「じゃ、オレこれで上がりだけど、あとチェック残ってるのここの棚だけだから」
「わかった、あとは任せて! ニーナ、お疲れ様」
「あー、うん。お疲れ〜……」

 なまえちゃんにチェックリストを渡す。何か一言、二言でも話そうと言葉を巡らせているうちに、入店チャイムが鳴る。なまえちゃんは「じゃ」とひらりと華麗に手を振って、すぐに店頭に戻っていってしまった。
 あーあ、なんかさ、もうちょっと名残り惜しんでくれてもよくない? 「え〜もう帰っちゃうの」とか「わたしも一緒に上がりたい〜」とか、冗談でも言ってくれるだけでオレがどんだけ舞い上がれるか知ってんのかな。
 なまえちゃんが大学に入ってからもハロゲンのバイトを続けてくれているのは、もちろんありがたい。通える範囲に大学を建ててくれた一流の創設者にはもー拍手喝采ってカンジ。けど、深夜帯にも入れるようになったなまえちゃんのシフトと、いまだ二十二時までのシフト制限のあるオレのシフトが被りづらくなったのは、由々しき問題だった。
 「帰りとか危ねーじゃん」「酔っ払いとか来ちゃうかもよ」と、もっともらしい理由をもって説得したこともあるけれど、

「だって時給上がるし」

とケロリとした顔で言われてしまっては、何も答えられなかった。

「はーあ……いや、ため息吐くのやめよ」

 更衣室にとぼとぼと入り、ロッカーの前で制服を脱ぎ捨てたところで、「お疲れっス〜」と間延びした声が飛び込んでくる。気だるげな足取りで入ってきたのは、四か月ほど前に入ってきた一流大学の男。
 「年上だけどバイトでは後輩」っていう構図にはなまえちゃんで慣れていたものの、なんとなくこの人とはやりづらかった。

「あ、ども。これから夜勤っスか?」
「そーそー。新名クンは今上がり?」
「ハイ」
「お疲れ〜。えーと、今日の夜シフト誰だっけ……あ、なまえちゃんか。ラッキー」

 それを聞いて、思わず帰り支度をしていた手を止めてしまう。
 ――コーレーだよ、コレ! にんまりと緩んだ口角に気付いてしまう。あーヤダヤダ。なまえちゃんとこの人がシフト被り多くなったころからなーんかヤな感じはしてた。
 見る限りけっこーガチっぽいし、なまじオシャレで男前なのがさらにヤダ。いや、遊びで近付かれるのはもっとイヤだし、たとえ男前じゃなかったからってイヤはイヤなんだけどさ。……てか、何様なんだよ、オレ。
 ロッカーの扉を閉める力が、心なしか強くなってしまう。お疲れっした、となるべく平静を装って更衣室を出るけれど、胸のざわめきは収まらない。
 おまけに帰り際、カウンターの中であの人となまえちゃんが、思ったよりも親しげに肩を並べているのを見てしまった。

「オハヨ〜。なまえちゃん、今日もよろしくね〜」
「今日夜勤なんですね。よろしくお願いします」
「そー。今日オレ朝まででなまえちゃんのこと送ってけないから心配だわ〜」
「大丈夫ですよ、家近いですし」

 ちょっと待って、と誰に向かっての制止かもわからないまま心の中で叫ぶ。
 オレがいない日、あいつに送ってもらってるカンジ? あいつ、もうそこまで追い付いてきてるカンジ?
 なまえちゃんとの関係には二年のアドバンテージがある分、オレに分があると高を括っていたせいで、倍の焦燥感に飲み込まれる。

「どーしよ、オレ、もしアンタのこと取られたら……」

 夜風に頬を吹かれたって、燻る気持ちは鎮まらなかった。





「あれ、ニーナ、どうしたの!?」

 目を丸くしたなまえちゃんが、二時間も早く上がったはずのオレを見て、駆け寄ってくる。背中を預けていた壁からゆらりと離れてなまえちゃんの前に立つと、手をずいっと差し出した。

「……送ってく。アンタの家まで」
「送ってく、って……ニーナ、二十二時で上がりだったでしょ。もしかして、このために待っててくれたの?」

 否定しても信じてもらえないけど、肯定するのは恥ずかしい。どうせバレバレなんだから許してよ。
 ん、と差し出した手だけをもう一度主張すると、なまえちゃんは戸惑いつつもオレの手のひらに、自分のそれを預けてくれた。ぎゅっと握った手に、全身の温度が集まってくるような感覚。汗が滲まないように祈りながら、なまえちゃんの手を引いた。

「……ニーナ、どうしたの急に」
「どーしたのったって、オレいっつもアンタのこと心配してっから、それで」
「夜遅いからってこと? それなら人通りもあるし、大丈夫だよ」
「それもそうだけど、それだけじゃなくってさ……」

 情けなく視線をひょろりと下げると、代わりになまえちゃんがオレを見上げるのがわかる。
 アンタの視線には弱いから、できればそっちは向きたくない。丸い瞳に吸い込まれそうになって、余計に言葉を紡げなくなるのは分かり切ってる。

「どうしたの、ニーナ?」

 罪のない、何も知らない無垢な声に、頭を掻きむしりそうになる。たった一年の年の差だけで、こんなに心を乱されるなんて不本意だ。

「……大人になりてーの、オレ。早く」

 それだけ呟くように言うけれど、頬に刺さるなまえちゃんの視線はオレから離れてくれない。
「……大人? 大人になったとして、それからどうするの。ニーナは何がしたいの?」

 アンタときたら、どこまでも馬鹿正直だ。わからないことは尋ねればいいと思ってるんだから。アンタが今更、行間に隠されたオレの真意を読む、なんてことしてくれるとは思ってなかったけど。
 ――そうだよな、アンタなんて特に、言わなきゃわかんないんだもんな。

「……ニーナ?」

 黙っているオレの顔を覗き込んできたせいで、逃げ場がないほどまっすぐに、視線が絡み合う。
 ――アンタが悪い。……ウソ、アンタ「も」悪い。
 繋いだ手をぐっと引き寄せると、小さい悲鳴とともになまえちゃんがよろけて、そんで狙い通りに、オレのほうへ倒れ込んでくる。
 オレはすかさずそれを抱き留めて、両腕でぎゅっと抱き締めた。いくらか背の低いアンタの頭は首の下にすっぽりと収まって、思わず自分の熱い顔を、その髪の中に埋めたくなって。

「……こーゆーコト。早くオレも大人になって、こーゆーコトしたい、アンタと。これでもまだ、したいこと全部は言ってねーけど」
「……ニーナ」
「だからさ、先に行かないで、オレのこと待っててくんね?」

 そのセリフこそが限りなく子どもの駄々みたいだってことは、オレが一番よく分かってる。それでも、今はアンタのことを、なにがなんでもここから逃がしたくない。

お題った―「大人になって、それからどうするの」でSS
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