夜の真ん中で砕けた

 それから卒業までの数か月、デュースとはひとつも言葉を交わさなかった。
 相変わらず教室にはほとんど姿を見せないデュースだったけれど、家にいれば時々外でマジカルホイールの唸るようなエンジン音が聞こえることがあった。そのたびに私は窓の外を覗いた。青いライトが朧に家々を照らしてゆくさまを見て、どうかあの白い頬に傷が増えませんように、と祈るばかりだった。
 そして、ついにその祈りが届いたのは、ミドルスクールを卒業してすぐの夜だった。
 いつものように聞こえたエンジン音。見えない彼の姿を確かめるように窓の外を開ければ、青いライトが家の前で停止する。ちかちかと何かの合図をするように点滅するそれをしばらくぼんやりと見つめていたけれど、その後ろ、暗闇の中の人影が私に手を振っているのが見えて、私は慌てて家を出た。

「デュー、ス?」
「……ああナマエ、悪い。夜遅くに」
「ううん! どうしたの!」
「どうしてもお前と話したかったんだ」

 どことなく急いたようなその声と言葉を交わすのは数か月ぶりで、思わず声が上ずった。適当に履いてきたスニーカー。会えると分かっていたら、もっと可愛い恰好をしてきたのに。
 恐る恐る歩み寄ると、マジカルホイールのライトに照らされたデュースの姿が見える。暗闇に慣れてきた私の目は、確かに彼の姿を捕らえた。

「えっ……どうしたのデュース、その髪!」
「びっくり……するよな、そうだよな」

 もはやトレードマークになりつつあった金髪は、本来の濃紺に戻っていた。目元にも口元にもかすかに痣の痕はあるけれど、今までに見たどの日よりも存在感を失くしていた。

「――俺、明日からナイトレイブンカレッジに通うんだ」

 ふと紡がれたその声にはすっと芯が通っていて、今までの彼とは何かが違うのだと、すぐに気が付いてしまう。

「……ナイトレイブンカレッジって、あの名門校の? デュースに迎えが来たの?」
「ああ。俺なんかにも可能性を感じて、来てくれたみたいだ。
 ……俺、こないだ卒業して、母さんともいろいろあって、ちゃんと考え直したんだ。俺がこの三年間、先輩たちに流されるままにやってたことって、無意味で、どうしようもないって気付いた。……というか、ほんとは薄々気付いてた。母さんや先生たちや……唯一、ずっと縁を切らないでいてくれたお前の言葉を聞けなかったこと、今になって後悔してる。
 だから、もしかしたらもう遅いかもしれないが……この馬車の迎えをきっかけに、俺は立派な魔法士になる、母さんやお前を悲しませないって決めたんだ」

 どこか泣きそうにも見える自嘲気味の笑顔でデュースは言った。

「デュース……」
「本当に悪かった。迷惑もかけた。お前は俺のことずっと大事に思ってくれてたのに、気付けなかった。もし、もしお前が許してくれるなら……またダチに戻りたいんだ」

 私の好きな、いっとうまっすぐな彼だった。
 友達。私はそれ以上になりたいっておこがましい気持ちを捨てきれてはいないけれど、それは仕舞っておくことにした。彼にはこれから、たくさんやらなければならないことがあるのだと思うから。

「……ダチかあ」
「ダメか……?」
「ダメ、じゃないに決まってる。それに私、デュースと友達やめたつもりなんてなかったよ」
「本当か!? 実は……俺もそうだったらどんなにいいかって思ってた。この髪も、お前に一番に見せたかったんだ。だから、散髪屋からマジホイ走らせて来た!」
「ぶっ、それだけで!? だから前髪ぐちゃぐちゃなんだ?」
「ぐちゃぐちゃか!?」

 あたふたするデュースの前髪をさっと手で直してあげる。大人しく頭を預けてくれるデュースのことが可愛くて仕方なかった。元通りになったよ、というとデュースが顔を上げて、「サンキュー」と微笑む。

「行く前に、お前と話せてよかった」
「……私も」
「……ああ、元気でな」

 マジカルホイールに跨るデュースのことが、これ以上なく名残惜しい。
 会えないのは半年か、一年か、二年か。名門だし、全寮制なのだから相当に忙しいに決まっている。正直なところ今すぐ「もう少し話したい」と引き留めたいのだけれど、私とデュースは「ダチ」だから、これが自然な別れ方なのだ。手を繋ぐのも、抱き締め合うのも、ましてやキスなんて不釣り合いな関係だ。
 と思っていれば、エンジン音とともに、デュースの手のひらが、俯いた私の頭にぽん、と置かれる。

「……こんなこと言うと怒るかもしれないが、俺は……俺は、前の髪色のほうが好きだ。だって、お前に似合ってた! 今度会うときには、もう一度昔のお前が見たい! じゃあな!」

 え、と聞き返す前に手のひらは逃げて、そのままマジカルホイールの音は遠くなって行ってしまう。あまりに珍妙な別れの台詞に呆気に取られたまま、私はしばらく玄関の前に立ち尽くしていた。
 ――完全に置いてきぼりだ。髪色も、気持ちも。
 デュースと一緒にいたくて自分を変えていたのに、そんなこと必要なかったらしい。無理しているのが伝わっていたのか、もしくは本当にずっと「似合ってない」と思われていたのか。どちらにしてもちょっと癪だ。
 でも、そんなところがデュースらしいとも思った。



 慣れないカレッジでの生活に、目まぐるしく季節が移り替わって、あっという間に冬になった。
 なんだかんだ言いながらもデュースのご希望通りに元々の髪色に戻してから入学すると、ミドルスクールにいたころよりも男女ともに声を掛けてくれることが多くなった。
 それに、初めて男の子かられっきとした告白を受けたりなんかもした。「ごめん、好きな人いるんだ」と反射的に答えてしまった自分の諦めの悪さに呆れながらも、一か月に一度ほどのペースで何度かやり取りするデュースとのメッセージを一番の楽しみにしていた。
 ホリデーがすぐそこに迫ったころ、スマホが震えた。食堂でランチを終えて友達と駄弁っていた私は「デュース・スペード」という文字列を見て慌てて画面を開く。

 ―久しぶり。そっちもテスト期間か? 僕のほうは魔法史のテスト前特別授業があるんだが、先生の喋り方も相まって、メチャクチャ眠い!

 うつらうつらと船を漕ぐデュースの姿を想像して、くすりと笑ってしまった。姿勢を正して授業を受けるデュースが想像できない、と最初の頃に返事をしたことがある。デュースからは「勉強も分かってくるとちょっとだけ楽しいな」と照れ臭そうな答えが来たっけ。
 言いたいことや聞いてほしいことはたくさんある。今日はどの言葉を選び取ろうか、と考えていると、ポコンという通知音とともに画像が送られてきた。
 こなれたウインクをするダイヤモンドのフェイスペイントをした男の人の後ろに、ハートのフェイスペイントをした男の子がいたずらっぽく笑っている。デュースはというと、その隣で決まりきっていない間抜けな表情をしていた。静止画ではあったけれど、デュースの戸惑いが伝わってくる。

 ―ごめん! 先輩が勝手に僕の携帯で自撮りして送っちまった! 気にしないでくれ!

と、すぐさま慌てたような文面が送られてくる。
 デュースは焦っているようだけれど、少なくともこの先輩にはすごく可愛がられているということは見て取れた。

 ―楽しそうだね!
 ―ナマエも写真送ってくれ☆
 ―え、私の? ていうかテンションどうしたの?
 ―ごめん! 今のもクラスメイトのいたずらだ! 気にしないでくれ!
 ―びっくりしたけど、仲良くてやっぱり楽しそうだね!
 ―騒がしいけどな……。今度いろいろ話す。お前の話も聞かせてくれ。

 その一言が嬉しくて、勝手に頬がニンマリと盛り上がってしまう。友達に「なになに?」「彼氏?」と聞かれるのを「……好きな人」と迂闊に否定してしまえば、そこからは尋問になってしまった。
 明日からうちのカレッジはホリデーだ。デュースは「今度いろいろ話す」と言ったけれど、このホリデーには帰ってこれるのだろうか。「ホリデーは帰ってくるの?」という質問は、「会いたい」って言っているのと同義になってしまう気がして、聞けずにいた。
 何度も言うけれど、聞きたいことや話したいことが山ほどある。
 本当に眠らないで全部の授業を受けているのか問い詰めて困らせてみたいし、あのフェイスペイントは毎朝描いているものなのか聞いてみたいし、「僕」を「俺」と言い間違えることはもうないのか、クラスメイトはどんな子なのか、寮はどんなところか、なんてことも聞きたい。
 これじゃあ私がデュースのお母さんみたいだと苦笑する。現実はただの「ダチ」の一人に過ぎないのに。切なさに胸をちくりと刺されながらも、デュースのメッセージを読み返してから眠りに就いた。



 ホリデーに入ると、年末年始に向けてタイムセールに挑むから付いて来て、と母に言われて、しぶしぶ重い腰を上げた16時頃。デュースからは何のメッセージもないけれど、もし帰ってきているなら庭のマジカルホイールを黙らせちゃいないはずだ。
 白い息を吐き出しながらきょろきょろと当たりを見回しながら歩いている私を、母は不振そうに見ていた。

「ナマエあんた、なんか挙動不審じゃない? 何か探してるの?」
「別に〜……」
「あ、そう。それにしても年末だから、どこも人が多いわね……あら? あれデュースくんところじゃない?」
「えっ、デュースんちのお母さん? どこ?」
「ほらあそこ。……隣にいらっしゃる男の子、デュースくんじゃない?」
「えっ!?」

 母の手の先、スーパーの店頭に並ぶ野菜売り場に、確かにデュースとデュースのお母さんがいた。買い物かごを持たされた私服姿のデュースがげんなりした表情で、次々とかごに入れられていくカボチャやニンジンたちを見つめている。笑ってしまうような庶民的な姿だけれど、ずっと会いたかった人がそこにいた。どきどきと高鳴る心臓を鎮めているうちに、母は呑気にもそちらへ歩み寄っていった。

「ちょっと、お母さん!」

 母は「お久ぶりです〜、そちらも年末に向けてお買い物ですか?」なんて二人の背中に声をかけてしまう。デュースのお母さんもこちらを振り向くと、「あらあらあら! お久しぶりですね! ナマエちゃんも!」と会話を始めてしまったので、思わず頭を抱えた。
 デュースが私と私の母を見て、はっと目を見開く。
 こんな再会の仕方は望んでいなかったのだけれど、会えないより何倍も幸せだ。「久しぶり」と口元の動きだけでデュースに合図をすると、彼も「久しぶりだな」と苦笑で応えてくれた。
 母はデュースを見ると、ばつが悪そうに口を開く。

「……デュースくん、すごく立派になられたわね。ミドルスクールのころ、私あなたにひどいことを言ってしまったわ。本当に……ごめんなさいね」

 デュースが短く息を呑むのがわかった。

「……いえ、おばさん。あのときの僕はどうしようもないガキで……幼馴染だからって娘さんの優しさにも甘えてしまって、大事な娘さんのこと、もしかしたら危ないことに巻き込んでしまうかもしれなかったのに……僕のほうこそ、本当にすみませんでした!」

 体を折ってデュースが謝る。必死にそれを制すると、ぎょっとするような言葉が母から飛び出した。

「いやだわデュースくん、やめてちょうだい。それに『娘さん』だなんて。前みたいに名前で呼んであげてちょうだいよ。『娘さんをください』っていう結婚の挨拶みたいだったじゃないの、ねえ」
「ふふ、さっき私も思いました。でももしそうだとしたらうちは大歓迎ですよ。幼馴染同士なんて素敵じゃありませんか。うちのデュースなんかにはもったいないお嬢さんですけど」

 そう言って私の母とデュースのお母さんは笑い声でハーモニーを作り上げた。主婦二人のあまりの盛り上がりに周囲の視線が集中する。ここが地獄かと疑いたくなるようないくつもの羞恥に耐えかねて思わずデュースを見ると、同じように顔を赤くしたデュースも「母さん!」と眉間に皺を寄せていた。

「……ええ、でも本当に立派になられたわね、デュースくん」

 母のその言葉と、母の過去の言葉が重なり合うと、私はにわかに苛立ってしまった。

「……お母さん、デュースは前から立派だったよ。もっと立派になっただけ」
「そうね、あんたは知ってたみたいね。……デュースくん、本当にごめんなさいね。許してくれるのなら、これからも娘と仲良くしてやって」
「は……はい! こちらこそお願いします!」
「ふふ、ありがとね」

 やっと終わった地獄のような会話に息を吐いていると、去り際にデュースに「ナマエ」とさりげなく呼び止められる。

「……あ……明後日の夜、お前んち迎えに行ってもいいか?」

 嬉しさが泡のようにふつふつと湧き上がってくる。「うん」とめいっぱいに頷く顔に出てしまっていたかもしれない。

「じゃあ、部屋で待っててくれ。寒いからあったかくしてこいよ」

 どこかデュースの声色が得意気だということは、久しぶりに相棒に乗せてくれるということだろう。買い物カゴに大量の野菜を入れた格好つかないデュースの背中が、私には恐ろしく格好よく見える。




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