし」
「告白!? クラスの男子にか!?」
「そうだよ、断ったけど。それに陸上部だって楽しいし、先輩も優しい」
「そうか……」

 少しずつ淀んでいく私の声につられてか、デュースの声も淀んでいってしまった。彼は声色まで表情豊かだ。
 ペースを戻そうと「だからデュースがいなくても寂しくないよ!」って皮肉を言いたかったのに、口を開けばまったく別の言葉がぽろぽろと零れてしまう。拾い上げようにも間に合わない。いじけた子どもみたいに私は、思ったこと全てを言ってしまうのだった。

「……でも、デュースがいないとつまんないよ。寂しいよ。デュースがどっか遠くに行っちゃう感じがして、悲しいんだ。デュースとはずっと『友達』でいたいから」

 ここから見下ろせる、生まれ育った街の息遣い。100万マドルの夜景には程遠いけれど、夜に見るあのコンビナートの無機質な姿が好きだと、昔デュースが言っていたのを思い出す。「動力源なんて魔法でどうにかできるのに、わざわざこの武骨な感じがロマンじゃないか?」と。「分かんない」と適当に返したあの日を、これほど愛おしいと思う日が来るとは思っていなかった。
 デュースが吐いた息が、白い靄になって空中に溶ける。

「……僕は――」

 薄暗闇の中で、わずかに揺れるアイスブルーの瞳が私をまっすぐに捕らえた。
 乾いた唇から続きが紡がれるのと同時に、デュースの羽織っているダウンジャケットの中から軽快なメロディが鳴った。

「わ、悪い! 電話だ!」
「……あ、気にしないで出て」
「ほんとにごめん! ……ああ、もしもしエース。どうしたんだこんな年末に。……え、監督生からか? あいつがヘルプコールをしてくるなんて、ただ事じゃないと思うぞ。カレッジに残ってるのは確かアーシェングロット先輩たちか……またあの人たちの悪巧みに巻き込まれたんじゃないだろうな」

 恐らく、彼が今しがた紹介してくれた友人たちの名前だということと、だんだんと彼の声色が曇っていくのが分かる。彼の大事な友人に何かがあったのだと察するには十分だった。
 デュースが何やら待ち合わせ場所を示し合わせているのが分かる。きっとこの後すぐに、帰ってきたばかりのこの街をまた出てしまうのだろう。
 寂しさと同時に、私のずっと好きな男の子が変わっていないことが嬉しくて、少し笑ってしまった。
 立ち上がってコートのお尻についた砂を払うと、「じゃああとで」と電話を切るデュースと目が合った。

「……悪い。電話かかってきちまって」
「いいよ。それより、行くんでしょ?」
「……ああ。大事なダチが危ない目に遭ってるかもしれないんだ。悪い」

 デュースは少し俯く。デジャブだと思った。ミドルスクールのころのあの夕暮れの日も彼は「悪い」とだけ呟いたけれど、あの時とは決定的に何かが違っていた。私は彼を引き留めようなんて微塵も思ってはいないし、デュースの白い頬にも目元にも傷なんてひとつもない。新しく傷が増えることも、たぶんもうない。彼の凛々しい目元には傷や痣よりも、写真で見せてくれたあのスペードマークが、いっとう似合っていた。

「……謝らないで。寂しいのは本当だけど、嬉しいんだよ。だって私、デュースのそういうまっすぐなところが、ずっと好きだから」

 言ってしまった。でも、愛の告白にはなっていない、はずだ。いつも言葉をそのまま受け止めてくれるデュースのことだから、「照れるぞ」だとかなんとか言いながら流してくれるだろう。
 けれど、脇に停めたマジカルホイールの傍まで行ってヘルメットを締めるあいだも、デュースは一歩たりとも動かないまま、そこに佇立していた。

「……デュース? 行こうよ」
「……え? ああ、行く。行こう」

 はっと見開かれ、落ち着きなく泳ぐ瞳に、にわかに不安になってくる。バレてなんかいない。大丈夫、ずっと友達でいられるはず。
 マジカルホイールに乗ってしまえば、デュースの背中しか見えなくなる。デュースからも私の顔なんて見えない。それをいいことに感情の紐を緩めると、少しだけ涙が滲んだ。冷たい風が、滲んだそばから涙を乾かしてくれる。
 きっと泣きたいのは寂しいからで、でも悲しくはないのは自分の好きな人が変わらずにいてくれたからだ。本当は「大好きだ」と伝えてしまいたかったけれど、今まで積み上げてきたものを粉々に壊してしまう気がして、怖かった。いっそのこと、このままずっと「友達」でいられたら、いつかこの初恋も時間とともに綺麗な思い出になってくれるだろう。
 そうしたら、二十年後くらいの同窓会で「実はデュースが好きだった」って言ってみるぐらいでいい、そのぐらいでいい。
 デュースはここに来るときとは違って、何も話してはくれなかった。ただエンジンの音と、風が耳を掠めていくびゅうびゅうという音だけ。
 黙ったまま峠をくだっている最中、ふわりとスピードが落ちたかと思うと、やっと彼の声がする。

「……掴んでるとこ、なんで、今日は肩なんだ?」
「え?」
「行きは、腰だっただろ。……昔も」
「そうだったっけ」
「頼むから、腰にしてくれ。……変な意味じゃないぞ! 肩だと安定感がなくて危ない!」
「……あ、そっか。わかった」

 きゅうと腰を掴む。それが「抱き締める」という行為に限りなく似ているから、思わず感情が溢れそうになってしまう気がして、実はちょっと躊躇していたのだ。
 しばらくマジカルホイールを走らせると、見慣れた店や街並みが見えた。もう少ししたら見えてくる私の家の前で私を下ろすと、彼は行ってしまうのだろう。短いけれど、夢のような時間だった。
 風に揺れる二人分の髪は、もうミルクティー色ではなく、暗闇に溶けるように混じっていた。

「……着いたぞ。寒いのに連れ出して悪かったな」

 弛んでいくようなエンジンの音とともに、マジカルホイールは停止してしまう。
 私が降りると、デュースも一旦ヘルメットを外して降りてくれる。こういうところ、律儀な人だと思う。向かい合って立つ私とデュースの影が、いつかみたいにアスファルトにひょろりと伸びていた。

「それ、お前が持っててくれ」
「ヘルメット?」
「ああ。お前以外使わないしな」
「……わかった。ありがとう」

 冷たい風を浴びて赤くなった鼻先。きっと私もお揃いなのだろうと思う。デュースはすん、と鼻を鳴らしてから、「ああ」だとか「うう」だとか言葉にならない母音を口籠る。

「……なに。さっき言った寂しいってやつ、気にしてるの?」
「そこもそうだけど、そこじゃない……」
「……指示語の使い方へたすぎでしょ。ミドルスクールで習わなかった?」
「……っおい! 茶化すな!」
「茶化してないよ。でもごめん、真面目な話だったんだ」
「僕は真面目なつもりだ。さっきもそうだったけど」

 そう言えば電話がかかってくる前に、デュースは何かを言い掛けていた。
 ヘルメットを抱えたまま、続きの文字を待つ。やがて彼の薄い唇から、白い靄とともに凛とした声が紡がれる。

「……僕は、新しいダチがたくさんできても、この街や母さんや、今までのダチのことは絶対に忘れない。約束する」
「……うん」
「今までだって忘れた日なんてない。もちろんナマエのことも含めて」
「あはは、ほんとかなあ?」
「本当だ! ……というか、お前のことは毎日考えてる。もっと話したいこととか聞きたいことがあるから、そのたびにメッセージ送りたいと思ってるぐらいだ。でも、うざったいと思われるかもしれないし、もし今度会えたときに話すネタがなくなっちまうかもしれないから、月イチにしてる! ダイヤモ……寮の先輩も、それぐらいのペースなら大丈夫だろうって言ってたからな!」
「……あ、そう、なんだ……?」

 「もっと話したいけどメッセージを抑えている」なんて、まるで自分の口から出た話かと思った。デュースも同じように思ってくれているのなら、いつでも連絡してくれて構わないのに。
 そう答えようとしたけれど、デュースの力説は止まらない。

「それに、僕だってお前のこと、いつも心配してるんだぞ。お前に変なやつが寄ってこないか気が気じゃない。さっきクラスの男子に告白もされたって言ってたし……」
「……や、別にその人、変な人とか不良じゃないから……」
「だったらなおさらだ!」
「なんで! まともな人なら良くない!?」
「良くないだろ! ……え、いや、悪くもない、か……?」
「な、なんで良くないの……?」
「当たり前だろ、お前は大事なダチだから……だ。さっきからこんなに説明してるだろ」

 ――ああ、ダチ。やっぱりそうだよね。
 私はデュースに何を期待したんだろう。今更それ以上の関係になろうだなんて彼が思ってくれるはずないのに。分かってはいたけど、急に憎らしい言葉に思えてきた。「ダチ」という二文字。これがなければ離れなくて済むのに、近付けもしないとは。

「だから、さっきお前が……僕のこういうどうしようもない一直線なところも、す、す、『好きだ』って言ってくれたの、めちゃくちゃ照れたけど、嬉しかったぞ!」
「……そ、そっかぁ……」
「ああ。僕も、ナマエのこと……す、す……ああ、駄目だ! どうしても言えない!」

 ヘルメットを小脇に抱えたまま真っ赤な顔を覆うデュースに、もはや戦意喪失していた。さっき「ダチ」という単語を聞いていなければ、勘違いしてしまっていたかもしれない。どこまで純粋な男なんだと半分呆れてしまっていた。

「……友達としての『好き』なんだから、それぐらいスッと言ってよ」

 ちょっと冷たい言い方になってしまった。デュースはゆっくりと手のひらを顔から放すと、何やら深刻そうに眉間に皺を寄せていた。

「……え? なに?」
「……え? ダチとしての『好き』、だよな。僕が言おうとしてる『好き』って」
「えっ……? し、知らないよ! 私に聞かないで!」
「……どうしよう。もしかしたら、違うかもしれない……」

 情けない声でそう言って、デュースは俯いてしまう。違うとしたら、どういう「好き」なのか。私に思い付くのはひとつしかない。私の「好き」と一緒の「好き」だ。

「……か、考えといてくれ!」
「えっ、ちょっと、なにを!」

 どたばたとぎこちない動作でマジカルホイールにデュースは跨って、一層鈍い音でエンジンを唸らせてしまう。海のように青いライトがぼんやりと辺りを照らした。
 答えも言わないままデュースはとうとうマジカルホイールを走らせた、かと思えば、十メートルほど先で急停止する。ぐるりとこちらを振り返った彼が、夜だと言うのによく通る大声で言った。

「春休み、また迎えに来る。それまでに僕のこと、考えておいてくれ! ……あ、でもメッセージはしてもいいか!? 週に二回ぐらい!」

 思わずぶっと吹き出してしまった。「いいよ!」と叫び返すと、満足気に頷くシルエットが見える。「じゃあな!」と高らかに振り上げられた片手と、遠くなっていく青。海鳴りのようなその音が聞こえなくなるころも、私の鼓動はおさまらないでいた。
 ――頼まれなくても、毎日デュースのことを考えていたと言ったら、どんな顔をするだろうか。



 次の日から、予告通り週に二回のメッセージをくれるようになったデュースだったけれど、それに比例して「ダイヤモンド先輩」や「エースくん」のいたずら頻度も増した。
 あと少しで春の夜。またあの海鳴りが聞こえたときのために、いつでもコートを着込めるように準備しておくから。
 だから、早く、迎えにきてよ。




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