「――って監督生、今日スマホ見過ぎじゃね!?」

 移動教室の最中、ついさっきまで上機嫌で得意のマジックについて語っていたエースの声色が一転して荒くなれば、ずっとそれを言うのを我慢していたのだとわかる。私はものの一秒で反省して、取り出したばかりのスマホをそそくさとポケットにしまいなおした。

「ごめん、エース。失礼だったね」
「別にそんなの今更気にしねーけどさあ、どうしたの。監督生って、そんなSNS好きなタイプじゃねーじゃん」
「べつにSNS見てるわけじゃないよ」
「じゃあ何? 男とメッセージでもしてんの〜?」

 いやらしく間延びする語尾に「もう」と顔を顰めると、エースはけらけらと笑い声を立てる。産毛を逆撫でされるようなわずかな苛立ちが募って、ふいと顔を背けて歩き出せば、エースの「も〜、怒んなって」っというのんきな声が背中にかかった。
 こんな態度を取ったうえで言うのは説得力にあまりにも欠けてしまうが、エースにからかわれるのは嫌いじゃない。「ここまでは楽しい」、「ここからはダメ」と引いた線が明確にエースには見えているみたいに、踏み込まれたくないラインは絶対に超えてこない。それはきっと数か月の友人関係が作りあげたのではなく、彼本来の嗅覚のなせる業だった。

「なあなあ監督生、楽しいこと? 楽しいことがあんならオレにも教えてよ」

 エースの長くて軽やかな脚は、すぐに私に追いつく。きらめく瞳は私を覗き込んでそう尋ねるけれど、私は明るい表情でもって彼に応えることはできなかった。

「……楽しいことだったらよかったけど、あいにく違うんだよね」
「なに〜勿体ぶってさ。教えてくれたっていいじゃん、ケチ」

 唇を尖らせてじっとりと睨めば私が思い通りになるとでも思っているかのように、いつもエースはそうする。まあ、あながち間違ってはいないのだけど。
 私はため息と同時にスマホをポケットから取り出して、着信履歴を開いて見せた。エースの赤い瞳の中に、うんざりしそうなほど整列する、反転した文字列。無色透明だったその瞳に、だんだんとかげりが宿っていった。

「……え〜、うわあ、ちょっと引くわ」
「でしょ?」
「オレ、一生分の『非通知』って文字見たかも」

 赤い瞳が私のほうへ戻ってきたので、私はスマホを持つ手をだらりと下ろす。

「それ、いつから?」
「……おとといの夜から。夜中にもかかってくるから、まともに眠れてなかったんだよね。とうとう通知オフにしたんだけど、今日もかかってきてる」
「迷惑電話なんて面倒なこと、お前に何かしらの感情があるからやってるに決まってんじゃん。誰からか分かんねーの? 心当たりは?」

 至極まっとうなエースの言葉に自分の行いを思い返してみるも、引っ掛かりといえるものはすぐには出てこない。そもそも平凡な自分に、他人にそこまで大きな感情を抱かせることができるとは思えない。
 うーんと低く唸っていると、今度はそれを見かねたエースがため息を吐いた。

「……ハア。監督生って、いつか刺されたりしそ〜」
「え……なんで。怖いこと言わないでよ」
「恨み買ってることに気付いてないんでしょ? そんな恐ろしいことがあるかっての」

 あー怖い怖い、と身震いするふりをしながらエースが一歩先に魔法薬学室に入る。先に到着していたデュースたちを見つけて、手を振りながらその席についた。隣の席にどっかりと座ったエースは、三時限目だというのにまだ大きなあくびをした。ふわあ、と弛んだ声が漏れるのに思わず笑みが零れてしまったころ、ポケットの中で小刻みな振動が。

「あーねっむ……監督生、またスマホ鳴ってね?」
「うん、また非通知だ」
「出たことあんの?」
「出たけど、『はい』って言っても『もしもし』って言っても無言だったよ」
「ふうん……ちょっとオレに貸して?」

 頷くとほぼ同時に、エースの乾いた手のひらがスマホを鮮やかに奪っていく。親指でさっと画面を弾き、エースはそれを耳に当てた。

「あーもしもし、オマエ誰? この番号にはもうかけてくんなよ」

 包み隠されない剥き出しの敵意がその声には滲んでいて、こちらがはらはらしてしまう。もし相手が変な人だったら、下手に刺激をしてしまったら。そんな不安が、行き場を失くした手のひらで行き止まる。

「どういうつもりでかけてんのか知んないけどさ、オレはこいつから片時も離れねえし、そんなにオハナシしたいならオレが付き合ってやるよ。な? 何したって無〜駄。わかったら返事は?」

 長い脚を机の下で組んだエースの荒い声は、なかなかの迫力を生み出していた。
 しばらくののち、ブツッという音がこちらにも聞こえて、エースはようやくスマホを耳から離した。

「あ、エース、なんか言ってた?」
「……分かんねーけどたぶん、男の声だった。女の声でお前が最初に相手したからじゃねえの。大丈夫だと思うけど、もしまたかかって来たらいつでもオレのこと呼んでいーから」

 ごしごしと画面を袖で拭って、エースの手のひらが私の手のひらをそっとひらいた。その触れ合いがスマホを返すためだってわかってはいるのに、指先にはにわかに熱が灯ってしまった。

「次はハッキリ、『オレの彼女に何の用?」とか言ってやろっかなー」

 楽しげに白い歯を見せて笑うエースのことを、私は咎められない。
 手応えのなさに目を丸くして私の顔を覗くエースの頬に、熱が移るまであと数秒。
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