鼻先をくすぐられるような感触に、意識の靄が少しづつ明ける。「暗いと寝坊しちゃいそうだから」、と眠る前に彼が少しだけつくったカーテンの隙間から白い光が射して、宙に舞う埃をうつしていた。

「……んん」

 掠れた低い声がする。私の鼻先で遊んでいたのは、ケイト先輩の、陽の光で今にも溶け出しそうなオレンジの髪だった。顔の前に垂れるその束をいくつかそっと払いのけると、まっすぐに通った鼻筋と、扇のように伏せられた睫毛があらわになる。
 幼くもなく、かと言って大人びてもなく、ただ綺麗だという感想を抱いてぼうっと寝顔を眺めていれば、

「……なまえちゃん、起きたの?」

と、ケイト先輩の唇だけがわずかに私に尋ねた。

「……今しがた起きました。すみません、起こしてしまって」
「ん〜ん。……ん〜、ねえ、今何時? なまえちゃん」

 たゆたうような声はまだ眠そうだ。壁にかかったシンプルな時計に目をやる。昨日、めいっぱい背伸びをしてはふるえる私からケイト先輩がひょいと取り上げて設置してくれた時計。時間を刻み始めて丸一日も経たないそれは、八時半をさしていた。

「八時半かあ……初日にしては上出来かな」

 ケイト先輩はくぐもった声で答えると、私のほうへ体を寄せた。鼻をくすぐる程度だった柔らかな髪は、今度はしっかりとすり寄せられるようにして、私の顔のすこし下にやってくる。

「そうですね。体感では、もう十時ぐらいかと」
「オレも。昨日夜更かししたしね〜」
「……そ、そうですね」
「あ、なに〜? 思い出してる? 昨日の夜のこと」
「いえ! べつに……!」

 しらをきって天井を見上げる私に気付いて、ケイト先輩はくすくすと笑っていた。腹が立つので、その後ろ髪を指に巻き付けて軽くねじってやる。
 大きめの家具の設置や、ダンボールの開封、床の拭き掃除はケイト先輩の魔法にかなり助けられたのだが、最低限の生活用品を使えるように準備するのには、なかなかに骨が折れた。ましてや、二人分となると。
 真新しい糊の効いたベッドに潜り込むとすぐに意識を手放しそうになった私の肩を撫でて「眠い?」と言うケイト先輩の声がちょっと残念そうだったのがかわいらしくて、私が笑ってしまったのが夜の始まりだった。
 新しいベッドが広いと場違いな感想を言う私をケイト先輩が「も〜」と咎めながら、たくさんキスをした。
 喉元に顔を埋めるケイト先輩が、

「……ね、もうちょっとこうしててもいい?」

と言うので、私は「もちろん」と頷いて、もう一度瞼を閉じた。
 かちかちと秒針が進む音。一度意識してしまうと、ずっとその規則的なリズムをなぞってしまう。すう、と子どものようにすこやかな吐息が漏れるのも聞こえる。彼は甘えたがるタイプ。特に寝起きには。それを知っている人間がおそらくこの世界に私しかいないのだと実感すれば、ずっしりとした愛おしさが込み上げる。

「……あのさあ、なまえちゃん」
「はい」
「……起きたら好きな子が隣にいるって、死ぬほど幸せなんだね。バイバイがいらなくて、ただいまが同じ場所なのって、やばいぐらい嬉しいね」
「ふふ、そうですね」
「……オレのことイヤになっても、何も言わずに出てったりしないでね。イヤなことがあったらちゃんと言って。そしたらオレ反省して、なまえちゃんの好きなケーキかコスメ、買って帰って謝るからさ」
「モノにはつられません」
「ちぇ、バレちゃった」

 うそうそ、と笑って誤魔化すケイト先輩はいつだって真摯で、モノで解決するなんてことは一度もなかったし、これからもないことを知っていた。そんな人だからこそ、こうして同じ時間を歩んでいくことを決めたのだし。

「ケイト先輩こそ、私に愛想つかさないでくださいよ。一緒に住むと、飽きやすくなるっていうし」
「……それ、本気で言ってる?」
「はい」
「あはは、言ったね。オレは優しいから先に言っとくけど〜、逃げられないのはなまえちゃんだからね。一緒に住んでんだから。今まで以上に愛されても、もうお腹いっぱいです、なんて言わないでよ」

 気付けばカーテンから漏れていた光は、ケイト先輩の上半身で遮られていた。寝起きでまだ力の入らない手のひらに骨ばった彼の指が絡まる。わずかに汗ばんでいた額を撫でられれば、七時間ぶりの甘い空気が、まだにおいすら嗅ぎ慣れない部屋に満ちていった。
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