※主人公=女監督生。監督生が元の世界に帰ります。

「未来の自分が写るカメラ?」
「そーそー、ミステリーショップで売ってたユーズド品なんだけどさ、絶対インチキだよね。でもおもしろいから買っちゃった〜」

 おもちゃみたいにオレの言葉をそっくりそのまま復唱する監督生に答えながら、手の中でそれを弄ぶ。ファインダーに埃がたまったそれは、触りどころを間違えれば、すぐにでも壊れてしまいそうだった。
 「エースらしいな」と呆れて笑うデュースは、腕組みしたままこっちを見ている。

「デュースくんさ〜、これ、使い方わかったりする?」
「僕は……エースや監督生と比べたら機械をいじれるほうだと思うけど、ヴィンテージカメラは専門外だ。これ、データをスマホに飛ばせるとかじゃないだろ。たぶんだけど、横に細長い出口みたいな部分がある。ここから撮った写真が出てくるんじゃないか」
「あー、ココね。まあ、撮ってみようぜ」
「そうだな。未来の自分が写るなんて、本当だったらちょっと怖いけど」
「わっかる。超太ってたりしたらヤダけど、まー撮ってみねーとわかんないし。ほら、監督生とグリムももーちょいこっち寄りなよ」
「あ、うん」

 監督生の、遠いほうの肩を片手で寄せれば、躓くようにこっちへ寄ってくる。想像以上の手ごたえのなさ。そっと監督生が手のひらを翻したと思えば、前髪に指を通し、横髪を薬指で耳にかけた。あらわになる白い頬。その動作そのものも、余っていた小指のしなやかな流れも、なんだかオレとは別のイキモノのように見えた。

「……で、並んだはいいけど誰がシャッター押すの?」

 ばっちりと顔の横でピースを作っていたオレも、やや人相の悪いキメ顔をつくっていたデュースも、しばらく沈黙してから「そうだった」と声を上げた。げらげらと腹を抱えて笑うオレたちを眺めて、監督生はいつか「箸が転んでもおもしろい年頃」という慣用句が地元にあるのだと教えてくれたっけ。
 でもさすがにオレだって、おもしろくないことはおもしろくない。偶然、たまたま、お前らが、オレにとっておもしろかっただけ。

「あれ〜エーデュースちゃんに、監督生ちゃんアンドグリちゃん。揃いも揃ってなに騒いでんの?」
「あ、ケイト先輩。いいところに! ちょっとこれでオレらのこと撮ってみてほしいんすよ!」

 ケイト先輩はカメラを受け取るやいなや「なにこれ、ボロくない?」と目を丸めてみせたけれど、未来の自分が写るカメラらしい、ということを説明すると、表情をからりと明るくした。

「おもしろそーじゃん! けーくんがエモいショット撮ってあげるよ! じゃあ並んで並んで! あ〜もう、デュースちゃん表情カタ〜い」
「す、すみません!」
「監督生ちゃんはもうちょっとこう、顔内側に向けてみて〜! そう、エースちゃんのほうね」
「こ、こうですか……?」
「イー感じ!」
「ケイト先輩〜、さっさと撮ってくださいよ〜。コレ、べつに『映え』狙ってないんで」
「エースちゃん、生意気! 写真はぜんぶ思い出なんだから、ちょっとぐらいこだわらせてよね!」

 唇を尖らせながらもさすがマジカメグラマーというべきか、なんとなくおさまりのいい写真になっているような気がする。
 ぱしゃり、と存外マトモなシャッター音を合図に、わらわらとケイト先輩のもとに集まった。

「どれどれ〜」

 スラッとした指に取り出された厚紙を、無言で囲んだ。
 三十秒。一分。しばらく睨んでいても、なにも現れない漆黒に、最初にため息をついたのはオレだ。
 ケイト先輩は「まあ古くにかけられた魔法だろうから、けっこー時間経たないと出てこないかもね」と教えてくれたので、せっかちなオレはまっさきにその輪から抜けてしまった。

「ま、どうせインチキでしょ」
「どのぐらい待てばいいんだろうな」
「どーかなー。なんかが写る気配すらもなかったし、壊れてんのかもね。あーあ、800マドル損した」

 真っ黒のそれを、大して使うこともない生徒手帳に挟んで、ブレザーのポケットにしまう。
 サムさんが「珍しい」なんていうから、買っちゃったけどさ。800マドルでちょっとの笑いを起こせたと思えば、赤字だけどまあいっか。ポジティブなほうに思考を持っていくのは得意だ。
 800マドルの価値を見出すにはこの数十分はオレにとって素直におもしろくって、次の日にはもう、その存在すらも忘れていた。



「監督生って、変わんねーよな。こっち来たときから髪型もずーっとそのままだし。伸ばすのキライ?」

 三年の夏頃にオレがそう尋ねたのは、監督生が女だってことを知ったからだった。知ってしまえば、ずっと胸に立ち込めていた靄は晴れた。
 「コッチ来なよ」と腕を引いたときの手ごたえがなさすぎるのも、いやに指先の動きがか弱い気がするのも、ぜんぶ、見てはいけないものを見ているような気がしてしまっていたのだ。
 監督生は、腕の中でふんぞり帰っているグリムの腹を撫でるのをやめて、オレに視線を移す。

「嫌いじゃないよ」
「じゃあさ、なんで伸ばさないの?」
「……うーん。エースは、長いほうが好き?」

 監督生は視線を迷わせながら、さらされている白い首に縋るように触れた。
 こいつはよく、質問に質問で返してくる。最初はそれに「ハッキリしなよ」とイライラしていたのに、しなくなったのはいつ頃からか。その代わりに、質問で監督生が隠したなにかを、引き摺り出してやりたくはなるんだけど。

「……長いのがスキとか短いのがスキとか、べつにそういうこと言ってんじゃなくってさ。監督生には今の髪型も似合ってるし……まあ、長いのも、ちょっと見てはみたいけど、さ」

 押し付けているみたいになるのがいやで、口調がどんよりと濁る。居心地が悪くて後ろ髪をいじっていると、監督生のふっと空気を揺らすような笑い声がした。

「そっか。じゃあ、卒業したらかな。今は短いのが気に入ってるんだ。楽しみにしててよ」
「……アカデミー入学と同時に染めたり巻いたりしちゃって、デビューってやつ? いるんだよな〜、そーゆーヤツ」
「もう、そんなんじゃないよ」

 監督生がオレの肩を叩く気配がして、笑いながら避ける。案の定、かすりもしなかった手を逆に捕らえてみれば、想像以上に小さかった。そういえば、織り込んだ指のなかに握られたコインの目を当てるときも、その下にあるトランプのマークを当てるときも、同じことを思った。

「……監督生、手、ちっさ」

 零れたその言葉に、監督生は特に返事をしない。触れている部分からじんわりと、お互いの熱が混じり合う。
 ――ああ、オレがでかくなっただけか。バスケやってるし、多少はそうなるよな。そっか。
 単純に、もうしばらく触れていたいと思うけれど、正直にそう言えるだけの度胸はオレにはなかった。

「てゆーか、いまオレのこと叩こうとしたでしょ。当たるわけないじゃん。甘いの、お前は」

 そう言ってちょっと湿り気を帯びた空気を笑い飛ばすと、小さな手を、持ち主の膝のうえにそっと下ろした。



「エースって、髪長い女の子のほうが好き?」
「は? 急になに?」

 とある夜に、監督生から投げかけられた脈絡のない質問に、ベッドから頭だけを起こす。たったそれだけの体重変動でも悲鳴を上げる、オンボロ寮のベッドにうんざりした。文句を言えば「じゃあもう遊びに来ないで」と言われることはわかっているので、死んでも言わないけれど。

「髪長いのと短いの、どっちが好き?」

 オンボロ寮の鏡のなかで、髪を梳かしていたらしい監督生と目が合った。ぱちくりと瞬いて、オレの返事を馬鹿正直に待っている。

「……前にも言った気がすんだけど、コレ。お前には今の髪、似合ってるけど?」
「ホントに? 見慣れてるだけじゃなくて?」
「え〜? じゃあ、イメージすっからちょっとコッチ見ててみ」
「ん」

 監督生はちょっと楽しそうに体をこっちに向けると、口角を持ち上げた。
 顎を引いて、腕組みをして、頭のなかで想像した。髪をさらりと伸ばした監督生を。

「ンー……いいんじゃない。似合うと思うよ」
「もう、どっちが好きかって聞いてるのに」
「それさー、見てみないとわかんないって。だから約束通り、伸ばしてみなって。卒業したら伸ばすんでしょ?」
「約束? ……約束なんて、したっけ」

 そう言って曖昧な笑みで首を傾げる監督生に、胸のあたりを引っかかれたような気分になる。
 監督生とのあいだにあるいつもは見えない壁が、たまに見えてしまう。近くにいるのに、本当に近くには行けないような、漠然とした感覚。今だってそうだ。オレは毎日のようにこいつと一緒にいるのに、あいつはオレが近付けば同じだけ、遠くへ行ってしまうんじゃないか。

「は……お前さ、オレが『見てみたい』って言ったから、ああ言ったんじゃないの」

 馬鹿みたいに自分だけが抱いていた期待を飲み込むほど、素直な人間ではない。
 当て付けのように唇を尖らせてそう言ってみると、監督生は眉を下げて、子どもをあやすように笑った。

「あはは、エース、それホントに思ってくれてたんだ。ごめん。……じゃあ、私も見てほしいよ。きっと伸ばすから、楽しみにしてて」

 それに対して、なんて返事をしたっけな。
 オレのことだから「バーカ」とか「まあ期待はしないどく」とか、そんな乾いた言葉ばっかり投げ付けたんだろう。
 照れ隠しに窓の外に逸らした視線のせいで、ちょっと泣きそうな監督生の表情にすら気付かなかったバカは、オレのほうだっていうのに。

◇ 

 今思えば、どうして気付かなかったのか。信じられない。オレと監督生は、三年半も一緒に過ごしたのに。
 変わらないあいつのことを「オレらが変わっただけだ」って片付けて、たぶんだけど、たくさん傷付けるようなことも言った。
 だからだろうか、なにも告げずに自分たちの前から監督生はいなくなって、代わりに、白くて味気ない手紙だけが残された。
 「今まで楽しかったこと」と「これからも元気で過ごしてほしいこと」と。わざとかと思うほど、ありきたりな言葉。
 封筒と揃いの白い便箋を手に、思わず鏡の前で膝をついたオレを、憐憫めいた「ああ」とともに見下ろして、学園長は言った。

「……トラッポラくんの気持ちは、痛いほどにわかります。あの子は、この世界のこともあなたたちのことも、心から愛していると言っていました。それでも、自分だけが時間に取り残されるなんて、あまりに残酷です。あの子にとっては、一緒に年をとって死にゆく人々が必要です。あなたたちには、それができますか? …………ええ、ええ。無理でしょう。この世界に生まれた誰にもね」

 その言葉にゆっくりと、垂れた顔を上げる。

「別れの時間も用意せずにあの子を帰らせて、申し訳ありません。でも、これはあの子の希望でもあるのです」
「監督生の……?」
「ええ。きっと、いつもあの子と一緒にいたトラッポラくんなら、『このこと』はご存知でしたでしょうから、わかって頂けると信じています。あの子はあなたたちを愛していたからこそ、ずっと一緒にはいられなかったのですよ。……愛する人たちと時間を過ごせば過ごすほど、自分が『異物』だということを突き付けられるだなんて、私だったら、とても耐えられません」

 学園長の台詞はオレにとっては難解すぎた。それなのに、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
 ずっと監督生の隣にいた。それが当たり前だなんて思っていなかったはずなのに。当たり前になればいいのに、なんてワガママな思いのせいで、きっとあいつのことを困らせただろう。
 華奢な肩も、やわらかい瞼も、細い髪も、もうここには「ない」という現実がにわかには呑み込めなかった。
 フラッシュバックする数々の記憶のなかで、あいつはいつも同じ笑顔を浮かべていた。
 そこでやっと、息を呑む。
 ――あいつの目付きも声も手も、そして髪も、変わらないのではなかった。きっと「変われない」のだった。



 今思えば、どうして気付かなかったのか。信じられない。オレと監督生は、三年半も一緒に過ごしたのに。
 変わらないあいつのことを「オレらが変わっただけだ」って片付けて、たぶんだけど、たくさん傷付けるようなことも言った。
 ――でも、そばで見たかった。お前が変わっていくところ。「楽しみにしててよ」という言葉通りに、髪が伸びてちょっと鬱陶しがるところ。「伸ばしたのは自分じゃん」、と憎まれ口を叩きたかった。
 いつもより少し高揚したようなクラスメイトのざわめき。「みなさん揃っていますね」という学園長の声には耳も貸さずに、ぼんやりとその奥の壁の模様を見つめていた。
 ふいに肩を叩かれて振り向けば、インターンでしばらくぶりに会うデュースの姿があった。

「エース! 久しぶりだな」
「おー、久しぶり。なんかデュースんとこ、すっげー大変みたいじゃん」
「ああ、かなりな……。でも、すごくためになったぞ。学生のうちからこんな経験をさせてもらえて良かった!」
「あーあー出たよ、とうとう優等生もハリボテじゃなくなったかあ」
「なんだと! ……と、エース、だいぶ前髪伸びてるな。目に入って痛くないのか?」

 卒業式に出るのも四度目となれば、さすがのデュースも式典用のアイラインを引くのがうまくなったな、と思った。きりりとした目元は、今日にあわせてすっきりと整えられた前髪に、ひとつも邪魔されていない。

「あー、だよねー。そろそろ切んなきゃな」
「ちょうど卒業だし、せっかくなら派手にイメチェンしてみたらどうだ」
「いーよそんなの。いかにもって感じで恥ずかしいじゃん」
「そうか……僕は規則でできないけど、できるならやってみたい気持ちもある。……そういえば……監督生も、ずっとしたいって言ってたな」
「……なにを?」
「イメチェンだ」

 胸をたたくデュースの鼻梁すらも大人びている気がするのは、メイクのせいか。それとも。

「……あー、見たかったよねー」

 ぼそりと呟いたその声は、ざわめきに流されてしまう。別によかった。今更デュースにこの不毛な想いを知られても、知られないままでも、どっちでも。
 ただ心の中では毎日、呪文のように唱えていた言葉だった。
 ――見たかった。見たいよ、お前が髪伸ばしたとこ。大人になってくとこ。一緒に変わっていきたかった。一緒にいたころは、まったくこんなこと思わなかったのに。そう、バカなんだよね、オレ。
 寝ても覚めても、その名前を呼ぶとこっちを振り向く監督生の、短い髪が揺れる。
 味気のない白い封筒の封蝋を切ったあの日から、その映像ばかりが、脳を占めている。



 あいつがいなくなってから、監督生の話をすることはめっきりと減った。
 卒業式になってやっとあいつのことを切り出したデュースも含めて、きっとみんな寂しさを感じたくなかったから、口に出さなかったのだろう。学生最後に日になって、そんなカンタンなことに気付いた。

「エース、まだ出ないのか?」
「……ウン。あとちょっと、まとめてないダンボールがあんだよね」
「手伝うか?」
「大丈夫。いろいろ変なの入ってるしさ〜」
「そうか? なら先に行ってるぞ」

 扉の向こうのデュースの声が聞こえなくなれば、誰もいない部屋に一人、沈黙にくるまれる。
 ふうと息を吐いて、もう袖を通すことのないブレザーから腕を引き抜いた。いつもはきちんとハンガーで壁にかけていたそれを、適当に荷物をまとめたダンボールのうえに放り投げる。
 すると、ぼすん、と思ったよりも重たい音がした。再び拾い上げると、胸ポケットの部分に、ついぞ実用することもなかった生徒手帳を見つけた。
 うすら笑いを浮かべながらはらはらと開いてみると、中からは、やわらかな花弁のように不規則な残像を描いて、一枚の紙が零れ落ちる。
 靴の上に落ちたそれを拾い上げて、はっとした。
 いつだったか、オレがおもしろがって買ってきたカメラで撮った写真だ。すっかり記憶の片隅からも消し去っていた、その存在。
 「未来が写る」だなんてデタラメなカメラで撮った写真には、四人が写っていた。
 ドラマぐらいでしか見たことのない制服を着込んだデュースに、ますますアニキに似てきたオレに、記憶のなかの姿とさして変わらないグリムを抱いた監督生の、優しげな眦と、耳にかけた艶やかな、長い髪。
 白い頬のところを親指の腹でそっとなぞっては、震える声で呟いた。

「……監督生、お前にしては、カワイーよ」

 一度だって言ったことのなかった言葉は、もう二度と来ないだろう静かな部屋に吸われて、音もなく消えていった。
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