「エースって、モテるんだ」
「ハァ? いきなりなに」

 監督生の視線は、去って行く誰かの背中に、まだ引っ付いたまま。柔らかそうな唇からレモネードのストローをゆっくりと離し、呆然として呟いた。
 ついさっきの話。瑞々しい果物をぎゅっと押し潰したような声で「ナイトレイブンカレッジの制服ですよね」と声をかけられて振り向けば、名前も知らない女の子が二人立っていた。それがいわゆる逆ナンだと気付くのに時間はかからなかった。自分がしっかり男に見えていることが嬉しかったのか、バカでどうしようもない監督生は「そうなんです」と陽気に口元を緩めるものだから、とっさにその手首を掴んで、

「ごめん、オレら急いでんだよね! こう見えても課外授業中でさ〜、あーホント残念」

と適当な理由をつけて、その場を去った。じゃないと、せっかく二人で遊びに行こうって言って取ったせっかくの外出許可が、パーになるっつうの。
 そして今に戻る。
 呆れて後ろ髪を掻いていると、監督生はレモネードの残りのすこしを、ずずと吸った。

「で、監督生、さっきどこ行きたいって話してたっけ」
「……確かになあ」
「え?」
「確かにエースって、顔もかっこいいし明るいし、愛想もよければ運動もできるし、なんていうか全体的にスマートだもんなあ」
「……なに。まーだそのハナシしてたのお前?」

 普段、意地が悪いだの、自己中だの、都合いいだの、そんな言葉ばっかりオレに浴びせてるくせに。急にそんな褒め言葉を並べられると、なんていうか、変なカンジがする。そう、たぶん、耳に息をフッてかけられるような。
 極めつけに、監督生はやおら立ち止まると、オレの視界にひょっこりと顔を覗かせる。何も考えてない小動物みたいに瞬きをしては、オレの前髪のあたりだとか目の中を、まじまじと見つめた。
 人の目を見て話すのなんて呼吸をするようにできるけど、あまりにも監督生の視線に躊躇がなさすぎて、思わず顎を上げてその視線から逃れようとしてしまう。

「…………ちょっとさあ、マジでなに」
「いや、私エースの顔ちゃんと見たことなかったのかなって思って」
「は? こんな毎日顔合わせててよく言うよね〜」
「だって、ずっとあの学園にいるし、学園では男の子として過ごしてるし、あんまり考えたことなかった。……普通考えないよね、いっつも一緒にいるエースのことが今更、かっこいいとか、モテるとか」

 監督生は、眉間に皺を寄せてそう言う。まるで難しい問題を解いているみたいだ。

「……そんなに難しーの? オレを男として見るの」
「男……や、男の子だとは思ってる、よ」
「じゃあいーよね?」
「なにが?」

 返事をする代わりに、空っぽになったジュースの容器を取り上げる。質量を失って丸まった指の中に、代わりに自分の手を滑り込ませた。手をおろしてぎゅっと握り込むと同時に、監督生がなりそこないの悲鳴を上げる。

「どこ行く? 監督生。お前の行きたいとこ行こーよ。今日はどこにでも付き合ってあげる」

 わざとらしくにっこりと笑みを浮かべる。空の容器をゴミ箱にシュートして、前からやってくる人込みに混ざらないように、監督生の手を引き寄せた。
 みるみる白い頬に赤を滲ませていく監督生を見て、心が跳ねる。監督生が開いては閉じる唇は、なんの言葉も成さない。

「……こーゆーこと? 監督生がさっき言った『モテそう』ってやつ」
「え、あ、うん……たぶん……」
「じゃあさ、お前もこーゆーことされたら、オレのことでも好きになんの?」
「えっ? え……? そ、それはどう、かな……」
「ふーん? じゃあ、別にいーわ。キョーミない」

 そう言ってぱっと手を離せば、しっとりと汗ばんだ手のひらが風にさらされて、ひんやりとした。
 さっきからまともに言葉も紡げない監督生の半歩前をわざと歩いていると、しばらくして「……エース」とか弱い声で呼ばれる。いつになく不安げなその声色に愛おしさを掻き立てられて、ちょっと意地悪してやろー、なんて気持ちは一瞬にして萎んでしまった。

「…………ゴメン。やりすぎた」

 立ち止まる監督生を安心させたくて、今度は勝手に顔が笑ってしまう。
 さっき自分から離したばかりの手のひらを、監督生の前に差し出した。

「……なあ監督生。オレは、お前に捕まえててほしいんだけど。そしたらさ、別に他のどこにも行きたくもないし、それで十分なんだけど」

 素直に「もう一回繋ぎたい」って言えればよかったと思うし、「好きになってほしい」って言えればよかった。頭ではわかっていても、体が口が、勝手に動くのだ。
 ――だからオレ、いっつもこいつに意地悪だの、自己中だの、都合がいいだの言われてるんだろうけど。
 じわりと皮膚の下から汗が滲んでいくのがわかるほどに、熱かった。きっとさっきだって、余裕がないのはオレのほうだった。
 そんなオレに気付いてか気付かずか、それは知らないけれど、監督生のひとまわり小さな手は、オレの空っぽの手のひらに重ねられる。

「……わかった。私が責任持って、エースのこと捕まえとく」

 はにかんで笑うその表情に、ぶわりと何かが吹き上げられる。
 半ば衝動的にぎゅうと強く握りすぎた指。「痛いよ」と咎められて、「あーゴメン」と謝った。
 悔しいけれど、この手を一生逃がしたくないのも、オレのほう。

(お題ったーより「逃がさないでね、僕のこと」でSS)
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