※雄英白書6巻ネタを含みます

 全速力で来た道を戻りながら、どうして自分がこんなに必死に走っているのか考えていた。

「爆豪くんが告白されるかも……!」

 それが引き金だったみたいに、お茶子ちゃんのせりふを聞いた瞬間、私は思わずコンクリートを蹴って走り出していた。ほとんど本能的な行動だった。奥ゆかしいようすで小さな紙袋を持った他の科の生徒らしき女の子と、その前に立つ爆豪の姿はただならぬ空気に包まれていて、これ以上見てはいけないような気がしたのだ。
 数十分ぶりに戻ってきた寮には、砂藤しか残っていなかった。キッチンスペースはみんなでさんざん刻んだりかき混ぜたりしていじめ抜いたチョコレートの甘いにおいでまだ満たされていて、走ったあとの急いた呼吸のままここに来たことを後悔する。

「あれ、戻って来たのみょうじだけかよ。しかもなんか息切れてね?」
「あっうん……ちょっといろいろあってさ」

 気を紛らわせるために冷蔵庫を開けて、冷たい冷気を顔に浴びる。「ちゃんと冷えねえだろ!」と砂藤に怒られてしぶしぶやめると、砂藤はおもむろにキッチンの台のうえの手つかずのクーベルチュールチョコレートの袋を指さした。

「そうだ、これ入れたのおまえか?」

「えっ、なんで?」すこし声が裏返る。
「ハイカカオのチョコなんか買った覚えないな、って考えてたんだよな。今回作ったケーキ類には使わねえし、誰かが余分に用意したんだろうと思って。そういえば、おまえが途中なんかガサガサしてたなって」

 これだけいろんな材料が入り乱れていればバレないと思っていたのに、さすがと言うべきか、きっちりと材料を把握している砂糖の目は誤魔化せなったらしい。

「……私が入れた。時間あったら甘さ控えめのも作りたいなと思ってたんだ。砂藤、なんかいい案ない?」
「無茶ぶりだな。無理して品数増やさなくたってこんだけいろんなもの用意しとけばみんな満足するんじゃねえの?」
「そういうんじゃなくてさ……ほら……甘いの好きそうじゃない人もいるじゃん」

 歯切れ悪く何かを訴えようとする私を見て、砂藤は片眉を上げて「もしかして」とひそめた声で言う。

「……常闇とかか?」
「ううん」
「爆ご――いやでもあいつ、俺の作ったシフォンケーキくらいなら普通に食ってたしな」
「えっ、そうなの? なんだ、そうなんだ……」

 それがほとんど肯定であることに気付いたのは、砂藤が神妙な声で「マジかよおまえ、猛者だな」と言ったあとだった。さっき爆豪にチョコレートを渡そうとしていたらしい女の子に誰かが言っていたのと同じせりふだったので、思わず心臓がぎゅっとなる。

「でも私のは本命とかじゃないし」

 そのあとにもさんざん言い訳のせりふを付け足すのを、砂藤は「おーおー」と半笑いで聞いていた。けれど、「選択肢は多いに越したことはないしな」と言って、結局追加のもう一品を作るのを手伝ってくれた。
 ――あのあとあの子は、どうなったんだろう。
 ボウルの中で徐々にかたちを失っていくチョコレートを弄びながら、ぼんやりと考えていた。もしかしたら今頃、爆豪は本当にあの子に告白されて、「うん」と返事をして、陰から見ていたみんなに持て囃されて怒ったりしているのだろうか。そんなのいくらなんでも無理すぎる。自分の想像力が豊かなせいで、じんわりと喉元が熱くなってくる。
 ふうん、私って爆豪のこと好きなんだ。今更すぎる自覚が、棚から荷物を下ろすみたいにすとんと下りてきた。
 やがてわらわらとみんなが戻ってきたのは、ちょうど仕上げの作業が終わるころだった。にぎやかに揺れる頭の中に爆豪の淡い色の髪も見えて、心臓がまた痛みをともなって跳ねる。
 三奈ちゃんが私を見て「あ!」と声を上げたかと思えば爆豪の背中をどんと押す。よろけた爆豪と視線が絡んで、思わずトッピングを摘んでいた手を止めた。

「ッにすんだクソが! つーかなんでこんなことわざわざ自己申告しなきゃなんねーんだよ」
「だって本人から言われないと信憑性に欠けるじゃん。それか緑谷から言ってもらう?」
「ざけんな死んだほうがマシだっつの」
「じゃあ自分で言っときん」

 爆豪の背後から顔を出したお茶子ちゃんが私を見てにっこりと頬を緩めるので、はっとする。
 思えば、とっさにあの場から逃げ出したことが他のみんなの目にどんなふうに映っていたかをまったく考えていなかった。きっと、他の女の子に言い寄られる爆豪を見ていられずに逃げ出した、嫉妬に溺れた女だと思われているに違いない。ぞわぞわと全身を寒気が駆け巡る。また逃げ出したくなるのに、両足は固まったままだ。
 そうこう考えているうちにポケットに手を突っ込んだままの爆豪だけがこちらへそろそろと近付いてくる。目に見えない立ち入り禁止テープでもあるかのように、他のみんなは一歩も前に進まない。いつのまにか、背後にいた砂藤の気配すら消えていた。
 目だけを泳がせる私の前に、爆豪は立ちはだかった。何を言われるのか気が気じゃない。「彼女できた」なんていう心底いらない報告だったらどうしよう。いやな想像が膨らんで、とうとう爆豪が唇を開いた瞬間に体が強張った。

「誰からも貰ってねェ」
「…………あ、そ、そうなんだ」
「さっきの女も関係ねェ」
「……あ、うん」

 予想外の言葉に冷静に返事をしながら、「こんなみじめなことってある?」と自問自答する。さっき私が逃げ出したせいで爆豪本人にまでフォローに回らせてしまうとは。目を覆いたくなるような現実だ。

「つーかさぁ、ちゃんと『生まれてこのかた誰からももらったことないです』って言えよな。なに逃げ道ある言い方しちゃってカッコつけてんだよまったく」
「聞こえてんだよカス!」

 ひそめたつもりの上鳴の声は一字一句逃さずこちらに届いていて、爆豪の眉間をぴくりと引き攣らせた。
 私の意識は、低く唸るような爆豪の声よりも、上鳴の言葉のほうに奪われていた。爆豪にも等しく訪れた今までの二月十四日に、一度も贈り物をもらったことがないというのは本当だろうか。だとしたら、今私がやっていることも無駄になるのだろうか。動揺で手の中のアーモンドを握り潰しそうになりながら、おそるおそる訊ねる。

「……それさ、もらわなかったの、もらえなかったの、どっち?」
「ア? 喧嘩売っとんかテメー」

 首を横に振って必死に否定すると、爆豪は押し黙ったまま舌打ちをする。沈黙のあいだを彼の鋭い視線がすり抜けて、私の手元にあるつややかなチョコレートのうえで停止した。

「……ソレがもらえんなら何でもいーわ」

 せっかく固まったそれを溶かしてしまいそうなぐらいに、にわかに熱が集まってくる。「俺んだろ」ととどめを刺すように言われてしまえば、歯を食いしばって俯くように頷くしかなかった。はっと息を漏らしながら、爆豪がすこし口角を上げるのが見えた。

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