※プロヒIF

「お前、朝飯は食うのか?」

 ショートくんは朝焼けを背に、つかみどころのない質問を私にした。転がるコンクリートの小さな破片。さっきまでのヴィランとの交戦の弊害であるそれを爪先で蹴っていた私の視線は、思わず泳いでしまった。

「えっ、普通に食べるけど、変?」
「そうじゃねえ。こんな時間だけど、食えるのかって意味だ」
「ああ、そういうこと。さっきの戦闘でむしろお腹ぺこぺこだよ」
「だよな。俺、蕎麦食いに行くから、一緒行くか?」
「うん、行く」

 彼は私を誘うつもりで聞いてくれたのだとわかって、弾んだ返事をした。
 並んで歩き出すと、ショートくんは横でふわあと猫のように大きなあくびをする。ヒーローはその活動内容からして、生活が不規則になりがちなのだ。
 隣を見ると、ふっと緩んだ表情。だんだんと彼が「ショートくん」じゃなくて「轟くん」に戻っていく。

「一筋縄ではいかねえ敵だとは思ってたが、さすがに収束に夜通しかかるとは思ってなかったな。……もう朝の五時だぞ」
「お疲れ様でした。今日もショートくんがいてくれて助かったよ。それにしても、店開いてないね。こんな時間だし立ち食い蕎麦屋くらいしかやってなさそう」
「ああ。夜通し飲んでた酔っ払いと間違えられそうだな」
「お酒なんか一滴も飲んでないのにね」

 轟くんがふっと力を抜くように笑った。その頬を、橙の朝日が照らす。
 轟くんは元々ものすごく綺麗な顔立ちをしているのに、朝焼けなんかを背負うのはずるい。高校の頃より少し大人びた鼻筋や眉を、私はかけ蕎麦から登り立つ湯気越しに見ていた。

「何見てんだ。 蕎麦、熱くて食えないのか?」

 お前猫舌だもんな、と付け加える轟くんは、やはり掴みどころがない。轟くんに見惚れていたなんて言ったところで、大した反応が返ってこないのは知っている。

「……仕事終わりの蕎麦はうまいな」
「轟くんは蕎麦ならいつ食べてもおいしそうに食べてるよ。雄英の食堂でも蕎麦ばっか食べてた」
「そうだった。俺のことよく知ってるんだな」

 轟くんがどんぶりから顔を上げて、目を丸くする。素直に感心しないでほしい。私は、轟くんに興味があってただ見ていて、それを覚えていただけなのに。
 まあね、と苦く返事をすると、轟くんは蕎麦をすすって、嚥下したあとにはあ、と温かい息を吐き出した。

「お前はよく、カレーを食ってた。辛いって汗だくになってるの見て、なんで無理して食うんだろって思ってた」
「恥ずかしい、なんでそんなこと覚えてんの」
「お前見てるのはおもしろかったからな」

 すすっていた蕎麦を喉に詰まらせそうになる。
 轟くんは突然こういうことを言う。なんの特別な意図も、俗に言う「深い意味」もそこには含まれていないのが厄介だ。
 現に彼は、そういや、と店の外を歩く野良猫を見ながら話を切り替えた。

「……そういや、今日の夜だよな。A組のやつらと集まろうって言ってたの。上鳴から、お前も仕事が入らなければ来るって聞いてたけど」
「え? あ、そうだ。もう今日の夜か。一晩寝てないからすっかり忘れてたよ。起きられるかな」
「みょうじんち、ここからどれくらいなんだ」
「一時間半くらいかな」
「家帰って夜またこっち来るの、大変だろ」
「まあね〜、仕方ないけど」
「俺んちで寝てくか? この近くだから」
「うん、え?」

 確認の意味を込めて轟くんの顔を見ても、そこには至って真面目な眼差しが鎮座しているだけだった。冗談めいていてほしかった。どう受け止めたらいいのか分からなくなってしまうから。

「……ああ、お前が嫌じゃなければだけど」

 轟くんは進行方向に体を向ける。私が使う駅とは逆方向。じり、とスニーカーがコンクリートを踏み付けて、砂利が唸る。
 何も言わない私に「ん?」と言いたげに轟くんが首を傾げるので、私はようやく頷いた。
 轟くんの言葉に「深い意味」なんかあるわけないと、すこし考えれば分かるはずだった。危なかった。意識しているのは私だけなんだと言い聞かせながら、彼の隣を歩いた。

「そういや一人暮らししてから家に人呼んだことねぇな。一応片付けてはいるつもりだけど」
「気にしないよ」

 轟くんが「どうぞ」とドアを開けてくれる。中はしんとしていた。洋風の家屋に和風の内装を立て付けているような、独特の雰囲気の部屋に、うすら白んだ朝日が差し込んでいる。男の子の部屋のわりに、整然とした空間の中、片付け忘れた湯呑みとか、床に落ちたリモコンとか、至る所に轟くんの気配があって、どきどきしてしまう。
 きょろきょろしている自分に気付いて、慌てて轟くんの視線を確認すると、彼は彼で棒立ちしたまま私を凝視していた。

「……お前、その服で寝にくいよな」
「え、私はわりとなんでも」
「……こんなのしかなくて悪ぃけど、着替えるか?」
「これ、雄英の体操服じゃん。懐かしすぎ。ありがとう、着させてもらうね」
「おう。臭かったら悪い」
「臭くないよ」

 普段、そう手数は多くない轟くんのジョークに笑いながら返事をする。部屋の奥で渡されたジャージに着替えると、全身が慣れない匂いに包まれて、恥ずかしくて居た堪れない気分になる。
 正直なところ、高校の頃から轟くんのことをいいなと思っていた。ジャージの後ろ姿を追いかけていたことも懐かしい。ばれないように、ぎゅっと袖を握ってから、部屋に戻った。
 部屋着に着替えるときに乱れたであろう轟くんの前髪は、風に吹かれているみたいだ。

「ジャージありがとう」
「ああ。サイズでかくないか?」
「大丈夫だよ。臭くないし、轟くんのにおいがする」
「臭くないならいいけど、変な感じだ。懐かしいな、お前がそれ着てるの」

 俺ら大人になったんだな、と轟くんは付け足してふっと瞼を伏せた。ぎゅっと胸が締め付けられる。
 轟くんはカーテンを閉めて、私に言う。

「……悪い、布団一組しかねぇけど。できるだけ端で寝るようにする」

 ごくごく自然に彼が布団に横たわるものだから、私は胸を直接拳で打たれているような激しい鼓動のまま、その横に横たわる。
 轟くんにとって、私は「そういう」立ち位置なのだと、遮光性のあまりよくないカーテンから漏れる光を目蓋の裏で感じながら、思った。
 振られるよりは、いい。二度と会えなくなるよりは、いい。友達じゃなくなって、仕事で鉢合わせたときに気まずい顔をさせるくらいなら、百倍このほうがましだ。
 高校の頃からずっと友達である私と轟くんは、一人用の布団の端と端で、遠慮がちに背を向け合って眠った。
 外から聞こえてくる車の排気音や、かすかな雑踏が、街が活動を始めたことを知らせる。それに構わず、私の瞼はずっしりと重くなる。夜通しの仕事で相当に疲れていた。轟くんの布団は、ぱりっと糊がきいていて、心地よかった。
 手足の先から海にゆっくりと沈んでいくように、微睡む私。最後に沈むのは、額だった。

「……なあ、なまえ」

 かすかに轟くんの声がしたような気がして、私は返事をしたのだけど、それが現実か、夢の中なのかが分からない。





 目を開けたら、外は熟した果実のような、とっぷりとした夕暮れの橙に染まっていた。見慣れない天井。まもなくここが轟くんの家だということを思い出す。
 体を半分起こすと、轟くんは私の足元のほうで、丸くなって眠っていた。寝相、悪いんだ。思わぬ一面におもしろくなって、そっとその寝顔を覗き込んだ。
 その瞬間、ぱち、と開く瞼。右と左で色の違う瞳がべつべつに光を吸い込んで、綺麗だ。

「……お前も、起きたのか」
「うん、おはよう。もうすぐ夜だけど」
「……おはよう」

 轟くんはぼんやりとしたまま体を起こし、私を見る。数秒ののち、「お前がいるから夢かと思った」と呟いた。

「ごめんね、寝過ぎちゃって」
「いや、俺も寝過ぎた。遅刻しそうだ」
「急がなきゃだね」

 男より女の方が身支度が長い。支度をする間、轟くんは待っていてくれた。それが申し訳なく思う私の動きがすこし忙しなくなると、「ゆっくりでいいぞ」と言ってくれるのだった。
 玄関で、轟くんの後ろ髪に寝癖が残っているのに気付いて手櫛を通す。悪い、と素直に頭を委ねてくれる彼を見て、彼女がいたらこんなふうに大人しく髪を預けるんだな、と余計なことまで考えてしまった。

「ねえ、轟くん……私と一緒に集合場所に行ったら、なんか変な勘違いされないかな」
「勘違い? 仕事が一緒になったらその帰りに一緒に来るのは、普通だろ」
「仕事帰り? 仕事帰り……うん、たしかにそうだね。ごめん、変なこと言って」

 みんなとの集合場所は庶民的な店構えの焼肉屋だ。
 店の前にはもうちらほらと何人かが集まっていて、お茶子ちゃんや上鳴くんはこちらに気付いて手を振ってくれるのが見えた。
 たまに集まろうと号令がかかると、仕事で来れないメンツ、来れるメンツはばらばらではあるが、なんだかんだ三分の一は集まってしまう。現場以外にもクラスメイトだった子たちに定期的に会える機会があるのは、嬉しいことだった。
 お茶子ちゃんは私の名前を呼ぶと、人懐っこい犬のように駆け寄ってくる。

「あーなまえちゃん、久しぶり! 私らあんまり一緒に配置されんから、会えて嬉しいよー!」
「お茶子ちゃん、久しぶり。元気そうでよかった、活躍見てるよ」
「うへへ〜照れるなあ。でもありがとう! ね、轟くんと一緒に来たん?」
「あ、うん」
「麗日。久しぶりだな」
「よっ、轟くん! へへ、二人は相変わらず仲良さそうやね」

 お茶子ちゃんの言葉は意外だった。相変わらずというのは、どういうことか。高校の頃は、轟くんと世間話程度の会話をすることすらあれ、仲が良いと評されるような深い関わりはなかった。
 ちらりと轟くんを見やると、彼も同じことを思っているのか、いつもに増してきょとんと間の抜けた顔をしている。

「おっ、轟とみょうじはお揃いで登場かよ!」
「ああ上鳴、久しぶりだな」
「久しぶり! お前ら仕事帰り? マジお疲れ」
「ああ、昨日街中にヴィランの窃盗団が出たろ。そのオファーでこいつと会ったんだ。すげえ疲れた」
「……昨日? お前ら昨日から一緒だったの? くぅー轟、お前らやっとか!」

 途端に目を輝かせて轟くんの背中をドラムのように叩く上鳴くんに、視聴率が集まる。
 あのいやな予感が的中したのではと眉間にしわを寄せると同時に、響香ちゃんが顔を覗かせて、この疑惑を確信に変えてしまった。

「マジ? やっと付き合ったの?」
「チクショー! 轟ー! ちょっと顔がいいからって! なんでオイラには彼女できねえんだ!」
「で、いつ付き合ったわけ?」

 上鳴くんが轟くんに、人差し指をその名の通り差し向ける。渦を巻くような、想像以上の場の勢いに飲まれて、喉がからからだ。
 轟くんはこんなときも動じない。そしてそのまま、至って冷静に答えた。

「まだ言ってねえ」
「え?」
「こいつに付き合ってくれって、まだ言ってねえんだ」

 ハア? と目を丸める上鳴くんの声に、通行人がこちらを二度見した。

「雄英んときからあんなに仲良かったのに!? すげえこそばい雰囲気醸し出してたのに!? 付き合ってんのか付き合ってねーのか分かんないから誰も触れずにいてやったのに!? まだ付き合ってねーの!」
「そう、だったのか。ごめんな。気を遣わせてたとは思ってなかった」
「上鳴、バカ! 空気読みなよ!」

 響香ちゃんに引っ張られて、まだ喚いている上鳴くんが店の中に消えていく。香ばしい炭の匂い。そこに紛れるようにみんなが店内に消えていく。
 ぴしゃん、と閉まった扉の中に私も消えてしまいたい。轟くんの言葉にはそれほどの破壊力があって、それでいてやっぱり掴みどころがない。
 打ち手を探して視線を泳がせる私を、轟くんはじっと見る。雑踏の中で、動いていないのは私ととうとう轟くんだけになった。
 轟くんは改まったように息をつくと、ゆっくりと話し出す。

「……何もしなければずっとこのままでいられると思って言えなかったんだ。卑怯で、ごめんな」

 息が止まる。そんな曖昧な言葉を吐かれたら、勘違いしてしまう。「深い意味」があるんじゃないかって、期待してしまう。
 轟くんは一度俯いて、そして顔を上げるとまっすぐに私を見つめて、まるで大人みたいに浅く、少しだけ苦しそうに笑んだ。

「……今日、起きたらお前がいて、嬉しかった。俺はずっとそうなれればいいなと思ってたから。つまり……俺はお前のこと、ただの友達だと思ってねえ」
「……あの。そこに深い意味は、ある?」
「深い意味? 深い意味は、ないぞ。俺は、ただお前がずっと好きだったって言ったんだが……ちゃんと伝わったか」

 不安げに首を傾げる轟くんは、前言撤回、やっぱりどこか子どもみたいだった。
 そこまで言われなきゃ分からない。ただでさえ君は掴みどころがないのだし。
 けれど、私が差し出した手のひらを轟くんは柔らかに微笑みながら掬って、それが私の答えだとたしかに受け取った。私たちは少しずつ、大人になっている。言わなきゃ分からないことも分かってしまうし、だからこそ言わなくていいことも聞きたくなるのだ。
 しあわせそうに伏せられた轟くんの瞼は白くて、ふと朝日に照らされた轟くんの寝顔を、思い出した。
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